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a 長文 4.2週 1a
 私は最近、九十歳(さい)を越え(こ )ていまなお活躍(かつやく)しているある人が書いたものを読んで、大変感銘(かんめい)を受けた。
 ご老人は功成り名遂げ(と )た人だから、多分日常は快適な環境(かんきょう)の中で暮らしておられるのだろう。だが、ご老人は毎朝冷水を浴びることを一日も欠かしたことがないという。朝起きて、大気と十度以上も差のある冷水を浴びる。毛穴がすぼまり、血管が引き締まる(ひ し  )。その刺激(しげき)がその人の生物体としての適応能力をよみがえらせる。快適な毎日にあって、一時でも厳しい環境(かんきょう)の中に身を置くことで、生物体としての適応能力を刺激(しげき)する地道な営みが、ご老人が九十歳(さい)を越え(こ )てもなお元気に活躍(かつやく)している一つの要因になっているのだろう。
 いま、私は家で鯉(こい)を飼っている。鯉(こい)や金魚を飼っている人は多いが、聞いてみると、よく死なせている。私は自慢(じまん)ではないが、鯉(こい)も金魚も信じられないほど長生きさせることができる。いや、自慢(じまん)するほどのことはない。カレルの理論を応用しているだけなのだ。
 そのコツは餌(えさ)を十分にやらないことである。ときには一週間わざと餌(えさ)を与え(あた )なかったりする。いま飼っている鯉(こい)は、これで攻撃(こうげき)的なエネルギーを発揮し、元気いっぱいに長生きしている。
 餌(えさ)を十分にもらえないことは、鯉(こい)にとって快適な環境(かんきょう)ではない。いささかの飢餓(きが)状態に置かれている。これが鯉(こい)に攻撃(こうげき)的なエネルギーを与え(あた )、元気に長生きさせる要因なのだ。反対に十分な餌(えさ)を与える(あた  )と、適応能力が刺激(しげき)されず、生物体の価値を低めてしまって、早く死んでしまうことになる。
 最近は犬でも猫(ねこ)でも栄養満点のペットフードを与え(あた )られ、満ち足りているようである。かつて猫(ねこ)と言えば高い木や塀(へい)に登り、鼠(ねずみ)を獲る(と )ものと相場が決まっていた。ところが、いまの猫(ねこ)は木にも塀(へい)にも登らなくなったし、鼠(ねずみ)も獲(と)らなくなった。栄養満点で飢餓(きが)を知らず、空調冷暖房(れいだんぼう)完備の部屋でヌクヌクと寝そべっ(ね   )ているうち、
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適応能力が失われ、木にも塀(へい)にも登れなくなったし、鼠(ねずみ)を獲る(と )こともできなくなったのである。満ち足りた環境(かんきょう)の中に長くいると、適応能力が衰え(おとろ )たまま、固有の能力も退化してしまうのである。
 そう言えば、盆栽(ぼんさい)の名人からいい盆栽(ぼんさい)を育てるコツは、「切りすぎずに切る」ことだと教えられたことがある。植物を限られた状況(じょうきょう)に置くのが盆栽(ぼんさい)である。だから、そのままにしておくと盆栽(ぼんさい)はすぐだめになってしまう。枝を切ることで適応能力が奮い起こされ、いい盆栽(ぼんさい)になるのである。
 人間もまた、同じである。アレキシス・カレルは要旨(ようし)、次のように言っている。「食うだけ食って、寝(ね)たいだけ寝(ね)て、人間の向上などはあり得ない」
 まさにその通りだと思う。
 眠たい(ねむ  )のを振り切っ(ふ き )て起き上がったことのない青年が、将来物の役に立つ人間になるとは思えない。眠り(ねむ )というのは生物の個体にとって極めて重要で、これが極度に妨げ(さまた )られると、生命の危険にさえ立ちいたる。逆に眠り(ねむ )たいだけ眠っ(ねむ )て満ち足りると、生物の個体はそれ以上は眠れ(ねむ )ない。生物体は生物学的に必要があるから、必要な分だけ眠る(ねむ )のだから、「惰眠(だみん)」などということはないはずである。それなのに「惰眠(だみん)をむさぼる」などと言う。なぜか。
 眠り(ねむ )たいだけ眠る(ねむ )ことは、生物体の適応能力を刺激(しげき)しないだけでなく、精神の適応能力にも、響い(ひび )てくるのである。眠り(ねむ )に満ち足りると、生物の個体は何かに向かって努力するという気持ちを失ってしまうのだ。従って、眠り(ねむ )たいだけ眠る(ねむ )ことは「惰眠(だみん)」なのである。
