1小学生のとき、夢中になって『ファーブル昆虫記』を読んだ。理科よりも国語、算数よりも社会が好きだった私は、はじめこの本のタイトルを見て、敬遠していた。
「おもしろいわよ。たまには、こういうのも読んでみたら?」
物語にばかり偏る私に、勧めてくれたのは母だった。
2朝顔の観察とか、蟻の巣づくりを調べるとかいうことは、好きなほうではなかった。たぶん、そんなようなことが、たくさん書いてある本だろうと思っていた。そして実際に読んでみると、たしかに内容は、そんなようなことである。3にもかかわらず、ぐいぐい引き込まれていった。勧めた母親のほうがあきれるくらい、寝ても覚めても『ファーブル昆虫記』、という感じだった。
それでは、私はファーブルによって、昆虫への理科的な興味を開眼させられた、といっていいだろうか?
4ちょっと違うような気がする。それまで夢中になった本と同じように、私はそこに「物語」を読んでいたのだ。
登場する昆虫たちは、ユニークで頭がよくて愛嬌のある主人公。彼らのくりひろげる「生きる」という物語にすっかり魅せられてしまった。
5『ファーブル昆虫記』の素晴らしさは、ここにあるのだと思う。自然のなかに隠されている、楽しくて不思議でときには厳しい物語の数々を、現在進行形でファーブルとともに発見してゆく喜び。『オズの魔法使い』や『不思議の国のアリス』を読んでいるときにも似たような興奮が、そこにはあった。
6なかでも印象に残っておもしろかったのは「ふんころがし」すなわち「オオタマオシコガネ」の章である。今回あらためて読みかえしてみて、この虫を描くときのファーブルの筆には、ひときわ愛情がこもっているように感じられた。子ども心にもそれが伝わったのだろうか。
7自然の恵みを受けることと、自然と戦うことが、表裏一体となって紡がれるドラマ。西洋ナシの形をしたお団子のなかで生きる
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