長文集  4月2週  ★テレビの教養番組で(感)  wa2-04-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】テレビの教養番組で、アメリカのロ
ボット研究の現状を見た。映像による報告は
さすがになまなましく、あらためて文明の行
方について考えさせられた。科学者たちはじ
つに無邪気に技術の夢を楽しみ、限りなくロ
ボットを人間に近づけようとしているのであ
る。
 【2】研究の一つの方向は、ロボットの精
神的な能力を拡張し、判断力や感情さえ持っ
た機械を造ろうという試みである。外形も二
足歩行の人体に似せ、顔の表情まで再現する
技術が磨かれている。脳の働きをするコンピ
ューターがさらに発達すれば、ロボットが人
間と手をとって街を歩く日も遠くないという

 【3】もう一つの方向は、人間の身体の一
部を機械で置き換え、脳と機械を直結するサ
イボーグ造りの動きである。これはすでに身
体障害者の補助器具として実現していて、肩
の筋肉の指令を受けて動く精妙な義手が発明
されている。【4】光を感受するチップで失
われた視力を回復させたり、衰えた脳のなか
に記憶装置を埋め込む研究も行われている。
この努力の究極の姿は、やがて人体から脳だ
けを残し、四肢や内蔵のすべてを機械で補強
する、人間改造計画に行きつくことになるら
しい。
 【5】見ていてふしぎだったのは、現場の
研究者も評論家も含めて、アメリカの知識人
がこうした研究にきわめて楽天的だというこ
とである。クローン人間の研究にはあれほど
の嫌悪を示し、大統領の禁止勧告まで生んだ
この国の反応とは対照的だというほかはな 
い。【6】クローン人間を忌避させているの
は、人間を神の被造物と見るキリスト教の思
想だろうが、その禁忌が機械的な人間の製 
造、あるいは改造には及ばないことが、印象
深いのである。(中 略)
 まぎれもなく、サイボーグ肯定の思想の背
後にあるのは、近代の脳中心の人間観である
。【7】もっといえば、心と身体を二つに分
け、心は脳に宿っていると考える先入観であ
る。じつは二〇世紀後半の哲学はこれに疑問
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を投げかけ、心と身体の一体性、相互作用を
重視するようになった。しかし、科学者を含
めて大多数の現代人はまだこの二元論を信じ
ていて、身体をとりかえても心の同一性は守
れると感じている。【8】加えて心は脳の専
有物だという、古い常識から逃れられないで
いるのである。∵
 そのうえに大きいのは、現代人が個人の福
祉を絶対視し、現に生きている人の幸福を至
上命令と考えていることである。障害者や高
齢者に補助器具を提供し、身体能力を回復す
ることは正義だという世論を、現代人は疑う
ことはできない。【9】現にサイボーグはそ
ういう善意から研究され始めているのであっ
て、その限りこの研究を現代文明は非難する
ことができない。まだ生まれていない生命、
現に生きていない個人を生もうというクロー
ン技術にはこの世論の追い風がないのである
。【0】
 だが困ったことに、身体能力の回復から改
善までの道はほんの一歩しかない。誰しも自
分の身体を十分だとは思っておらず、十分に
したいと願っているものの、何が十分である
かは誰も知らない。ただ人なみに生きたいと
いうつつましい願いが、とかく人なみを超え
る競争を招くのであって、そのことは今日の
消費生活を見れば明らかだろう。たぶんサイ
ボーグは二十一世紀の「超人」を生むのだろ
うが、それはニーチェの反俗思想ではなく、
平均的生活を求める庶民のいじらしい願望が
もたらすことになりそうなのである。
 こんなことを考えながら、私はべつに警世
の論を張っているつもりはない。いつの時代
にも文明は変わるものであるし、それも合理
的な「進歩」とは無関係に変化するものだろ
う。ただ面白いと思うのは、文明を変えるも
のが必ずしも冒険的な好奇心ではなく、ある
時代にもっとも常識的な社会の通念でありう
るという逆説である。人びとが「危険」な好
奇心を警戒しているうちに、ひそかに安全な
良識がそれ自体の足もとをくつがえしてしま
う。それが人間の悲しさというべきか、それ
こそが尽きない魅力の源泉だというべきだろ
うか。

 (山崎正和の文章による)