 眠い(ねむ )のを振り切っ(ふ き )て起きた経験がなくて、向上した人間はいない。これは肝(きも)に銘ず(めい )べきことである。向上して将来大いに世の中の役に立つ学生は、いま眠い(ねむ )のを振り切っ(ふ き )て机に向かい、勉強しているはずである。 (「致()知」渡部(わたなべ)昇一(しょういち)氏の文章より)
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a 長文 4.3週 1a
 経済の原点である産業構造は時代とともに変化する。日本の場合、第二次大戦後の混乱期が終わってどうやら経済が成長に移りはじめた一九五二年頃(ころ)の最大の産業は農業であって、その規模は十六・二%のシェアを占め(し )ていた。これに対して、製造業は一四・五%であった。だからその頃(ころ)の日本は農業国であったわけである。それ以降日本では急速に製造業の規模が拡大していって、年度にもよるが三〇%前後のレベルにまで成長した。一方、農業は二・二%に減少している。この間各産業の就業人口の数ももちろん変化した。
 このように日本の経済では製造業が牽引(けんいん)力になってきたことは確かだが、産業別に見ると、その中には急速に成長したものもあれば衰退(すいたい)していったものもある。アルミ精錬(せいれん)は一時アメリカに次ぐ世界第二の規模であったが、二度のオイルショックによる電力料金の高騰(こうとう)によって、自家水力発電によるもの以外は姿を消した。
 経済の原点である産業構造は時代とともに当然変化していく。日本の場合、第二次大戦後、政府はまず経済を建て直すために基幹産業として石炭、造船、続いて鉄鋼といったものを選んだ。そのなかには、実はアルミ精錬(せいれん)も入っていたのである。
 ところが、時代とともに技術は変わっていく。たとえば、日本の家電産業というのは世界のトップを走っているけれど、戦後間もなくはラジオを主につくっていた。これは戦争で破壊(はかい)され尽くし(つ  )た日本の家庭の中で、まずその頃(ころ)の最も近代的なメディアはラジオであったからである。しかし、ラジオは普及(ふきゅう)し終わる。
 次に出てきたのは白黒テレビである。白黒テレビがひとわたり行き渡っ(い わた )たところでカラーテレビが出てくる。カラーテレビはかなり長く続いたが、それでもやがて普及(ふきゅう)が行き渡る(い わた )。その次に引き続いて出てきたのはビデオである。そして、その次にビデオカメラ、こういった調子で日本の家電メーカーは主力商品を次から次へと移してきている。これを大雑把(おおざっぱ)にいうと、一〇年で新しい商品と入れ代わっているということを読み取ることができるのである。
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 このところ、日本のテレビメーカーが海外に生産拠点(きょてん)を移した。そのためもあって、国内生産よりも海外の生産のほうが多くなった。これを産業の空洞(くうどう)化という言い方をする人がある。しかし、これは私にいわせると、非常に短絡(たんらく)的な、近視眼的な見方である。このように成熟した技術は、むしろそういった途上(とじょう)国に持って行くべきである。その地域ではまだこの種の新しい家電製品、その他が普及(ふきゅう)していない。そして、その日本の企業(きぎょう)は次の世代の製品をつくればいいわけである。現実にそれが続いている。
 それだけに、日本の企業(きぎょう)というのは研究開発投資を必死でやっている。日本の製造業は過去三〇年の間に売上金額が約三倍になっている。ところが、この間に研究開発投資が一〇倍増えているのである。このような努力を続けることだけが、日本の製造業を末永く維持(いじ)するエネルギーになるのである。
 (「日本・陽は必ず昇る(のぼ )」唐津(からつ)一 PHP研究所より)
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a 長文 5.1週 1a
