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a 長文 7.2週 1i
 丸山真男東大名誉(めいよ)教授が八月十五日亡くなられました。彼(かれ)とは昭和六年、一高入学以来の親しい友人でした。高校三年間同じクラスで学び、大学も同じ学部に進みました。大学を出てから彼(かれ)は東京大学に残り学究生活に、私は大阪(おおさか)でサラリーマン生活をすることになりました。思想的には必ずしも同じではありませんでしたが、交友は生涯(しょうがい)変わらず、「機会があったら貴兄と儒教(じゅきょう)談義、いな諸子百家談義をしたら楽しいだろうな……」という手紙をもらったのは三年前でした。その楽しみも果たさず他界され、惜しみ(お  )ても余りあります。心からご冥福(めいふく)を祈り(いの )ます。
 昭和十四年、私はノモンハン事件で戦傷を負いました。東京第一陸軍病院に収容された時、彼(かれ)から一通の葉書をもらいました。そこにはただ、
 Durch Leiden Freude−L.v.Beethoven
 と書いてあるだけでした。隻脚(そうきゃく)になった私の前途(ぜんと)は苦難に満ちたものであろうが、ベートーベンのようにその苦悩(くのう)を克服(こくふく)して強く生きてくれという、彼(かれ)の友情にあふれる力強い激励(げきれい)の言葉と私は受け取りました。「苦しみを通じて喜びへ」、彼(かれ)に教えてもらったこの言葉が心の糧(かて)となり私の今日までの人生を支えてくれました。
 また、見舞い(みま )に来てくれた時、
「おい、靖国神社(やすくにじんじゃ)に行かなくてよかったな」
 と手を取って心の底から喜んでくれたことは忘れられぬ思い出です。
 拙著(せっちょ)『古教、心を照らす』が出版された時、彼(かれ)からこんな手紙が届きました。
「……貴著をひもときながら一九六〇年代にオックスフォードに滞在(たいざい)していた時のことを思い出しました。そのころは、オックスフォード大学に経営学の講義がなかったので、どうしてなのかと、教授の一人に聞いたところ、
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『経営なんていうものは古典と歴史をしっかり勉強すればできるものだ。わざわざ教える必要はない』
というのが答えでした。
 アメリカの経営学を日本が盛んに輸入しているころでしたから、彼(かれ)の返答が非常に印象的でした。イギリス人の痩せ我慢(や がまん)といってしまえばそれまでのことですが、やはり一つの見識で、いかにもオックスフォードらしいなと思ったものです。」
 私は経営学は勉強したほうがいいと思います。しかし、「古典と歴史を勉強すれば経営はできる」という見識には首肯(しゅこう)されるものがあります。
 「もっと古典と歴史を」
 そういっている彼(かれ)の声が聞こえるような気がいたします。

 (月刊「致()知」新井(あらい)正明氏の文章より)
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a 長文 7.3週 1i
 孟子(もうし)は、孔子(こうし)より遅れ(おく )てこの世に生をうけた中国古代の思想家だが、かれに、
「忍び(しの )ざるのこころ」
という考えがある。忍び(しの )ざるのこころというのは、
「他人の不幸や悲しみを、そのままみるに忍び(しの )ないこころ」
をいう。
 たとえば、川のほとりを歩いている時に、車椅子(くるまいす)の人や老人や、あるいは小さな子供がいましも落ちかかっている光景を目にしたとする。通りかかった人は、普通(ふつう)の人間ならすべて、
「忍び(しの )ざるのこころ」
を持っているから、すぐ、
「助けなければ」
と思って走り出す。そのときためらって、
「助けなかったら誰(だれ)かにあとから批判されるだろうか。それとも助けたら、家族がお礼に何かくれるだろうか」
などというさもしいことは考えない。無計算で駆け出し(か だ )ていく。それが孟子(もうし)の、
「忍び(しの )ざるのこころ」
である。
 しかし、孟子(もうし)はこの忍び(しの )ざるのこころについてこういうことをいう。
