1. 【1】そういう「定着文化」というか、うごかないことがよしとされる日本で育ったわたしは、長じてアラビアでのフィールドワークをするようになったとき、そうではない文化、「移動文化」ともいえるものにぶつかり、ある種のショックを受けた。【2】といっても、それは異文化からきたわたしだから「ショック」なので、その人たちにとってはごく当り前のこと。おどろきでもなんでもない。【3】わたしのフィールドのように自然条件・社会条件がきびしいところでは、しんどいことの連続なのだが、こういうおどろき、異質さの
魅力というものに
惹かれてなんとか今日までやってこられたようにおもう。
2. 【4】アラビアの
砂漠では、昼間の暴君である太陽が、夜のやさしさにその支配権を
渡し、やっとおだやかな夜がおとずれると、わたしもみなといっしょにほっとしたものだった。【5】砂の上に横たわり、ねぶくろから顔だけ出してアラビアの星たちと交信するのも、楽しみのひとつだった。研究の対象はもちろん天の星ではなく、地上の遊牧民、ベドウィンだったが、かれらの移動について調査していて、どうもよくわからないことがでてきた。【6】なぜ移動するのだろう。うごく必要はないではないか。水、草、子どもたちの学校、そのほかの生活の条件は同じ、あるいは悪くなるかもしれないのに、うごくことがあるのだ。
3. 【7】このあたりのことは、先に「アラビア・ノート」(NHKブックス、一九七九年)で少しふれたが、「どうしてなの」ときくわたしに、「なにもかもよごれてしまったからね」という答えがかえってきた。これだけではどういうことかよくわからなかった。【8】フィールドワークをしていると、言葉のやりとりだけではわからないことがたくさんあった。当然のことである。人は、言葉だけでわかりあうわけではない。
4. 一年ほどいっしょにくらすうち、砂のまじった食事も気にならなくなるのと同時くらいにかれらの「移動の
哲学」がわかってきた。【9】体系的なものを
哲学としてもっているわけではないが、かれらは人間がひとつのところにじっとしているのは退行を意味すると感じているのである。
5. ひとつのところで生活をしていると、ごみが出てくるとか、死人が出たというような物理的なよごれもあるのだが、人間の心のほうもよごれてくる、よどんでくるように感じているようなのだ。【0】うごくことによって
浄化されるという感覚をもっている。これはセム族の中に古くからあるものとつながっているようでもある。「旧約∵聖書」にも、
荒野を
放浪し、きよめられたもののみカナンの地に入れるという思想がみいだされる。いずれにしろ、うごくことによって
浄化されるのだというおもいが、ふつふつとからだのなかにわいてくるようなところがあるようだ。 (中略)
6. そういう元遊牧民たちだけでなく、オックスフォードやハーバードに留学したようないわゆる「都会の遊牧民」といえるアラビア人たちのなかにも「動の思想」はビルトインされているようである。政府の役人でも、一カ所にじっとしている人は少ない。あちこちに港すなわちオフィスをもっていて、風のように来ては去るのでつかまえるのに苦労する。ポケットベルがよく売れており、コードレス電話も日本で
普及するよりはるか前から人びとのあいだで使われていた。よくうごくかれらは、これらを使ってビジネス上の
連絡をとるというよりは、家族や友人、親類と
連絡をとり、おしゃべりを楽しんだりするのである。職をかえることも日常的なことである。
7. 日本人の終身
雇用の話をすると、目をまるくしておどろき、就職するときに「絶対うごきません」というような
契約をしてしまうのかとたずね、けげんな顔をする。いや、そんな
契約はしないが、ほとんどの人はうごかない、一生、同じ職場で仕事をするのだというと、ますますおどろかれてしまう。
8. からだも心もうごいていくことを前提とするかれらは「ハサブ・ル・ズルーフ」という言葉を日常生活のなかでよく使う。「そのときの
状況しだい」という意味である。すべての「時間」は「現在」に集約されると考え、大事なのは、同じ時間を同じ空間でわかちあっているこの
瞬間、現在しかないのだという。明日はこうしようとおもっていても、次の朝起きてみると
状況がうごいているかもしれない。母が
危篤とか、本人が熱を出したとか、そういうときはその
状況にしたがって行動するしかない。そこで約束事には、日本では悪名高い「インシャーアッラー」(神の
御意志あらば)という言葉をそえて
処方箋とする。人間の意志だけで、ものごとはうごくわけではない。昨日が今日をしばることもできない。晴耕雨読感覚で生きるということになるだろうか。
9. それでは困ると考えられるときには、第二の
処方箋、
契約にもち∵こむ。古来より、
恋の詩歌を愛し、ロマンスをこのむアラビア人だが、
恋の
炎もうつろうことを認識している。うつろうからこそロマンティックなのだと考えているようである。そこであらかじめ、うつろったときのことを考えて、
結婚も
契約とする。
離婚にいたったときの処置も決めておくのである。
結婚契約書をとりかわし、そこに
契約解除のときの具体的
事項もかきこまれるのだ。
10. カナダのエジプト人調査のおり、手に入れたムスリム(イスラーム教徒)の
結婚契約書にも、解約
事項をかきいれる
欄が大きくあけられてあった。
11. 「うごく」あるいはうつろうことを前提とした書類と、さきにのべた「うごかない」ことを前提とした日本の書類とをくらべてみると、文化の差異が
象徴的にわかるようにおもう。アラビアから地理的にたいへん遠いカナダにまで、さかんに移動していることを知ったのもおどろきであったが、そのような
遠隔地で、しかも文化のまったく異なる
環境にあっても、自分たちの「動の文化」を大切にして生きている人たちがいることを、フィールドワークは、あきらかにしてくれたのだった。
12. (片倉もとこ「『移動文化』考イスラームの世界をたずねて」)