 地球が抱える(かか  )これからの課題というと、一般(いっぱん)的に誰(だれ)の頭にも浮かぶ(う  )のが地球規模で進む人口の爆発(ばくはつ)的増加と、これに対応できるかどうかの食糧(しょくりょう)生産の可能性、さらにはエネルギー消費の増大、人々の生活の高度化による廃棄(はいき)物の増大といったことになるが、それが日本国内ということになると様子がいささか変わってくる。出生率の低下から日本の人口についてはむしろその減少ということが問題になるので、地球規模で語られる話とは様子が変わってくる。エネルギーにしても、日本で実証炉(ろ)が動くことになっている核(かく)融合(ゆうごう)がモノになれば事態は一変する。
 そこでここでは日本を中心とした話題をまず取り上げ、その上で地球規模で展開しつつある各種の問題と、これに対応する技術の動きという順序で検討していくことにする。
 まず人が生きていくには食糧(しょくりょう)がいるが、日本の自然的条件としては、国内での自給自足は可能である。それには現在までの状況(じょうきょう)はすべて無視して、食糧(しょくりょう)生産の原点から考えてみると全く別な姿が見えてくる。
 農業の場合まず必要なのはもちろん土地だが、日本列島の土質は幸いなことに農業には最も向いている。スペインの上を飛ぶと、どこまで行っても赤茶けた埃(ほこり)(ほこり)だらけの粘土(ねんど)質の土地が続いて、これではオリーブかせいぜい葡萄(ぶどう)くらいしかできないことがすぐわかる。ところが日本列島は飛行機で飛ぶと南から北まで緑滴る(したた )島である。
 次は水だが、周囲が海に囲まれているおかげで欧州(おうしゅう)の平均値の二倍から三倍は雨が降る。
 最後に太陽だが、亜熱帯(あねったい)のおかげで欧州(おうしゅう)とは比べものにならないくらいに日照時間は長い。つまり農業の原点である土地と水と太陽がこれだけそろっている。それでいながら日本の農業がとやかくいわれるとしたら、明らかに人災であって天災では絶対にない。その証拠(しょうこ)はいくらでもある。
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 まず食糧(しょくりょう)の基本は穀類であるが、日本は音から瑞穂(みずほ)の国といわれるように米作については世界でも珍しい(めずら  )ぐらいによい条件を持っている。米という作物は同じ場所で連続してつくっても、地力が衰える(おとろ  )ことがない。
 一般(いっぱん)的にいって、植物というのは一回その場所で実をみのらせると、地力が枯れ(か )てしまって、あと何年かはその場所ではつくれないことがある。ところが米は連作がきく非常に便利な作物である。
 しかも、日本の米作技術は長い間の積み上げによって、世界のトップレベルをいっている。現に日本から現在途上(とじょう)国に派遣(はけん)されているOECDの援助(えんじょ)による技術指導員の中には、米作をその地域に伝えるための人々が圧倒的(あっとうてき)に多い。それは、よくいわれる食糧(しょくりょう)危機に備えるために、途上(とじょう)国に日本の米作技術を伝えるということで、先方からの熱い要請(ようせい)によって行っているのである。
 さらに、品種改良についても日本は世界でも高いレベルにある。現実にいま日本の政府は米がとれすぎるということを恐れ(おそ )て、減反政策というのをとっている。ところが減反をやってもやっても、米ができすぎるのである。それは農家の方々が米というのは非常に生産性の高い穀物であることをよく知っていて、それをつくることを続けた結果である。
 一般(いっぱん)的にいって、米というのは食べるための加工が非常に簡単である。水を入れて火にかければよい。ところが、その他の穀類というのは、食べるまでの途中(とちゅう)の処理が大変である。小麦にしても、またトウモロコシにしても、その加工技術をうまくやらないと、できあがった食物というのは我々の喉(のど)をうまく通らない。
 しかも、米というのは非常に美味しい。よくいわれるように、中国においては、貧しい時代にはコーリャンとか、トウモロコシを食べていた。ところが一度米を食べてみると、その味の魅力(みりょく)に引かれて、コーリャンとかトウモロコシを食べなくなった。それぐらい味についてもいい。これだけ優れた米をつくる力を日本の国土は持っているわけである。その証拠(しょうこ)がいくらでもある。
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長文 5.1週 1aのつづき
