長文集  3月2週  ★芸術というものは、ある時理論を(感)  nnge-03-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】芸術というものは、ある時理論を学
べば、あとは芸術家の個性に従って創作すれ
ばよいというものでもなければ、どだいそん
なことはできないものだと思う。【2】芸術
家は、理論を習うよりまえに、幼い時、もっ
と根本的な体験をしており、そのあとで、い
つか、ある芸術作品に触発されて、芸術家の
魂を目覚まされ、そこで、それを手本にとり
、理論を学びながら、最初の試みにとりかか
るというものだと思う。【3】そうして、彼
の成長とか円熟とかいうものは、根本的な体
験につながる表現にだんだん迫ってゆくとい
う順序を踏むのではないか。この最初の手本
が何であるかは、その芸術家の一生を支配す
る。【4】日本の芸術家にとって、それがピ
カソかゴッホだったり、モーツァルトかヴァ
ーグナーだったり、チェーホフかシェイクス
ピアだったりしたとしても、私に何も異議を
訴える筋はない。【5】ただ、そういう時、
彼のもっと幼い根本的な体験と、西洋の大芸
術との間の距離はずいぶん広いはずだろうか
ら、後年それを埋めるのは並大抵のことでは
あるまいと、最近、気がついてきたのである
。手本が低ければ良かったろうというのでも
ない。【6】しかしべートーヴェンもシェイ
クスピアも、私たちのとはひどくちがった文
明の体系から生まれ、それと複雑にからみあ
った芸術である。それは私たちにわからない
といえないどころか、私たちに強烈に訴えか
け、私たちを心の底から揺すぶり、魅了しつ
くす力に満ちている。【7】だが、わかると
か楽しめる、同感できるとかいうことと、創
造の根源につながるということとは、微妙に
からみあっているが、ちがう次元に属する。
これを明らかにすることは、理論家にとって
も研究家にとっても、そうして私たち芸術に
関心のある文筆業者にとっても、いちばん大
切な仕事に属するだろう。【8】バッハ、モ
ーツァルトとヴァーグナーをもつドイツ人音
楽家、モンテヴェルディと民謡をもつイタリ
ア人、リュリとドビュッシーをもつフランス
人、チャイコフスキーと若しかしたらその前
にグリンカをもったロシア人音楽家たち、こ
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れは彼らの幸福であ り、時には不幸かも知
れない。【9】こういう人々がいたというこ
とが、のちにくる数世紀のそれぞれの国の芸
術を決定づけるのだから。
 どういう文化も、そういうことからは逃れ
がたいのである。そうして、それは芸術家の
創作ばかりでなく、街の人、市民の感受性の
∵規制にまで及んでゆく。【0】ヨーロッパ
にゆくごとに思うのだが、南欧の人々はよく
知らないから別としても、スカンディナヴィ
ア、ドイツからオーストリア、スイス、オラ
ンダ、といった国々 で、花瓶に生けてある
花の束をみれば、それがどれもこれも、根本
的には、十六世紀ネーデルランド画派の天才
ブリューゲル老のあの素晴らしい花の絵にそ
っくりの構成をもっている。ブリューゲルの
花の絵は、後にくる絵画の流れに大きな影響
を及ぼし、それに続く十七、八世紀の画家た
ち、たとえば、花瓶に生けた花束の絵をやた
らとたくさん描いたホイスムたちの原型とな
ったといってもよいのだろうし、この種の絵
は各都市の美術館にゆけばいっぱいある。そ
うして、現代のヨーロッパ人たちが、まるっ
きりこういう絵を見ないで育ったというのは
考えられないことだ。ただ、彼らが今花を生
けるとしても、そういう絵を思い出してする
かどうかは疑わしい。ところが、そうである
にせよ、そうでないにせよ、彼らは花を生け
るとなったら、この四百年前のブリューゲル
から少なくとも二百年前まで連綿とつたわっ
た絵画の伝統にみられる生け方をしてしまう
のである。私は、こういった例を他にも数多
くあげることができ る。

(吉田秀和「ソロモンの歌」より)