長文集  4月3週  ★現代の「南」の人びとの(感)  wa2-04-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】現代の「南」の人びとの大部分が貧
困であることは事実 だ。けれどもそれは、
GNPが低いから貧困であるのではない。G
NPを必要とするシステムの内に投げ込まれ
てしまった上で、GNPが低いから貧困なの
である。
 【2】自分たちの生きるために必要なもの
を自分たちの手で作るということを禁止され
たあのドミニカの農民たちは、こういう「 
南」の人たちすべての「貧困」の構造の赤裸
々に短縮された典型であるにすぎない。【3
】「南の貧困」をめぐる思考は、この第一次
の引き離し、GNPへの疎外、原的な剥奪を
まず視界に照準しなければならない。
 一九八八年のアメリカには、約三一〇〇万
人の人びとが貧困ライン以下の生活をしてい
たという。この「貧困ライン」とは、四人世
帯で年収一万二〇〇〇ドル強にみたない生活
であるという。【4】この線は、「南の貧困
」を論じる時に世界銀行等が用いる、一人あ
たり年間三七〇ドルという線とは、ずいぶん
開きがあるようにみえる。この「ダブル・ス
タンダード」は、「豊かな国」のぜいたくと
偏見にみちた基準と考えることができるだろ
うか?
 【5】ある部分までは、そういう「ぜいた
くと偏見」が存在すると考えていいかもしれ
ない。けれどもたとえば、アメリカ国勢調査
局の記述によると、一九七二年には「少なく
とも一〇〇〇万から一二〇〇万のアメリカ国
民が、あまりにもわずかしか食費にまわせな
いために、空腹に苦しんでいるか、あるいは
病気にかかってい  る。」
 【6】これは収入の数字ではなく、実際に
食物が手に入らないという数字である。巴馬
瑶族(ばまやおぞく)の村人は四八〇〇円の
年収で豊かに生きることができるが、ニュー
ヨークや東京の住民はその一〇倍でも、ほと
んど生きていくことができない。これは単な
るぜいたくや偏見の問題ではない。
 【7】アジアやアフリカの多くの村々でテ
レビのないことは少しも貧困ではないが、東
京やパリやニューヨークでテレビのないこと
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は貧困である。ロスアンジェルスで自動車の
ないことは、「ノーマルな市民」としての生
活がほとんど出来ないということである。
 【8】この新しい貧困の形を説明しようと
する理論が一般に用いる用語法は、「絶対的
貧困」と「相対的貧困」というコンセプトで
ある。「南」の貧困は絶対的な貧困であるが
、「豊かな社会」の内部にも相対的な貧困が
ある、というわけである。∵「相対的」とい
う言い方は、「豊かな社会」の内部の貧困を
的確に把握する仕方だろうか?
 【9】すでに見たように、東京やニューヨ
ークでは、巴馬瑶族(ばまやおぞく)の一〇
倍の所得があってもじっさいに「生きていけ
ない」。これは隣人との比較や不平等一般の
問題ではなく、絶対的な必要を充足すること
が出来ないということである。【0】
 電話がなくても人間は生きることができる
が、一九九〇年代の東京で電話がないという
家族は、義務教育の公立学校の「連絡網」か
らも脱落する(「特別な処置」ではじめて「
救済」される)存在である。つまりその生き
ている社会の中で「ふつうに生きる」ことが
出来ない。
 これらは「羨望」とか「顕示」といった心
理的な問題ではなく、この社会のシステムに
よって強いられる客観性であり、構造の定義
する「必要」の新しい地平の絶対性である。
 「貧困」のコンセプトは二重の剥奪である
ということを、「南の貧困」に即して見てき
た。貨幣からの疎外という目に見える規定の
以前に、貨幣への疎外という目に見えない規
定があると。このコンセプトは、形態をまっ
たく異にするようにみえる「北の貧困」にも
そのまま当てはまる。第一次的な剥奪の巨大
であることに応じて、「必要」のラインを定
義する貨幣の数量も巨大なものとなる。第一
次的な剥奪の重層的であることに応じて、「
必要」であることの根拠も重層的となってい
る。
 現代の情報消費社会のシステムは、ますま
す高度の商品化された物資とサービスに依存
することを、この社会の「正常な」成員の条
件として強いることをとおして、原的な必要
の幾重にも間接化された充足の様式の上に、
「必要」の常に新しく更新されてゆく水準を
設定してしまう。新しいしかし同様に切実な
貧困の形を生成する。

 (見田宗介(そうすけ)「現代社会の理論
」による)