 皆(みな)に自由にやらせたら、どれだけ米がとれるかということのひとつのモデルは秋田県の大潟(おおかた)村である。大潟(おおかた)村というのは八郎潟(はちろうがた)を干拓(かんたく)して、日本の新しい農地をつくろうということでスタートしたわけである。そのときに全国から、やる気のある農村の人々を集めてつくった、全く新しい人工の村である。また、農業のためのいろいろな機械も大量に投入した。だから一人当たりの生産性は非常に高い。
 その地区の豊かさを示す数字は民力というのがあるが、日本の全体平均を百としたときに、地方都市ではせいぜい九〇前後である。ところが、大潟(おおかた)村は一三六なのである。大潟(おおかた)村に行ってみるとよくわかるけれど、農民の方々は実に豊かな生活をしている。つまり、日本の農村というのは、自由に米をつくらせると、ものすごい生産性を持っているということがこれを見てもわかるのである。
 (「日本・陽は必ず昇る(のぼ )」唐津(からつ)一 PHP研究所より)
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a 長文 5.2週 1a
 このような社会的な傾向(けいこう)が三〇年先にどのようになっているかを現在時点で予測することは困難だし、またその結論を保証することはできないが、次のような手法は可能だし、また企業(きぎょう)として将来の目標を立てるために使える。それにはまず、
 (1)三〇年先の望ましい社会または個人の姿を設定する。
 (2)それに到達(とうたつ)する上でのボトルネックに何があるかを洗い出す。
 (3)そのボトルネックを解決するには行政、企業(きぎょう)、個人はどのようなことをすればよいかをリストアップする。
 (4)そのための技術、製品、流通、などとして何が考えられるか。という方法論である。
 三〇年先へのボトルネックといってもピンと来ないかもしれないが、いくつかの例を示せば次々と見えてくるはずだ。そのひとつはもちろん高齢(こうれい)化社会への移行から来る数々の問題だ。問題があるということは、それを解決するための方法が見つかればビジネスとして成立するということである。
 すでに日本だけではなく高齢(こうれい)化が進む工業先進国の間では、そのための技術開発が次々と進められている。日本でも一般(いっぱん)住宅用のエレべーターが開発されて、新しい市場が生まれた。また二四時間沸き(わ )放しの風呂(ふろ)も若い人からの要求ではなく、ある年齢(ねんれい)層以上の市場を開拓(かいたく)した。
 ここで日本のボトルネックの例としてまず高齢(こうれい)化の話を取り上げたが、日本の経済という立場からすると、最も大きな課題は世界の中で日本の産業が三〇年先でも優位性を保つことができるかどうかということである。もっとわかりやすくいえば、どの種類の産業で稼ぐ(かせ )ことができるかということだ。
 産業の競争力を示す一般(いっぱん)的な指標として使われるのは生産性である。つまり生産のために投入する人、設備、資金、原材料、時間などが単位当たりどれだけの付加価値を産出できるかという数字である。これらが低いレベルにあればコストが高いということに相当するのだから稼ぎ(かせ )が少なくなり、それだけひ弱な経済ということになる。
 日本のボトルネックとして現在誰(だれ)でもいうのが日本の物価高だが、その原因は簡単だ。
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日本国内には海外に比べて生産性の低い分野がかなりあるからだ。日本国内ではすべての物価が高いわけではない。海外よりもむしろ安いものも結構ある。自動車はそうだし、エレクトロニクス製品がそうだ。一般(いっぱん)的に海外製品と直接ぶつかり合うものはだいたい日本製は強い。それは負けると会社が潰れる(つぶ  )から、石にかじりついても何とか生産性を上げて価格競争に耐え(た )ているのである。
 ところがこのような海外との競争原理の働きにくいところではどうしても経営が甘く(あま )なって生産性が低く、内外価格差に直接効いているのである。このことはデータから明らかに示されている。
 このようなことが長続きするはずはない。必ず生産性革命が起きる。むしろこれらの分野は日本国内にまだ眠っ(ねむ )ている未利用資源である。これらはすべてニュービジネスの種になる。
