1. 【1】社会的固定化と
儀礼化がすでに深く武士の生活様式をとらえていた
享保年代に、かつての戦国
華やかなりし武士道を無限のノスタルジアを
含めて回想した山本常朝の『
葉隠』を見ても(そこでは、戦国武士の解放性と
溌剌性が
歪められて
陰にこもった色調に
蔽われているとはいえ)、【2】その強調する主君への
純粋無雑な忠誠と「
献身」が、けっして
権威への消極的な
恭順ではなくて、むしろ
卑屈な役人根性や大勢順応主義に対して、
吐き気をもよおすばかりの
嫌悪感に裏うちされ、学問と教養の静態的な
享受にたえず
抵抗する行動的エネルギーを内包し、【3】
中庸でなくて「過度」、
謙譲でなくて「大
高慢」、――要するに「気力も器量も入らず候。一口に申さば、
御家を一人して
荷ひ申す志出来申す
迄に候。同じ人間が
誰に
劣り申すべきや。【4】
惣じて修行は大
高慢にてなければ役に立たず候」というような非合理的主体性とでもいうべきエートスに
貫かれていることを看過してはならないだろう。【5】ここでは
御家の「
安泰」は
既成の「和」の
維持ではなくて、行動の目標となる。こうした側面はとくに集団の危機感に
触発された際に
奔騰する。【6】忠誠が
真摯で
熱烈であるほど、かえって、「分限」をそれぞれまもる形での静態的な忠誠と、
緊急の非常事態に際して分をこえて「お家」のために
奮闘するダイナミックな忠誠とが、生身をひきさくような
相剋をひとりの
魂のなかにまきおこすのである。
2. 【7】たしかに徳川三百年の「文治」主義と「天下
泰平」とは武士の家産
官僚化を
広汎に
押しすすめ、後期に至っては忠誠の形式化と
偽善化をもたらした。【8】けれども幕末の動乱と
切迫した対外的危機意識は、「
封建的忠誠」のなかに
潜在していた、さきのような
名誉と責任感、それと結びついた「行動主義」を
奔騰させる最後のチャンスをよびおこすこととなるのである。【9】いわゆる激派
浪士たちの行動様式に戦国乱世の「
豪傑」的
気概と
奔放性とが再現していると∵するならば、他方でたとえば
吉田松陰に見られる「
没我的」忠誠と主体的自律性、絶対的
帰依の感情と
強烈な
実践性との逆説的な結合のうちには、あきらかに『
葉隠』的なエートスに通じる伝説を
窺うことができる。
3. 【0】さきに述べたように、武士の存在形態の変質と
封建的階層制の全国的な系列化は、社会的結合のベルトを、主従の「
契」や「
情誼」といった直接的人格関係に放置することを許さなくなり、そこに「
諸侯」とか「
卿大夫」とか「士」とかいった古典中国に由来する組織のカテゴリーが大規模に登場して、
五倫五常が体制
倫理にまで拡大されてゆく客観的な
基盤があった。けれども、一方で武士のエートスが家産
官僚的精神のなかに完全には吸収されなかったように、他方で
儒教的世界像の
浸透もけっしてたんに「
封建的忠誠」の静態化、固定化の役割だけを演じたわけではない。むしろ
一般的に言って、日本の思想史において、人間または集団への忠誠と関連しながら、しかもそれと区別された原理への忠誠を教えたのは、やはり中国の伝統的
範疇である道もしくは天道の観念であった。仏教の「法」の観念も、その元来の世界宗教の本質からすれば、
儒教以上に
普遍主義的な原理への忠誠をもたらしてよいはずであるが、仏教
哲学自体に積極的な社会
倫理としての側面が
比較的に
稀薄なことと、とくに日本仏教の伝統的性格のために、人間行動への独自な
規範的
拘束力はそれほど大きいとはいえない。神「道」や仏「道」は、公然もしくは
隠然と、「聖人の道」をとりこみ、これと
癒着したかぎりで
人倫の原理となりえたのである。
4.(丸山
眞男『忠誠と反逆』による)