「忍び(しの )ざるのこころは、人間がつねに持たなければいけないから、これを恒心(こうしん)と名づけよう。しかしこの恒心(こうしん)も、あるものがなければ保てない。あるものとは恒産(こうさん)をいう」
 と説明して、有名な
「恒産(こうさん)なければ恒心(こうしん)なし」
といいきった。
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 いまリストラにあって、
「おまえはあしたから、会社にこなくていい。自宅待機だ」
といわれたとする。そのビジネスマンの子供が、春から私立の大学に行っている。学費が高い。これをどうするか。また、家を建てたローンが終わっていない。返済計画には、本給だけではなく時間外勤務手当や旅費や、ボーナスなどの雑給もすべてぶちこんできた。自宅勤務になると、これらのものも支給されないという。
「いったいおれと家族は、どうやって生きていけばいいんだ?」
というような、切実な悩み(なや )に襲わ(おそ )れている人間に、
「おまえは少し、忍び(しの )ざるのこころが足りないぞ。もっと他人の悲しみや苦労に同情しろ」
というのは、いうほうが無理だ。
 いまから二千数百年前に、孟子(もうし)はこういう人情の機微(きび)をすでにいい当てているのだ。

 (月刊「致()知」童門冬二氏の文章より)
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 ところが、七十四歳(さい)になった宇野さんは『幸福』を発表します。この作品は女流文学賞、芸術院賞を受賞しました。その後の宇野千代さんの活躍(かつやく)ぶりは、広く知られるところです。八十九歳(さい)では『生きて行く私』という自伝的作品を発表して、おおいに世間の耳目を集めました。そして、宇野さんは天寿(てんじゅ)をまっとうしたというにふさわしい人生を終えられたのでした。
 一度は書くことを断念した宇野さんが、どうしてこのようによみがえり、晩年を生き生きと書き続けることができたのか。そこには一つの出会いがありました。
 仲介(ちゅうかい)する人があって、宇野さんは中村天風に会ったのです。そのとき、中村天風は八十八歳(さい)、宇野千代さんは六十八歳(さい)でした。
 初め、宇野さんはそんな老人に会っても仕方がないと思いました。ところが、会ってみると、中村天風は姿勢がきちんとしていて、非常に穏やか(おだ  )な雰囲気(ふんいき)で、静かな声で話し、本当に感じがよかったわけです。それで、弟子にしてくれと言うのですが、中村天風は弟子といったことではなしに話をしましょうと言い、それから毎日のように訪ねていって、一時間ほど話をして帰るようになったのでした。
 あるとき、中村天風は「あなたはもう小説を書かないのですか」と聞きました。「書かないのではなく書けないのだ」と宇野さん。すると、「書けないと思っている間は書けませんよ」と中村天風は言います。そういうことをいつも話し合っていたのでした。
 中村天風は昭和四十三年、九十二歳(さい)で亡くなりました。宇野さんとは四年間のつきあいだったわけです。そのとき、宇野さんは「自分は書ける」という気に、自然になっていたそうです。中村天風から「書けないと思っているうちは書けない」という話を繰り返し(く かえ )きいているうちに、いつか「自分はもう書けないのだ」という気持ちが消えていたわけです。そのいきさつを宇野さんは『天風先生座談』という本に詳しく(くわ  )書いています。
 「自分はもう小説は書けない」と思い込ん(おも こ )だままだったら、宇野千代さんの晩年のきらきらと輝く(かがや )作品は決して生まれなかったでしょう。心の持ち方がいかに大きな作用を及ぼす(およ  )かを、この例は示しています。
 私たちも自分の生き方を限界づけるような心の持ち方をしていないでしょうか。そのことに気づきたいものです。

 (月刊「致()知」山下俊彦(としひこ)氏の文章より)
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a 長文 8.1週 1i
 私が森信三先生を知ったのは二十八年前の昭和四十三年、神戸市立魚崎(うおざき)中学校の教頭になったときでした。私たち新任の教頭たちの研修会に、森先生が講師として来られたのです。
