1. 【1】過去のわが国の外国語教育は、たしかに読解力と文法のみに重点を置きすぎたといえる。そのため、
哲人カーライルのような文章が書けても、話す方は
赤ん坊に等しい「教養人」が生産されてしまった。しかし、だからといって、発音の方は立派でも、内容
空疎な会話しかできないというのでは、決して国外で尊敬されることにはなるまい。【2】そう考えると、小学校レベルで外国語に親しませるというのは本当に必要だろうか。低学年では、むしろ国語を正確に読み書き話す力をつけるのが先決であり、その
基盤なしに外国語を教えても、
中途半端な根無し草的「国際人」を養成することになりかねない。(中略)
2. 【3】文法や
語彙を重視してきた反動として、近年それらを軽視し、発音や
流暢さだけを追い求める向きがあるが、これは
間違っている。格調ある言葉を使う必要は、日本語でも外国語でも同じである。発音については、あまりひどい片仮名発音は禁物であるが、発音が全く英米人のようである必要はなく、ある程度の
訛りはかまわない。
3. 【4】多少の
訛りは、話している人の文化的アイデンティティーを示しており、世界が多様であることを物語っている。長い国連生活で、私は各国の外交官や国連職員がお
国訛りの英語やフランス語で、堂々と自分の考えを述べるのを聞いてきた。【5】
流暢さより、話す内容の方が、はるかに重要なのである。現行の語学教科書には、学ぶ人の知的水準を無視したものが多く、読者の文学性や
哲学的関心をそそるような教材の使用に努めるべきだろう。
4. 【6】とはいっても、いまの日本の英語教育にもっとも欠けているのはやはり聞き取りと会話の能力であろう。会話に先天的な能力などはなく、中学生の
頃から自分をそうした
環境において、話す能力をつけていくしかあるまい。【7】また日本人の英語教師のすべてに
是非とも海外留学の機会を
与え、本場の英語に
触れさせるべきである。
5. JETプログラム(地方公共団体による外国人教師
招致事業)で英語使用国の数多くの若者が来日しているが、この人たちをもっと本格的に活用し日本人学生の外国人
恐怖心をなくしていくべきだ。∵【8】「ものいわぬは腹ふくるるわざ」だと
兼好法師がいっている。幼少から外国人の中で暮らした少数の人を除いた、多数の日本人にとって、語学習得の近道はない。
恥をかき、反復をいとわずに勉強しながらも、過度に完全主義にならないことだ。【9】なかでも、よい教師や友人にめぐりあい、
刺激をうけることが、学ぶ者にとって大事である。
6. グローバル化とアングロ・サクソン化は
違うのだが、英語を話す人口は約八億人と推定され、その数は増加する一方だ。【0】国際的取引や知的職業に属す人々の
圧倒的多数が英語を話しており、インターネットの導入がそれを加速している。
7. グローバル化にとり残されないために、我々はより効果的な英語教育に
真剣に取り組まなければならない。日本人だけの心地よい以心伝心の世界に安住することは、もはや許されない。
完璧でなくても外国語をあやつり、国境を
超える骨太の論理を
駆使して、他流試合に
挑んでいくたくましさを身につけたいものだ。
8. そのためには、東洋の島国の腹芸と自己満足を
脱却するのが必要である。とはいっても立て板に水を流すように、外国語に
雄弁である必要はない。自分なりの論理とレトリックとユーモアを使って、
訥々とでもよいから相手を説得する努力をすることが大事だ。
9. 第二次大戦後、次々と優れた工業製品を作り出すことで世界の賞賛の的になったわが国は、いま政治、社会、文化、科学など
幅広いソフトウエアの分野において、国際的な対話と共同作業に活発に参加することを求められている。外国語、とりわけ英語は、それを行うため
避けて通れない手段なのである。手段にすぎないとはいえ、それが
不如意なため、わが国の
潜在的能力が過小に評価され、世界の知的潮流に
充分に
貢献できないという結果をもたらしている。思いつきでない
大胆な解決策が、言語教育において
焦眉の急であることは明らかである。
10.(明石康「地球を読む一日本人の英語力」『読売新聞』)