長文集  8月1週  ★渓流に糸をたれた釣人の(感)  nnzi2-08-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】渓流に糸をたれた釣人(つりびと)
のすがたを見ると、変な連想だけれども、ぼ
くはいつもじぶんの張った網でじっと獲物の
かかるのを待っている蜘蛛のすがたを思い出
してしまう。たんに、獲物を待っているすが
たが似ている、というのではないのである。
【2】釣りをしている人間が自然とのあいだ
につくりあげようとしている一つの「関係」
のようなものが、蜘蛛が網をとおして蝿との
あいだにつくりあげようとしている「関係」
と、とてもよく似ているとぼくは思うのだ。
 【3】蜘蛛は蝿とはちがったやりかたでま
わりの世界を見、知覚し、その世界のなかを
動きまわり食べながら、生きている。蜘蛛と
蝿は生物としての構造が違う。【4】だから
それぞれは、それぞれのちがったやりかたで
自然の世界を生きている。ちょっと気どって
記号論風に言えば、ふたつの生物は異質なコ
ードをとおして、まわりの自然と交流しあっ
ているのだ。【5】だから、もしも蜘蛛が空
中に張りわたしたあの網さえなければ、蜘蛛
と蝿とはおたがいのあいだになんの関係もつ
くりあげることのないまま、おなじ空間のな
かの違う世界を棲みわけつづけることもでき
ただろう(なにしろ、ふたつの生物は別種の
コードをとおして、おなじ空間を別のものの
ように知覚しているのだから)。【6】とこ
ろが、ここに網があ る。蜘蛛が長い生物進
化のなかでつむぎだしてくるのに成功した網
がある。この網が異質なコードのあいだの接
続を実現してしまうのだ。蝿は網にかかる。
この瞬間に蝿はいやおうなく、別種の生物で
ある蜘蛛のコードをうけいれざるをえなくな
るのである。【7】またそれと同時に、蜘蛛
のほうも蝿のコードをうけいれる準備をとと
のえておかなければならなかったはずだ。も
し蜘蛛が蝿の生物学的なコードをまったく無
視していたりすれば、蜘蛛の張った網はいつ
までもむなしく風のそよぎばかりをうけとめ
ていなければならないだろうから。
 【8】捕食という生物の現象のなかには、
いつもこういう「コード横断(transc
odage)」がおこっている。つまり、ひ
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とつ∵の生物が別の生物に出会い、異質なコ
ードどうしが接触する場所に、生物界のもっ
とも感動的な瞬間が発生するのである。【9
】「自然はひとつの音楽だ」と言われるとき
の「音楽」は、じつはこの瞬間のことをとら
えた言い方なのである。たがいに異質なコー
ドどうしが接触しあい、おたがいのあいだに
横断がおこったとき、そこにはリズムが、メ
ロディーが発生する。【0】雨が植物の葉っ
ぱをうつ。そこに音楽が生まれる。だがこの
とき葉は雨のコードを受け入れてしなり、雨
は植物を受けとめて落下の方向を変化させて
いく。ここでも同じ現象がおこっている。生
物が別の生物を待ちうけておたがいのあいだ
に決定的な接触の状態をつくりだそうとする
ときと、おなじ「コード横断」の現象がおき
ている。
 釣人(つりびと)が渓流に釣糸をたれてい
るとき、そこにおこっているのも、まったく
おなじ「コード横断」の現象だ、とぼくは思
うのだ。人間はこのとき釣竿をとおして水の
なかの生物界と関係をつくろうとしている。
(中略)
 釣りのもっとも感動的で魅力的な瞬間は、
この「コード横断」のおこるカタストロフィ
の瞬間なのだろう、とぼくは思う。その瞬間
に「人間─釣竿─糸─餌(針)─魚」という
、それをひとまとめにしてみると、まったく
奇妙な混合生物ができあがっている。このと
き、人間もふつうの生活のときとは微妙にち
がう生物に変貌している。彼は細心の注意を
はらって、からだの動きや感情や知覚をコン
トロールして、じぶんの生物的コードの一部
分を、魚のそれとの接触と横断が可能になる
ような状態に変化させておかなくてはならな
いからである。釣人(つりびと)はこのとき
魚の生物コードの一部分をじぶんのなかにと
りいれている。人間が水中に入りこんで乱暴
に魚を手づかみにするときにはこういう微妙
な変化はおこっていない。

(中沢 新一『蜜の流れる博士』)