 いまマルチメディア革命という言葉がはやっているが、マルチメディアの使い道で一番インパクトの大きいもののひとつは物流の効率化である。その原理は、必要なときに必要なものをその数だけ生産し、要求されたところに届けるということであって、それらを管理するのが時間という情報である。そしてこれは情報技術があって初めて可能なのだ。
 日本では製造業の高い生産性は誰(だれ)もが認めていたが、流通業には革命がいるといわれていた。これに対して全く新しいシステムの構築に成功したセブン−イレブンは好調である。日本のセブン−イレブンはアメリカの本家がおかしくなったのを日本で開発したシステムを逆に持って行って建て直しに成功した。セブン−イレブンの流通管理のシステムの生産性は世界のトップレベルにある。
 このような日本人独特のきめの細かさで実現した生産性の高いシステムを逆に海外企業(きぎょう)に持って行って成功した例が最近では珍しく(めずら  )なくなっている。
 このことは重要である。どのようにすれば海外以上の生産性を上げることができるかのノウハウは、日本国内に結構あるし実績を持っている。したがってこれからの日本国内では、低い生産性分野で新しい革命が文句なしに進むと考えてよかろう。これに高齢(こうれい)化による国内独自の圧力が加わるから、その速度は予想外に早いはずだ。そしてその新しい社会革命の中で最も有効に使われる道具が情報技術である。
 (「日本・陽は必ず昇る(のぼ )」唐津(からつ)一より)
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a 長文 5.3週 1a
 人はよく「波長が合う」「合わない」ということを言います。ある人と初めて会って話をしたら、すごく気が合ってたちまち仲良しになった。あるいは何度会っても、打ちとけられず、会わなければならないのだが、いつも気がすすまない−−−−人間関係では理屈(りくつ)の前にこういう感情が先行することがよくあります。
 波動理論ではこれを共鳴、非共鳴という言葉で表現しています。共鳴というのは、人間世界での用語では「同じ思想や考え方で一致(いっち)すること」ですが、科学的には「振動(しんどう)体や電気回路に固有振動(しんどう)数と等しい振動(しんどう)を外部から与え(あた )たとき、振動(しんどう)の幅(はば)が大きくなること」を意味しています。
 このニつの共鳴の定義は関連性があります。私たちはある人と会って、その人と自分の考えが同じであったようなとき、うれしくなって一挙に親密度が増しますが、これは私たち自身が振動(しんどう)体であり電気回路の一種ですから、同じ振動(しんどう)を与え(あた )られると、それまで自分の中にあった固有の振動(しんどう)がより増幅(ぞうふく)されるのです。
 自分の考えに同調する人がいると、その考えに確信が持てるのは、こういう理屈(りくつ)でとらえると納得がいくと思います。波動効果というものは、共鳴することでプラス波動としての効果を発揮し、非共鳴の場合はマイナス波動を生じさせるのです。
 つまり波動が合うと共鳴し、波動が合わなければ非共鳴になる。よく一目惚れ(ほ )というのがありますが、あれなどはお互い( たが )が持っている波動がほとんど一致(いっち)する場合です。好きな人でも波動が合わないとぎくしゃくする。そういう人とはいくらつき合っても共鳴現象が起きずに破綻(はたん)することになります。
 ただ人間の持つ波動は、非常に複雑な合成波ですから、ある部分の波動が合わなくても、根本のところにある波動が合うということも考えられる。たとえば同じ郷里の出身者は、その士地の磁場(地球には磁場があり、地域によって磁場は異なる。これを磁気的波動とも言います)を身体に受けて育ってきているので、身体のどこかで波動の共有が見られます。
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 お互い( たが )がその部分で共鳴すれば、他の面で波動が合わなくても、人間関係がうまく行くことも大いにありえます。また病気になったとき、故郷へ戻る(もど )と治ることがある。これは水、食物も含め(ふく )て、その土地固有の波動が身体と共鳴しやすいからです。