 ところが、先生は一時間も遅刻(ちこく)され、会場である市役所の会議室にみえたのは午前十一時。もう残り時間は三十分しかありません。そこで先生がお話しになったことは、
 「みなさんの学校ではゴミが落ちていませんか。落ちている紙くずに気がつかないで、子供の心がわかりますか。このゴミをね、誰(だれ)に命じるのでもなく、みなさんが拾ってください。それも、黙っ(だま )て黙々と(もくもく )拾うのです」。
 ゴミ拾いのこと、ただそれだけでした。
 会場には六、七十人ほどいましたが、「遅れ(おく )て来たうえに、ゴミ拾いの話とは何ごとだ」と非難の声もあがったようです。しかし、私にはなぜか理屈(りくつ)抜き(ぬ )に心に響い(ひび )てきた言葉でした。
 翌朝から紙くず拾いを始めました。朝早く学校に行き、教員室の机にカバンを置くと、そのままの恰好(かっこう)で校地の周りなどを歩いては黙っ(だま )てゴミを拾いました。このことは昭和六十二年に定年退職するまで続きます。私にとっては単なるゴミ拾いではなく、教員生活の支えともなった大きな学びだったのです。
 こんなことがありました。問題校のT中学校に校長として赴任(ふにん)した朝、校庭のゴミ拾いをしていた私に、数人の男子生徒が十メートルもない距離(きょり)から石を投げてきたのです。
 私は、平静を装って立ち上がり、彼ら(かれ )と対面しました。「うるさい」、「校長のバカ」。そんなことを叫ん(さけ )で、彼ら(かれ )は走り去りました。
 校長に石を投げてくるとは……初めての体験でした。しかし数日後、彼ら(かれ )の行為(こうい)の意味を考えているうちに、ハタと思い当たったのです。
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 彼ら(かれ )は石を投げてきた。でも、私の体のどこにも石は当たっていない。石を当てようと思ったら、全部命中させられる距離(きょり)だった。では、なぜそうしなかったのか。あれは私へのサインではなかったか――と。
 先生がたにその生徒たちのことを聞いてみると、学業の成績が悪く、漢字もあまり書けないし、 掛け算(か ざん)の九九もおぼつかないとのこと。また欠席も目立ちます。そういう状態ですから、三年生にもなっていまだに進路も決まっていない。「やっぱり、そうか」と思いました。彼ら(かれ )は新しくきた校長に「こんな自分たちをなんとかしてくれ」と訴え(うった )てきたのではなかったか。

 (月刊「致()知」田中繁男(しげお)氏の文章より)
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a 長文 8.2週 1i
 私は大田区のある町工場で、大企業(きぎょう)から持ち込ま(も こ )れた試作品づくりの現場に出くわしたことがある。
 大企業(きぎょう)が示した設計図の問題点が指摘(してき)される。この設計図では期待されるようには作動しない、この部分は曲線をもっと深くしないと噛み合わ(か あ )ない、といったふうである。指摘(してき)するのは、作業衣を着た町工場のおっさんだ。
 すぐに発注元の大企業(きぎょう)に問い合わせがなされる。多分大学出の設計専門家がコンピューターを駆使(くし)して書き上げた設計図なのだろうが、町工場の面々が指摘(してき)したとおりに、たちまち修正される。つまり、大企業(きぎょう)の示した設計図は使いものにならなかったのだ。
 この部分の材料になる鋼材は、どこそこでストックしているはずだ、ここの削り(けず )出しはだれだれのところが得意だ、この旋盤(せんばん)はあそこにやってもらったほうがいい、ということで、町工場の面々は自転車に乗って飛び出していく。ここに出てくる「どこそこ」も「だれだれ」も「あそこ」も、すべて近隣(きんりん)の町工場である。
 コンピュータで情報を検索(けんさく)することもなく、電話さえも使わず、自転車で行き来しているうちに、たちまち段取りができてしまう。これはさまざまな技術を持った町工場が集積し、お互いに( たが  )いわゆるツーカーの関係を保っていればこそである。
 そして、必要な材料や見事に加工された部分部分が寄せ集められ試作品が形をなしていく。
