1. 【1】第四に、お米はせまい土地でも、たくさんつくることができました。そのうえ、毎年毎年おなじように、つくることができました。
2. 土は生きものです。つかえば、そのぶんやせていきます。
3. 【2】たとえばヨーロッパでは、小麦をつくります。でも、毎年毎年おなじ畑につくることはできません。一年畑をつかったら、あとの二年は
牧草地にしたり、
肥料になる作物を植えたりして、土地を休ませます。そんなふうにして土の力を
回復させてから、つぎの年、また小麦を植えるのです。
4. 【3】ところが日本ではおなじ土地に、毎年毎年、お米がつくれます。もう二千年も、それ
以上もの年月、そのようにして米づくりがつづけられてきたのです。日本へきたヨーロッパの
専門家たちは、「
信じられない。」と、びっくりするほどです。
5. 【4】そのひみつは水田の「水」にあります。水田に引かれる水には、川が山から運んできた森林のゆたかな土の
養分がふくまれていて、たえず土をおぎなってくれたからでした。
6. 第五に、お米は、おいしかったのです。
7. 【5】お米そのものがおいしいから、おかずをあまり気にせずにすみました。
梅干しや、ほんのわずかのつけものなどがあれば、ごはんを食べるだけで十分
満足できました。
8. こんなにもたくさんの、長所をもっているお米。
9. 【6】ですからお米は、いまも、「世界のあらゆる
食糧の中で、もっとも理想
的なもの。」といわれています。
10. そんなすばらしいいねが、やってきたのです。
11.
縄文時代のおわりごろのことでした。
12. いねは、海のむこうから、やってきたのでした。
13. 【7】お米には大きくわけて、ジャポニカとインディカという二つの
種類があります。まるくてねばりがあるのがジャポニカで、わたしたちの食べているお米です。これに対して、長くてばさばさしているのがインディカで、日本
以外の多くの人たちが、食べているお米です。∵
14. 【8】そのジャポニカのふるさとは、中国の
長江(
揚子江)の
流域だとみられています。
15. 中国の古都、
紹興の近くに、
河姆渡遺跡という
遺跡があります。【9】この
遺跡からは七千年もむかしのいねが発見されているのです。ですから、このあたりでつくられていたいねが東へ東へと
伝えられ、人と
技術といっしょに海をわたって、日本へやってきたのかもしれません。【0】
16. (
富山和子
著「お米は生きている」より)