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 わたしの家は自動車がやっと通れるぐらいの路地に面している。三年前まではその路地は、さまざまな人や動物の散歩道として利用されていた。都内にはめずらしくほそうされていず、道ばたには草が生えていた。となり近所には古い家が多くて、敷地しきちからはみ出した樹木じゅもく茂みしげ が路上に日かげをつくった。
 それだけの道である。長さにして一〇〇メートル、石段いしだんを経て下の大きな道に出る。買物に行く主婦も、下のバス停に行く人も、ちょっと回り道をしてこの道を通っていった。毎朝定刻ていこくにつえをついてくるおじいさん、犬を連れたおくさんも通った。犬は大喜びで所々で地面に鼻をつけ、最後に足をあげて自分である印を残していった。ネコも走りぬけた。一度だけだがへびもはいだしてきた。わたしむすめたちは大学生になった今もなつかしげにこの道のことを話すが、実際近所の子供こどもたちのたまり場でもあった。
 何が彼らかれ をこの路地に引きつけたのだろう。女の子や小さい男の子が草の葉を引っぱっているのをわたしはよく見かけた。彼らかれ はこの路地で地球のかけらを発見していたのではなかったろうか。犬たちが鼻でその存在そんざいを確かめたように。
 わたし自身もコンクリートにはあきあきしていて、道ばたに草が生えている風景を心ひそかに楽しんでいた。ある秋、黄褐色かっしょく熟しじゅく たエノコログサをながめていると、となりの家のおばあちゃんが近づいてきた。片手かたてに花ばさみを持っている。おばあちゃんは昔は踊りおど の名手だったそうだから、背筋せすじがピンと伸びの ている。
「こんにちは。いいお天気ですね」
「ちょっとネコジャラシをいただきますよ。お花の材料に。それにしてもこんな所に生えてくるなんてねえ」
とおばあちゃんは感心している。
にさわってごらんなさいよ。気持ちのいいこと」
「でも近ごろの子供こどもはこれでネコと遊ぶなんて知らないみたい」
 わたしはすっかりとなりの家のおばあちゃんに仲間意識を持った。
 しかしほどなく人間とは矛盾むじゅんした生き物であることが証明される
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できごとが起こった。よくわたしの家の前にスミレがさいた。明るい赤むらさきの花は日を浴びるととりわけあざやかで、わたしはふまないように注意して出入りした。花が散ると葉が大きく伸びの てよく目だった。来年はもっとふえるだろう、とわたしは楽しみにしていた。ところがある日外出から帰ってくるとスミレがない! そういえば出がけにおばあちゃんがほうきとちりとりを持って立っていたので、あいさつを交わしたのだった。清潔好きのおばあちゃんは、自宅じたくの前からわたしの家にかけてていねいに草むしりをしてくださったのである。
 数年たって路地全体に異変いへんが起きた。下水道工事が始まって地面がほりかえされ、車の震動しんどうで下水管がこわれぬようにしっかりとほそうされてしまったのだ。ネコジャラシにスギナ、スミレもタチイヌノフグリもそれ以来路地から姿すがたを消してしまった。道は車向きの道路になり、地球のかけらではなくなってしまった。
 町中の雑草に対する人間の態度は時と場所によってさまざまである。ハイキングに行けば「緑がいっぱいで気持ちいいわねえ」と喜ぶ人も、自分の庭に出てきた雑草は血眼で引き抜いひ ぬ てしまう。
 「雑草のようにたくましい」「雑草のように生命力が強い」という表現がほめ言葉としてよく使われる。でも、「雑草のようにかわいい」とはぜったいに使われない。「あなたは雑草の花のようですね」などと言おうものなら、九九パーセント相手をまちがいなく怒らおこ せるにちがいない。言い方にもよるけれど、わたしなら残りの一パーセントの部類に入る。
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