 私は息をのむ思いでことの成り行きを見つめていた。そして、経済大国日本の基盤(きばん)となったモノづくりを根底で担った層がどこにいたのか、はっきりと見た思いがした。
 しかも、その層はいまだに健在なのである。
 時代は確かに変わる。だが、変わってはならないものもある。その一つがモノづくりではないだろうか。
 過去の歴史にモノづくりをしなかった社会、モノづくりをやめてしまった社会がある。そして、そういう社会は必ず荒廃(こうはい)し、衰亡(すいぼう)している。社会の根底にモノづくりの基盤(きばん)を据え(す )、それを保持しているかどうかは、その社会の未来を占う(うらな )バロメータといえるだろう。
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 日本にはまだ、モノづくりを支える層が健在なのだ。これを時代に取り残されたなどと認識したら、大きな過ちを犯すことになる。
 経営学的視点からの批判にいたっては、見当はずれというべきだろう。企業(きぎょう)規模のふくらみにのみ評価の基準を置いて、成功不成功を判断することが唯一(ゆいいつ)の物差しになっている悪癖(あくへき)のしからしむるものである。
 経営学的なものには最初から関心がなく欠落していたからこそ、技術の狭い(せま )分野を特化して、モノづくりの基盤(きばん)を担うことができたということを知らなければならない。
 町工場の人びとに話を聞くと、決まって出てくるのが、モノづくりの喜びである。
 鋼材から思いどおりの曲面を削り(けず )出すことができた。われながらほれぼれするような研磨(けんま)ができた。そういう話をするときの彼ら(かれ )の顔には、至福といっていい喜びが溢れ(あふ )出す。町工場の人びとを満たしているモノづくりの喜びに接するとき、私もまた幸福に感じずにはいられない。そして思うのである。モノづくりの喜びに満たされている町工場の人びとは、日本の宝だ、と。

 (月刊「致()知」中沢(なかざわ)孝夫氏の文章より)
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a 長文 8.3週 1i
 よく、教え方がよければ、子供の能力は伸びる(の  )、といわれる。だが、伸びる(の  )のはその子の持って生まれた能力に応じた学力である。ただし、先に述べたように、伸び(の )方に限りがあるが……。早い話、有名受験塾(じゅく)がなぜ入塾(にゅうじゅく)テストを実施(じっし)しているとお思いだろうか。素質のない子をいくら教えても、有名中学入試の高いハードルを越え(こ )させられないからである。
 どうして、この種の情報がきちんと示されないのか。オフレコの約束で(ほとんどの関係者がそうだった)「知能指数と学力は大いに関連がある」と認めた何人かの教育学者に、「教育改革の柱にいつも入試改革が掲げ(かか )られるのは教育力に対する幻想(げんそう)があるからだ。それを打ち砕く(う くだ )ためにも、その意見を公にしたほうがよい」と迫っ(せま )たことがある。いずれの学者の答えも同工異曲だった。
 「そんなことをしたら、学界で袋叩き(ふくろだた )にあいますよ。科学的に証明するのはかなり難しいですし」
 また、文部官僚(かんりょう)の多くはこういう表現をした。
 「それをいっちゃおしまいですよ」
 教育力が大きく見えたほうが都合がいい。国民が聞きたくないことをあえて声高にいう必要もないではないか、というわけだ。
 しかし、こんなことは専門家の言を待つ必要もない。われわれ自身の学校生活を振り返れ(ふ かえ )ば思い当たることである。
 それなのに、親たちは受験産業の「学習能力は伸びる(の  )」というかけ声に踊ら(おど )されて、子供を遊ばせるべき時期に塾(じゅく)に通わせる。有名中には入れなくても、公立中に行けるのだから落ちてもともと、などと思うなかれ。その子の失ったものは大きい。傷ついたプライドを癒す(いや )のは大人でも大変な作業だ。運よく合格したとしても、その学校生活は、それまでに払っ(はら )た犠牲(ぎせい)に見合うものといえるのかどうか。
