ムベ3 の山 12 月 3 週
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○自由な題名
○根
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★吉を、どのような人間に
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吉(きち)を、どのような人間にしたてるかということについて、吉(きち)の家では晩餐後、毎夜のように議論された。またその話がはじまった。吉(きち)は牛にやる雑炊をたきながら、しばの切れ目からぶくぶく出るあわをじっとながめていた。
「やっぱり吉(きち)を大阪へやるほうがいい。十五年もしんぼうしたなら、のれんがわけてもらえるし、そうすりゃ、あそこだからすぐにお金もうけもできるし。」
そう父親がいうのに母親はこう答えた。
「大阪は水が悪いというからだめだめ。いくらお金をもうけても、早く死んだらなんにもならない。」
「百姓させればいい、百姓を。」と、兄はいった。
「吉(きち)は手工が甲(こう)だから、信楽(しがらき)へお茶わんを作りにやるといいのよ。あの職人さんほど、いいお金もうけをする人はないっていうし。」
そう口をいれたのは、ませた姉である。
「そうだ、それもいいな。」と、父親はいった。
母親はだまっていた。
(中略)
その日、吉(きち)は学校で三度教師にしかられた。
最初は算数の時間で、仮分数を帯分数になおした分子をきかれたときに、だまっていたので、
「そうれ見よ。おまえはさっきから窓ばかりをながめていたのだ。」と教師ににらまれた。
二度めのときは習字の時間である。そのときの吉(きち)の半紙の上には、字が一字も見あたらないで、お宮の前のこまいぬの顔にも似ていれば、まだ人間の顔にも似つかわしい三つの顔が書いてあった。そのどの顔も、笑いを浮かばせようとほねおった大きな口の曲線が、いくども書きなおされてあるために、まっ黒くなっていた。
三度めのときは学校のひけるときで、みんなの学童が包みをしあげて礼をしてから出ようとすると、教師は吉(きち)をよびとめて、もういちど礼をしなおせとしかった。
家へ走り帰るとすぐ吉(きち)は、鏡台の引き出しから油紙に包んだかみそりを取り出して、人目につかない小屋の中でそれをみがいた。とぎおわると軒へまわって、積みあげてある割り木をながめていた。∵それからまた庭へはいって、もちつき用のきねをなでてみた。が、またふらふら、ながしもとまでもどってくると、まないたをうらがえしてみたが、急に井戸ばたのはねつるべの下へ走っていった。
「これはうまいぞ、うまいぞ。」
そういいながら吉(きち)は、つるべのしりのおもりにしばりつけられた、けやきのまるたを取りはずして、そのかわりには石をしばりつけた。
しばらくして吉(きち)は、そのまるたを三、四寸も厚みのある、はばひろい長方形のものにしてから、それといっしょに、えんぴつとかみそりとを持って屋根うらへのぼっていった。
一月もたつと四月がきて、吉(きち)は学校を卒業した。
しかし、すこし顔色の青くなったかれは、まだかみそりをといでは屋根うらへかよいつづけた。そしてそのあいだもときどき家のものらは、ばんめしのあとの話のついでに吉(きち)の職業を選びあった。が、話はいっこうにまとまらなかった。