オーストラリアのヨーク半島のつけね、西側にいたイル=イヨロント族の変化を見てみます。
かれらは食料採集民で、狩りをしたり木の実を集めたりという生活をしていました。かれらにとっても石斧は男のものでした。奥さんや子供が借りることはできましたけれど、借りるとき、返すときのあいさつは、夫は妻に、父は子に優位に立っていることを確かめる機会でした。そこへ白人がやってきて、鉄の斧が入ってきました。イル=イヨロント族の人びとが白人の手助けをすると、その代償として鉄の斧をくれたりします。ときには、奥さんが鉄の斧をもらうことがあります。夫のほうは石の斧しかもっていないのに、奥さんが鉄の斧をもっていることになります。そうすると、「すまんけど、おまえの鉄の斧を貸してくれ」ということもおきてきます。これが石が鉄に代わったことでおきたさまざまな結果の一つです。
もっと重要なことは、イル=イヨロント族が浮いた時間をどう使ったかということです。この点にいま私は大きな関心をもっています。
浮いた時間を使って、なんとかれらは昼ねをしたのです。私はじつは、その部分を読んだときに吹き出してしまいました。この笑いには軽蔑の意味もふくまれていたと思うのです。ところが、私のこの感想はじつはまちがっていた、といまは思っています。
二千年前、日本ではどうだったでしょうか。石から鉄へと変わってきたときに、弥生人はおそらく浮いた時間で宴会に出席することも、昼寝をすることもしませんでした。石から鉄への変化を、生産力の飛躍的な増大につなげたのです。いままで石の斧が一本倒している時間で、四本倒すというぐあいに、すごく生産力を高めたのです。
四世紀、六世紀(古墳時代)の農民が働き者だったことは、群馬県で火山の噴火や洪水の直後に復旧工事にとりくんだ証拠からわかっています。また、日本の農業が草をとればとるほど、よい収穫
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