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 意思決定の未熟な子供に深夜まで勉強をさせるのは壮大(そうだい)なるムダだ(たとえ希望校に合格したとしても)。教育で人間の素質が伸びる(の  )ということはあり得ない。教育には、そんな魔法(まほう)のような力はない。大学入学が目標なら、高校の段階で自分で判断させるのが最適だ。そのころには自分の能力も適性も漠然と(ばくぜん )ながらわかっている。納得ずくの努力は、自立心を培う(つちか )。
 進学塾(じゅく)通いにはまた、次のような恐ろし(おそ  )さがある。それはコミュニティーの核(かく)の一つである公立校の地盤(じばん)沈下(ちんか)の下地になっているからだ。進学塾(じゅく)通いの生徒は、学校生活において消極的な姿勢になりがちだ。大手のある進学塾(じゅく)では公然と「学校では手を抜け(ぬ )」と親子に勧め(すす )ている。「とくに体育。運動会なんかで頑張る(がんば )のは、愚(ぐ)の骨頂」というわけだ。リーダーになるべき子供たちが(その親も)上の空の状態なのに、魅力(みりょく)ある学校になんかできるわけがない。
 いま、普通(ふつう)の公立中学校が抱える(かか  )問題は、迎え入れる(むか い  )母集団に素質のある子が抜け(ぬ )ているうえ、有名中学不合格組を抱え(かか )ていることだ。不合格組は挫折(ざせつ)感を処理できず、問題行動に走る子も多い、という。生徒の母集団の力が弱まった学校をもり立てるのは容易なことではない。だから、親は子供を私立に駆り立てる(か た  )。
 この循環(じゅんかん)を断ち切るのは簡単だ。親が常識を取り戻せ(と もど )ばいい。午後十時、十一時に子供が塾(じゅく)のかばんを背負って街を歩いているのは異常だと思うささやかな常識を、だ。

 (月刊「致()知」石山茂利(しげとし)夫氏の文章より)
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a 長文 9.1週 1i
 二十年ぐらい前から、私は読書日記をつけています。それを見ますと、これまでに感銘(かんめい)を受けた本は、四書五経をはじめとして枚挙のいとまがありません。
 その中で一冊を挙げるとすれば、クリスチャンである私は聖書としたいところです。が、あえて推薦(すいせん)したいのは、家内と私が共に感銘(かんめい)を受けた遠藤(えんどう)周作の『沈黙(ちんもく)』です。
 “沈黙(ちんもく)”といえば、キリスト教徒は、即座(そくざ)に十字架(じゅうじか)上のキリストを思い出します。キリストは「何ぞ我を見捨てたもうや」と叫び(さけ )ますが、ついに神の救いは現れません。これを神の“沈黙(ちんもく)”といっています。
 実は、私は若いころからこの“沈黙(ちんもく)”に関して疑問を持っていました。その赤裸々(せきらら)で根源的な疑問に人間味のある答えを出してくれたのが、遠藤(えんどう)周作の『沈黙(ちんもく)』だったのです。
 昭和四十七年に、私は住友銀行のロンドン支店に赴任(ふにん)しました。イギリスで、私は宗教上の悩み(なや )を抱える(かか  )ようになったのです。英国の歴史を遡(さかのぼ)(さかのぼ)ると、宗教への疑問は増すばかりでした。
 一つは、女狂い(おんなぐる )で有名な国王へンリー八世です。彼(かれ)は宗教上離婚(りこん)が認められないということで、七人のお妃(きさき)を次々と殺害して結婚(けっこん)を重ねたといわれています。彼(かれ)のお城には、七人のお妃(きさき)のドレスが今でも物悲しく陳列(ちんれつ)されていますが、彼(かれ)はカトリック信者でありながら、なぜか罪を問われなかった。
 さらには、宗教上の対立が激しい、北アイルランド問題があります。私自身、駐在(ちゅうざい)中に「汝(なんじ)の敵を愛せよ」といっているカトリックとプロテスタントが互いに(たが  )刃(は)を向け合っている事実を目のあたりにしました。次第に、私の中には「神は果たして人間を救ってくれるものだろうか」という思いが頭をもたげてきたのです。そうした問題と相まって、“沈黙(ちんもく)”についても疑問は深まるばかりでした。そんなとき、タイトルに引かれてふと手にしたのが『沈黙(ちんもく)』です。読むと、まさに目から鱗(うろこ)が落ちる思いでした。
