長文集  7月2週  ★盆栽の話を(感)  nnzi2-07-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】盆栽の話をしよう。
 こう切り出せば好事家はともかく、おおか
たの知識人は眉をひそめるに相違ない。【2
】自然の樹の姿をねじまげるのは心ない仕業
だ、のびのびと枝葉を繁らせよ、という自然
主義によって盆栽のサロン芸的矮小性を批判
し、その前近代性をあばく前に、ともかくこ
の高度の園芸術の素性を見定めねばならない

 【3】武蔵野の深い森に囲まれた皇居の一
隅に数百鉢の盆栽を保有する御苑がある。日
本史を飾るお歴々の寄進した逸品ぞろいのな
かに三代将軍徳川家光の愛した五葉の松まで
目にすれば、この国の園芸文化の奥深さにた
だ脱帽するしかない。【4】しかも盆栽愛好
の風潮は権門貴顕に限らず広く市井に浸透し
ている。愛好層の広さと息の長さはやはりた
だごとではない。今日、日本のどんな片田舎
へ行っても一つや二つの盆栽愛好会はあるも
のだ。人口が十万の都会となれば、その数は
十は下らないだろう。
 【5】大衆文化としての盆栽愛好に関する
この連綿たる事実は、戦後、俳句第二芸術論
が知識人を衝撃したにもかかわらず俳句熱は
いっこう衰えるどころか、ますます市井にお
いて盛んなことを想い起こさせる。
 【6】いったい盆栽とは日本の生活史のな
かでどういう位置を占めるのだろうか。
 盆栽の起源についてのこまかな詮索はとも
かく、およそ平安末ないし鎌倉期に発した盆
栽は、中世を通じて庭先の台または縁に置か
れ、庭の築山を背景として楽しむならわしだ
った。【7】その様子を書いた『慕帰絵詞』
などを見ると、盆栽は庭の一部で、しかも濡
れ縁の延長でもある。築山と盆栽の関係は、
あたかも自然の山峰(さんぽう)とそれを借
景した庭のような関係を成している。盆栽は
築山を背景として眺めるものだったらしい。
 【8】また一方、室町期に山峰(さんぽう
)の叙景術として出現した立花は、次第∵に
花への意識を集中させるため抽象性を高めな
がら、一方で花の床(とこ)映りをよくする
ため庭の花影は逆にこれをつとめて抑制させ
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る渋好みの庭園を発展させた。【9】生け花
もまた、庭との関係が常に強く意識されてい
たのだった。つまり、山、借景庭、濡れ縁の
盆栽、床(とこ)の生け花という、野生から
掌中にいたる序列化された自然の鎖が、日本
人の生活空間を貫いていたと思えてならない
。この山水の美的序列は座敷と庭との不即不
離な関係と並行していた。(中略)
 【0】自分の志操を山水に託し、これを胸
中に収めた日本人はたしかに自然を愛したが
、しかし、原始のままの自然を身近に置いた
りはしなかった。自然と人間の間のとり方が
問題であった。
 すなわち、太古の自然は敬して遠ざけ、し
かるのち邸内に築いた庭にこれを借景として
とり入れた。庭はやがて軒下に凝縮されて坪
庭となり、さらに盆栽となる。自然を社会化
するこの流れは、土を払い落とした草木が床
(とこ)の間へ上り、人々が華の幻をそこに
見るまでやまなかった。巧みに巧まれてつい
に身辺へたぐり寄せられた山水は、作法美の
域にいたってようやく人々の掌中に収められ
たのだ。
 生命現象の次元では手つかずの自然は尊い
が、文化現象の話になれば自然は作法化され
なければならなかった。それは人間と自然と
の美的黙約である。

(「風景学・実践篇」(中村良夫)より)