長文 7.4週
1. 【1】社会的固定化と儀礼ぎれい化がすでに深く武士の生活様式をとらえていた享保きょうほ年代に、かつての戦国華やかはな  なりし武士道を無限のノスタルジアを含めふく て回想した山本常朝の『葉隠はがくれ』を見ても(そこでは、戦国武士の解放性と溌剌はつらつ性が歪めゆが られてかげにこもった色調に蔽わおお れているとはいえ)、【2】その強調する主君への純粋じゅんすい無雑な忠誠と「献身けんしん」が、けっして権威けんいへの消極的な恭順きょうじゅんではなくて、むしろ卑屈ひくつな役人根性や大勢順応主義に対して、吐き気は けをもよおすばかりの嫌悪けんお感に裏うちされ、学問と教養の静態的な享受きょうじゅにたえず抵抗ていこうする行動的エネルギーを内包し、【3】中庸ちゅうようでなくて「過度」、謙譲けんじょうでなくて「大高慢こうまん」、――要するに「気力も器量も入らず候。一口に申さば、御家おいえを一人してになひ申す志出来申すまでに候。同じ人間がだれ劣りおと 申すべきや。【4】惣じてそう  修行は大高慢こうまんにてなければ役に立たず候」というような非合理的主体性とでもいうべきエートスに貫かつらぬ れていることを看過してはならないだろう。【5】ここでは御家おいえの「安泰あんたい」は既成きせいの「和」の維持いじではなくて、行動の目標となる。こうした側面はとくに集団の危機感に触発しょくはつされた際に奔騰ほんとうする。【6】忠誠が真摯しんし熱烈ねつれつであるほど、かえって、「分限」をそれぞれまもる形での静態的な忠誠と、緊急きんきゅうの非常事態に際して分をこえて「お家」のために奮闘ふんとうするダイナミックな忠誠とが、生身をひきさくような相剋そうこくをひとりのたましいのなかにまきおこすのである。
2. 【7】たしかに徳川三百年の「文治」主義と「天下泰平たいへい」とは武士の家産官僚かんりょう化を広汎こうはん押しお すすめ、後期に至っては忠誠の形式化と偽善ぎぜん化をもたらした。【8】けれども幕末の動乱と切迫せっぱくした対外的危機意識は、「封建ほうけん的忠誠」のなかに潜在せんざいしていた、さきのような名誉めいよと責任感、それと結びついた「行動主義」を奔騰ほんとうさせる最後のチャンスをよびおこすこととなるのである。【9】いわゆる激派浪士ろうしたちの行動様式に戦国乱世の「豪傑ごうけつ」的気概きがい奔放ほんぽう性とが再現していると∵するならば、他方でたとえば吉田よしだ松陰しょういんに見られる「没我ぼつが的」忠誠と主体的自律性、絶対的帰依きえの感情と強烈きょうれつ実践じっせん性との逆説的な結合のうちには、あきらかに『葉隠はがくれ』的なエートスに通じる伝説を窺ううかが ことができる。
3. 【0】さきに述べたように、武士の存在形態の変質と封建ほうけん的階層制の全国的な系列化は、社会的結合のベルトを、主従の「ちぎり」や「情誼じょうぎ」といった直接的人格関係に放置することを許さなくなり、そこに「諸侯しょこう」とか「卿大夫けいたいふ」とか「士」とかいった古典中国に由来する組織のカテゴリーが大規模に登場して、五倫ごりん五常が体制倫理りんりにまで拡大されてゆく客観的な基盤きばんがあった。けれども、一方で武士のエートスが家産官僚かんりょう的精神のなかに完全には吸収されなかったように、他方で儒教じゅきょう的世界像の浸透しんとうもけっしてたんに「封建ほうけん的忠誠」の静態化、固定化の役割だけを演じたわけではない。むしろ一般いっぱん的に言って、日本の思想史において、人間または集団への忠誠と関連しながら、しかもそれと区別された原理への忠誠を教えたのは、やはり中国の伝統的範疇はんちゅうである道もしくは天道の観念であった。仏教の「法」の観念も、その元来の世界宗教の本質からすれば、儒教じゅきょう以上に普遍ふへん主義的な原理への忠誠をもたらしてよいはずであるが、仏教哲学てつがく自体に積極的な社会倫理りんりとしての側面が比較ひかく的に稀薄きはくなことと、とくに日本仏教の伝統的性格のために、人間行動への独自な規範きはん拘束こうそく力はそれほど大きいとはいえない。神「道」や仏「道」は、公然もしくは隠然いんぜんと、「聖人の道」をとりこみ、これと癒着ゆちゃくしたかぎりで人倫じんりんの原理となりえたのである。

4.(丸山眞男まさお『忠誠と反逆』による)