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 作者も主人公を通して「神は果たして存在するのか」と問いかけていました。遠藤(えんどう)さんは、キリスト教徒として、私と同じ問題を共有していたことを、ひしと感じたのです。
 小説は、「ローマ教会に一つの報告がもたらされた」という書き出しで始まります。鎖国(さこく)の日本に、三人の若いポルトガル人の司祭が日本上陸を果たした、その報告の形をとっています。
 当時の日本は、キリシタン禁制で島原の乱が鎮圧(ちんあつ)されたばかりですから、命をかけた日本上陸でした。彼ら(かれ )は間もなく捕らえ(と  )られ、過酷(かこく)な拷問(ごうもん)の責め苦に遭い(あ )、背教を強いられるのです。
 そして踏絵(ふみえ)に足をかけるとき、
「その(キリストの)顔は今、踏絵(ふみえ)の木のなかで磨滅(まめつ)し凹み(へこ )、哀し(かな )そうな眼をしてこちらを向いている。(踏む(ふ )がいい)と哀し(かな )そうな眼差しは私にいった」。「主よ。あなたがいつも沈黙(ちんもく)していられるのを恨ん(うら )でいました」
「私は沈黙(ちんもく)していたのではない。一緒(いっしょ)に苦しんでいたのに」
 作者は、キリシタン禁制という信仰(しんこう)のけわしさの中で、キリストは踏絵(ふみえ)で踏ま(ふ )れつつ棄()教者をゆるしていたのだ――という一つの答えを提示することでカトリックの「普遍(ふへん)性」を問いかけています。私にとっての宗教とは、生きるための一つの指針であります。その思いを強くひびかせてくれたのが『沈黙(ちんもく)』だったのです。

 (月刊「致()知」伊藤(いとう)朝夫氏の文章より)
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a 長文 9.2週 1i
 たとえば、歴史は数多くの宗教上の殉教者(じゅんきょうしゃ)を出している。キリスト教ではそもそもキリスト自身が殉教者(じゅんきょうしゃ)である。そのあとに数多くの殉教者(じゅんきょうしゃ)が続いたことは、聖書や数々の文献(ぶんけん)におびただしく記録されている。
 十字軍はなぜ成立したのか。キリスト教徒であるヨーロッパ人がアラブ人が住んでいるところに攻め込み(せ こ )、占領(せんりょう)しようとしただけではないか、という見方もあるが、それだけのことではるばるアラブの地に出かけ、命を賭け(か )て戦う十字軍は成立しない。キリストにまつわる聖地が異教徒の手にあるのは耐えがたい(た    )と感じ、それをキリスト教徒の手に奪い返す(うば かえ )ことは命よりも価値があることだと信じる人びとがいたから、十字軍は成立したのである。
 キリスト教徒ばかりではない。仏教徒も数多く殉教(じゅんきょう)した。織田信長と対峙(たいじ)して殺された一向宗門徒など、万を超える(こ  )仏教徒たちが殉教(じゅんきょう)している。
 これらの人びとはどうして死んでいったのか。命より重いものがある、命より尊い価値がある、と信じたからにほかならない。そう信じたからこそ、その価値に賭け(か )、殉じ(じゅん )たのである。
 宗教上の殉教者(じゅんきょうしゃ)だけではない。歴史には英雄(えいゆう)や偉人(いじん)とされる人がたくさんいるが、これらの人びとの事蹟(じせき)をたどると、ほとんどが命以上に尊い価値があることを信じ、その価値に殉じ(じゅん )た人びとであることに気づく。
 遠く時代をさかのぼる必要もないし、ヨーロッパやアメリカに例を引くまでもない。そういう人は私たち日本人の身近にたくさんいる。
 たとえば、明治維新(めいじいしん)の志士たちである。彼ら(かれ )は維新(いしん)を成し遂げる(な と  )ことが、命以上に価値のあることだと信じたのだ。だからこそ、命を的に活動し、殉じ(じゅん )たのである。そして、維新(いしん)を成し遂げる(な と  )ことに命以上の価値を信じた彼ら(かれ )の活躍(かつやく)があったからこそ、明治維新(めいじいしん)は成ったのである。
