長文 3.3週
1. 【1】そういう「定着文化」というか、うごかないことがよしとされる日本で育ったわたしは、長じてアラビアでのフィールドワークをするようになったとき、そうではない文化、「移動文化」ともいえるものにぶつかり、ある種のショックを受けた。【2】といっても、それは異文化からきたわたしだから「ショック」なので、その人たちにとってはごく当り前のこと。おどろきでもなんでもない。【3】わたしのフィールドのように自然条件・社会条件がきびしいところでは、しんどいことの連続なのだが、こういうおどろき、異質さの魅力みりょくというものに惹かひ れてなんとか今日までやってこられたようにおもう。
2. 【4】アラビアの砂漠さばくでは、昼間の暴君である太陽が、夜のやさしさにその支配権を渡しわた 、やっとおだやかな夜がおとずれると、わたしもみなといっしょにほっとしたものだった。【5】砂の上に横たわり、ねぶくろから顔だけ出してアラビアの星たちと交信するのも、楽しみのひとつだった。研究の対象はもちろん天の星ではなく、地上の遊牧民、ベドウィンだったが、かれらの移動について調査していて、どうもよくわからないことがでてきた。【6】なぜ移動するのだろう。うごく必要はないではないか。水、草、子どもたちの学校、そのほかの生活の条件は同じ、あるいは悪くなるかもしれないのに、うごくことがあるのだ。
3. 【7】このあたりのことは、先に「アラビア・ノート」(NHKブックス、一九七九年)で少しふれたが、「どうしてなの」ときくわたしに、「なにもかもよごれてしまったからね」という答えがかえってきた。これだけではどういうことかよくわからなかった。【8】フィールドワークをしていると、言葉のやりとりだけではわからないことがたくさんあった。当然のことである。人は、言葉だけでわかりあうわけではない。
4. 一年ほどいっしょにくらすうち、砂のまじった食事も気にならなくなるのと同時くらいにかれらの「移動の哲学てつがく」がわかってきた。【9】体系的なものを哲学てつがくとしてもっているわけではないが、かれらは人間がひとつのところにじっとしているのは退行を意味すると感じているのである。
5. ひとつのところで生活をしていると、ごみが出てくるとか、死人が出たというような物理的なよごれもあるのだが、人間の心のほうもよごれてくる、よどんでくるように感じているようなのだ。【0】うごくことによって浄化じょうかされるという感覚をもっている。これはセム族の中に古くからあるものとつながっているようでもある。「旧約∵聖書」にも、荒野あらの放浪ほうろうし、きよめられたもののみカナンの地に入れるという思想がみいだされる。いずれにしろ、うごくことによって浄化じょうかされるのだというおもいが、ふつふつとからだのなかにわいてくるようなところがあるようだ。 (中略)
6. そういう元遊牧民たちだけでなく、オックスフォードやハーバードに留学したようないわゆる「都会の遊牧民」といえるアラビア人たちのなかにも「動の思想」はビルトインされているようである。政府の役人でも、一カ所にじっとしている人は少ない。あちこちに港すなわちオフィスをもっていて、風のように来ては去るのでつかまえるのに苦労する。ポケットベルがよく売れており、コードレス電話も日本で普及ふきゅうするよりはるか前から人びとのあいだで使われていた。よくうごくかれらは、これらを使ってビジネス上の連絡れんらくをとるというよりは、家族や友人、親類と連絡れんらくをとり、おしゃべりを楽しんだりするのである。職をかえることも日常的なことである。
7. 日本人の終身雇用こようの話をすると、目をまるくしておどろき、就職するときに「絶対うごきません」というような契約けいやくをしてしまうのかとたずね、けげんな顔をする。いや、そんな契約けいやくはしないが、ほとんどの人はうごかない、一生、同じ職場で仕事をするのだというと、ますますおどろかれてしまう。
8. からだも心もうごいていくことを前提とするかれらは「ハサブ・ル・ズルーフ」という言葉を日常生活のなかでよく使う。「そのときの状況じょうきょうしだい」という意味である。すべての「時間」は「現在」に集約されると考え、大事なのは、同じ時間を同じ空間でわかちあっているこの瞬間しゅんかん、現在しかないのだという。明日はこうしようとおもっていても、次の朝起きてみると状況じょうきょうがうごいているかもしれない。母が危篤きとくとか、本人が熱を出したとか、そういうときはその状況じょうきょうにしたがって行動するしかない。そこで約束事には、日本では悪名高い「インシャーアッラー」(神の意志あらば)という言葉をそえて処方箋しょほうせんとする。人間の意志だけで、ものごとはうごくわけではない。昨日が今日をしばることもできない。晴耕雨読感覚で生きるということになるだろうか。
9. それでは困ると考えられるときには、第二の処方箋しょほうせん契約けいやくにもち∵こむ。古来より、こいの詩歌を愛し、ロマンスをこのむアラビア人だが、こいほのおもうつろうことを認識している。うつろうからこそロマンティックなのだと考えているようである。そこであらかじめ、うつろったときのことを考えて、結婚けっこん契約けいやくとする。離婚りこんにいたったときの処置も決めておくのである。結婚けっこん契約けいやく書をとりかわし、そこに契約けいやく解除のときの具体的事項じこうもかきこまれるのだ。
10. カナダのエジプト人調査のおり、手に入れたムスリム(イスラーム教徒)の結婚けっこん契約けいやく書にも、解約事項じこうをかきいれるらんが大きくあけられてあった。
11. 「うごく」あるいはうつろうことを前提とした書類と、さきにのべた「うごかない」ことを前提とした日本の書類とをくらべてみると、文化の差異が象徴しょうちょう的にわかるようにおもう。アラビアから地理的にたいへん遠いカナダにまで、さかんに移動していることを知ったのもおどろきであったが、そのような遠隔えんかく地で、しかも文化のまったく異なる環境かんきょうにあっても、自分たちの「動の文化」を大切にして生きている人たちがいることを、フィールドワークは、あきらかにしてくれたのだった。

12. (片倉もとこ「『移動文化』考イスラームの世界をたずねて」)