a 長文 3.4週 he
 オーストラリアのヨーク半島のつけね、西側にいたイル=イヨロント族の変化を見てみます。
 かれらは食料採集民で、狩りか をしたり木の実を集めたりという生活をしていました。かれらにとっても石斧いしおのは男のものでした。奥さんおく  子供こどもが借りることはできましたけれど、借りるとき、返すときのあいさつは、夫は妻に、父は子に優位ゆういに立っていることを確かめる機会でした。そこへ白人がやってきて、鉄のおのが入ってきました。イル=イヨロント族の人びとが白人の手助けをすると、その代償だいしょうとして鉄のおのをくれたりします。ときには、奥さんおく  が鉄のおのをもらうことがあります。夫のほうは石のおのしかもっていないのに、奥さんおく  が鉄のおのをもっていることになります。そうすると、「すまんけど、おまえの鉄のおのを貸してくれ」ということもおきてきます。これが石が鉄に代わったことでおきたさまざまな結果の一つです。
 もっと重要なことは、イル=イヨロント族が浮いう た時間をどう使ったかということです。この点にいまわたしは大きな関心をもっています。
 浮いう た時間を使って、なんとかれらは昼ねをしたのです。わたしはじつは、その部分を読んだときに吹き出しふ だ てしまいました。この笑いには軽蔑けいべつの意味もふくまれていたと思うのです。ところが、わたしのこの感想はじつはまちがっていた、といまは思っています。
 二千年前、日本ではどうだったでしょうか。石から鉄へと変わってきたときに、弥生やよい人はおそらく浮いう た時間で宴会えんかいに出席することも、昼寝ひるねをすることもしませんでした。石から鉄への変化を、生産力の飛躍ひやく的な増大につなげたのです。いままで石のおのが一本倒したお ている時間で、四本倒すたお というぐあいに、すごく生産力を高めたのです。
 四世紀、六世紀(古墳こふん時代)の農民が働き者だったことは、群馬県で火山の噴火ふんか洪水こうずいの直後に復旧工事にとりくんだ証拠しょうこからわかっています。また、日本の農業が草をとればとるほど、よい収穫しゅうかく
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を約束される農業であることから、弥生やよい農民が働き者だったことを、わたしは予測しています。
 パプア=ニューギニアやオーストラリアでは浮いう た時間を遊びに使ったのに、日本では労働に使ったということで、日本人は勤勉きんべんだと先祖をほめたたえるつもりか、と思われるかもしれません。そうではありません。
 道具や技術は、毎年のようにどんどんすぐれたものになっていきます。なんのためだと思いますか。質問すると、すこしでも楽になるようにとか、効率がよくなるようにとか、企業きぎょうがもうけるためだとかいう答えがよくもどってきます。しかし、結果から見ると、わたしはそうではない面もあると思うのです。
 じつは、わたしたちを忙しくいそが  するために道具や技術は発達してきているのではないでしょうか。それまで十時間かかったところを、三時間で行くことができるようになったとします。浮いう た七時間をどう使うかと考えてみると、ほかの仕事をしているのです。
 すくなくともつい最近までは、歩いている時間とか車に乗っている時間はボケーッとしていることができました。あるいは空想にふけることができました。しかし、いまや携帯けいたい電話ができたのです。歩いていても、車に乗っていても、いつ電話がかかてくるかわかりません。相手からだけでなくて、自分からもかけます。なにもそんなときまでと思うのですが、そんな大人たちが増えています。
 わたしたちは、技術や道具の発達は自分たちを解放するためだと思っていますが、じつは大きな誤解ごかいで、自分たちを忙しくいそが  するために技術や道具が発達している面もあるのではないかと思うのです。そこでわたしは思うのです。オーストラリアのイル=イヨロント族が浮いう た時間をたというのは、正解だ、と。
 多田道太郎みちたろうさんは、つぎのようなことをわたしに語ってくれました。
『日本には「休む」とか「怠けるなま  」ということばがあるけれども、みんな悪い意味で使われている。しかし、わたしたちは、むしろ強制されたことはなにもしないという状況じょうきょうに自分をおくことがたいせつだ。そういう状況じょうきょうのなかで、自由にしたいことをする、それが
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長文 3.4週 heのつづき
遊びだ。』
 多田さんのいうことのなかに、わたしにとってひじょうに重要なことがふくまれていました。それは、強制されている状況じょうきょうからは空想力がはばたくはずがない、休んではじめて人間の構想力とか空想力がはばたくのだということです。働きづめに働いていると、そのあげくに出てくることは、しょせんたいしたことはないのだということです。空想力は想像力とおきかえてもいい。アインシュタインが知識よりも想像力のほうがずっとたいせつだ、といっていることを思いだします。
 たしかに日本人は働きすぎると思います。わたしたちはもうすこし余裕よゆうをもって、いい意味での怠惰たいだの精神、遊びの精神で生きていくべきではないでしょうか。これをなによりもまず自分自身にいいたいと思います。もっと余裕よゆうをもって、遊びをもって生きていったらいいのではないか、それをイル=イヨロント族に学びたいという思いなのです。

佐原さはら真「遺跡いせきが語る日本人のくらし」)
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