 初めて会ったばかりなのに「一杯(いっぱい)飲みに行きましょうか」となるのは、波動が合っている、共鳴しているということなのです。逆に「こいつとは飲みたくないな」と違和感(いわかん)を感じるようだったら、少なくともその時点での波動が共鳴しないのです。
 彼(かれ)と彼女(かのじょ)の発する波動が共鳴すれば、両方が一目惚れ(ほ )して愛が芽生えるし、波動が合わないと共鳴現象が起きず、片思いに終わることになってしまいます。こういうことはたぶん皆さん(みな  )も何度か経験されていることと思います。
 それではそんなとき、あなたはいままでどうしておられましたか。私だったら、一歩さがって相手が共鳴できるような波動を自分が持つよう心がけます。自分が許容できる範囲(はんい)内で相手に自分の波動を近づけるのです。そうすると相手のことがわかってきますし、相手も自分を理解してくれます。
 いじめ問題というのも波動の側面から考えれば、いじめる側もいじめられる側も、波動の乱れが生じ、それが原因となって悲しい出来事が起きていると思われます。なぜそんなに波動が乱れるのか。家庭、学校、地域社会、マスコミ媒体(ばいたい)、子供を取り巻くすべての社会の波動が乱れ、歪み(ゆが )が生じているからと言えるでしょう。
 子供というのは、周囲の波動を敏感(びんかん)に感じ取ります。自分が発するよりも受けるほうが大きいのです。そうやって敏感(びんかん)に感じ取ってしまった波動の乱れが、純真で正常だったはずの子供の心に、悪いものを植えつけてしまう。しかし良いものも植えつけることも容易なのですから、大人は子供に良い波動を植えつけるようにしてあげなければいけない。いまはそれができていないのです。
 (「蘇生(そせい)力」中根滋(しげる) ビジネス社より)
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a 長文 6.1週 1a
 プロローグで日本企業(きぎょう)の国際化について触れ(ふ )た。欧州(おうしゅう)の場合はもともと多くの国が寄り集まっているので、国際化という言葉自体あまり意味がない。アメリカはもともとが寄り合い所帯だから、海外での生産もまた会社自体の多国籍(こくせき)化には抵抗(ていこう)感はない。その中で日本だけが新しい現象として企業(きぎょう)の国際化が急速に進んだわけである。
 このような傾向(けいこう)はあと三〇年もたつと日本企業(きぎょう)にとっては当たり前のこととなるだろうが、その過渡期(かとき)においてどのようにうまく対応するかがそれぞれの企業(きぎょう)内でのボトルネックとして考えておかなくてはならない重要事項(じこう)である。
 現在すでに海外進出企業(きぎょう)で問題になっているのが、企業(きぎょう)の経営陣(じん)のトップにまで外国人を分け隔て(へだ )なく登用(とうよう)するかという課題である。日本企業(きぎょう)ではこの点でどうしても及び腰(およ ごし)のためにせっかく有能な社員を育てても、やがては他に職を求めるというのがむしろ一般(いっぱん)化している。有能な社員を育てるにはずいぶん会社として投資しているはずだ。それが簡単に出て行かれたのでは全く割に合わない話である。
 これは日本企業(きぎょう)として大間題であるはずだが現実ははかばかしくない。これは年次を積み重ねても何とか解決すべきボトルネックそのものになるはずだ。しかし問題があるということは新しいビジネスチャンスがそこにあるということであって、すでにそのための動きがある。
 日本企業(きぎょう)から中堅(ちゅうけん)社員を留学生として、一流大学のビジネススクールへ派遣(はけん)するのがそのひとつである。これはアメリカで勉強させることもさることながら、人脈の予備軍をねらっているのだ。一流大学からは将来アメリカの指導的地位に就く人物が出る可能性が高い。ハーバードやプリンストンのキャンパスに行くと日本人だらけになったのである。
 これらの大学は学生を厳しくしごくから、生半可な努力ではついて行けない。だから学生も優秀(ゆうしゅう)だ。彼ら(かれ )と親しくなっていればそのうちに役に立つだろうという遠大な計画だ。これをねらった留学である。これも日本企業(きぎょう)の国際化の努力の現れである。