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 日清日露(ろ)の戦争もそうだった。国のために戦うことが命以上に価値のあることだと信じる日本人がたくさんいた。そして、勇敢(ゆうかん)に戦い、その価値に殉じ(じゅん )た。だからこそ、日本は有色人種の国で唯一(ゆいいつ)、白人国家の植民地にされることを免れる(まぬか  )ことができたのである。
 このように見てくると、洋の東西を問わず、命より価値のあるものがあるというのはごく当たり前の普遍(ふへん)的な原理であり、人間はこの原理をテコにして生きてきたし、歴史を回転させてきたことがわかる。

 (月刊「致()知」渡部(わたなべ)昇一(しょういち)氏の文章より)
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 知り合いの内科の医者が言うことにゃ、
「長生きの基本的な秘訣(ひけつ)は、血液がサラサラしていることだね」
というんです。これはどういうことかというと、血液がネバネバしてくるのが短命のもとだということなんです。血液がねばってくると、高血圧、ガンなどの諸病のもとになる。だから、自分の血からねばり気をとるのが、成人病を防ぐコツだと言うのです。
「では、どうすりや、血はサラサラになるの?」
と聞くと、「くいものだよ。日常のくいものを変えるのさ」という返事です。では、どんな食物かというと
「まず、肉を止めるんだね。魚にするんだ。豆、芋(いも)、菜っ葉などのあっさりした味つけのものにする。グルメっていうやつ、あのうまいもん探しに夢中になっているのは、死に急いでいるようなもんだよ」
 なるほど、旨い(うま )ものに淫し(いん )ていると、命までも危なくなってくるんだなあ、と思い至ったわけです。
 といって、では、肉も砂糖も酒も絶対に止めて、というのもいかがなものでしょうか?
 ごく少量にするまでは良いのですが、完全に食べないというと、これも「止める」ことに淫し(いん )ていることにはならないでしょうか?
 こうして考えてみると、ストレスとは、どうも、何かに淫し(いん )始めたあたりから発生し始めるようでもあります。
 考えてみれば、あれもほどほどに、これもほどほどに、と、すべて無事平穏(へいおん)ばかり願って生きるのも、何か老人の知恵(ちえ)ばかりに終始していて、ちょっと面白くないような気もします。『論語』にも、「吾(われ)、七十にして、心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず」とありますが、孔子(こうし)さまといえども、こういう境地に到達(とうたつ)したのは七十歳(さい)で、それまでは大いにのりを越え(こ )過ぎて、失敗と後悔(こうかい)多き人生だったのではないでしょうか?
 人間何事によらず、夢を持ち、その達成に懸命(けんめい)になると、しばしば、その言行が傾()(かぶ)いてくることがあります。換言(かんげん)すれば、奇行(きこう)が多くなってくるのです。しかし、これも血の気の多い若いうちなればこそ、多少の行き過ぎもやむを得ないし、また面白味のあるところではないでしょうか。
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 ただ、ここでそのストッパーとして一言。「その行き過ぎは、はたを楽にするという一線においてとどめられなければならない」。すなわち、「はたを苦にする働きであるならば、その働きは淫し(いん )たものとして、改められなければならない」ということです。なぜならば、「はた苦」は、自分に近い者ばかりでなく、自分自身の幸福感をも損なってしまうからなのです。
 人生、自分のやりたいことを貫ける(つらぬ  )のは、たしかに素晴らしいことですが、それにしても、それは、「はた苦」を考慮(こうりょ)した上のことでなければ、良く生きるのは難しいようです。
 昔、あるお婆さん( ばあ  )が面白いことわざを言ったのを覚えています。ここに紹介(しょうかい)しておきましょう。
「人もよかれ。我もよかれ。我は人より、ちょっとよかれ」

 (月刊「致()知」無能唱元氏の文章より)
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