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 日本企業(きぎょう)は明日に生きるためとなると思い切ったことをやる。社内会議はすべて英語という企業(きぎょう)も出てきた。もともと外国語というのは一種の体育と考えればよい。スポーツだからその上達には繰り返し(く かえ )の原理しかない。毎日しゃべっていれば必ずうまくなる。その証拠(しょうこ)にイギリスに行けば頭の良し悪しとは無関係に子どもでも皆(かい)英語をしゃべる。
 このように考えると三〇年先の日本企業(きぎょう)にはやたらに外国人がいて、社内では英語だけでなく各国語が飛びかっているに違い(ちが )ない。すでにいまでも若者の言葉がわからないというではないか。
 これを日本文化の破壊(はかい)ということはない。いまの日本語も、どんどん新語が取り入れられているのだから、あまり気にしないほうがよい。めいめいの生活環境(かんきょう)や職業によってその場でしか通用しない言葉を使うというのは普通(ふつう)のことであって、誰(だれ)も気にすることはない。国際化が進めばそれに見合った言葉が一般(いっぱん)化することは間違い(まちが )ない。
 (「日本・陽は必ず昇る(のぼ )」唐津(からつ)一 PHP研究所より)
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a 長文 6.2週 1a
 人間の体はオーケストラのように響き(ひび )合って、全体として一つのまとまった一定の波動を出しています。しかしそのことは、ふだんは自覚できません。ちょうど地球がぐるぐると回っているのに、そんなことを意識しないのとまったく同じです。
 私たちの回りにはテレビの電波やら携帯(けいたい)電話の電波などが錯綜(さくそう)して飛び交っているけれども、そういう自覚も私たちはほとんどありません。目に見えない、体で感じないことに私たちはかなり鈍感(どんかん)なのです。
 でも波動を活用するためには、目に見えないものや体で感じられないものへのきめ細かい感受性を持つことが求められます。そういう見方をしていかないと、なかなか波動というものの真の価値を理解することができません。
 「見えないものはない」「五感で感じられないものはない」「科学的に合理性のないものは信じられない」という感覚の持ち主は、波動的人生は送れないといってよいでしょう。実際は感じないことなどありえないのです。ただその感じたものを、自分の心でどうとらえるかが人によって異なっているのです。
 たとえば氷に触れれ(ふ  )ば誰(だれ)でも冷たいと感じます。しかしそれは、ただ冷たいという感覚だけでは物理的な温度を感じただけなのです。ガラスにさわってみるとやはり冷たい。でもその冷たさを「ひんやりしていい気持ちだね」と感じるときもある。きめ細かな感受性とはそういう感じ方のことです。
 このような感受性を養うには、握手(あくしゅ)をするのがいちばんよい方法です。握手(あくしゅ)をするときただ手を握る(にぎ )のではなく、こちらの想いを込め(こ )て握る(にぎ )のです。そうするとその想いは相手に伝わると同時に、相手の気持ちもこっちに入ってくる。そういう感じがするかどうかを意識してやってみることです。
 そうした感受性が養われると、波動というものが直接感じられるようになります。たとえば目を見ただけで相手の気持ちがピンとわかるようになる。目は波動を出していますから、それをキャッチできるのです。
 自分が愛している人の言動には誰(だれ)でも敏感(びんかん)です。新婚(しんこん)ホヤホヤの奥さん(おく  )なら、旦那(だんな)さんの玄関(げんかん)の開け方、靴(くつ)の脱ぎ(ぬ )方、「ただいま」という声の調子、そういうものから心理状態を読み取れる。愛しているからそれがわかるのです。
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 同じように私たちは自然を愛し、人生を愛することができれば、自然のささやきも人生のすばらしさもひしひしと伝わってくる。もしいま人生がつまらない、自然など忙しく(いそが  )て関わっている暇(ひま)がないと思うようだったら、かなり波動的な人生から遠ざかった心理状態にある。はっきりいって不健康な心の状態です。
 前にも申し上げたように人間の体はアンテナなのです。発振(はっしん)アンテナを持っている。同時に受信アンテナを持っている。人間はみんなほぼ同じような発振(はっしん)、受信アンテナを持っていますので、自分が発振(はっしん)した気持ち(波動)がむこうに通じるということを信じることも大切です。
 人間同士のコミュニケーションは、言葉や行動よりも波動が理想的です。波動は瞬時(しゅんじ)にすべてを理解する。脳の働きでいえばデジタル脳の左脳ではなく、アナログ脳の右脳で理解する方法です。
 こういう理解ができる感受性を養うには、自然にできるだけ触れ(ふ )、自然の持つ密やかできめ細かな営みを知ることが一番です。
 (「蘇生(そせい)力」中根滋(しげる) ビジネス社より)
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a 長文 6.3週 1a
 近代以降の医療(いりょう)は西洋医学が中心で、西洋医学は分析(ぶんせき)医学になって、傷んだ箇所(かしょ)を物理的に治そうとしてきました。歯が悪ければ悪い箇所(かしょ)を削っ(けず )てつめものをして、それが最良の治療(ちりょう)ということです。
 胃が悪ければ胃薬を差し出す。それで胃が治れば医学の勝利なのです。歯がなぜ悪くなったのか、悪くさせないためにはどうしたらいいか、ということには非常に不熱心になってしまいました。ガンのお医者さんはガンを退治することしか考えない。そのための手術が体のどこにどんな悪影響(あくえいきょう)を与える(あた  )かは知っていても無視する。自分の担当部位が治れば「俺(おれ)の勝ち」みたいな一種の巧(たくみ)名争いが起こっているのです。
 もし虫歯の予防がうまくいって「痛い、痛い」と言う人が少なくなれば、歯医者さんはやっていけなくなる。だから極端(きょくたん)なことを申せば「治す技術はしっかりありますから、虫歯になっても大丈夫(だいじょうぶ)ですよ」という感じでやってきたわけです。
 歯医者に限らず医療(いりょう)はみんな同じ発想でやっています。その結果、病気の本質が見えなくなってしまった。そのことを端的(たんてき)に示しているのが最近言われ始めた「胃ガンピロリ菌(きん)説」ではなかろうかと思うのです。
 胃ガンの人を調べると、胃の中にヘリコバクスター・ピロリという菌(きん)がいる。この菌(きん)が胃ガンを作る元凶(げんきょう)だとマスコミなどでも報じられていますが、こういう結論のもって行き方が現代の特徴(とくちょう)なのです。
 私に言わせれば、なるほど胃ガンの人の胃の中にはピロリ菌(きん)はいるだろう。しかしピロリ菌(きん)が胃ガンを作った確証はない。胃ガンになったからピロリ菌(きん)が住むようになったと考えることだってできると思います。因果関係は全然わかっていないのですから。それにもかかわらず「ピロリ、ピロリ」と騒い(さわ )でいる。波動的な考え方をしますと、胃ガンになるからピロリ菌(きん)というものがたぶん出てくるのであろうと、そういうふうに推定できます。原因と結果を取り違え(と ちが )ているのです。結果と見えていることは実は原因であり、原因と思われることは結果である。そういう見方も必要と思います。
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 ガンについては発ガン物質がどうの、やれ煙草(たばこ)がいけない、食品添加(てんか)物の中には発ガン物質がいっぱい入っていると騒い(さわ )でいますが、ガンの原因は全然別のところにあって、いま言われているような物質は、全然関係ないとは言いませんが、その関与(かんよ)の仕方は現在言われているのとずいぶん違っ(ちが )ているように思われます。
 たとえば、O−157という大腸菌(だいちょうきん)が各地で食中毒を起こしました。そうすると「手をきれいに洗いなさい」「よく熱を通して食べなさい」と食品衛生の専門家がテレビなどで指導をしています。これは一見正しいようでどこか違っ(ちが )ている。注目しなければいけないのは、食中毒にかかった子供ではなく、同じものを食べて平気だった子供のほうです。
 同じ物を食べて中毒を起こす子供と起こさない子供がいた。起こさなかった子供はその菌(きん)が口から入らなかったのか。そうではないでしょう。食べたけれども抵抗(ていこう)力があって中毒にならなかったのです。こちらに着目すれば新しい視点が開けます。
 (「蘇生(そせい)力」中根滋(しげる) ビジネス社より)
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