a 長文 2.2週 he2
 サラリーマンが仕事がおもしろくない。上役にしかられた、というようなことがあると、ほかの人のしていることがよさそうに思われる。自分のやっている仕事がいちばんつまらなそうだ。思い切ってやめてしまえ、となる。商売変えしたところで、同じ人間がするのである。急に万事うまく行く道理がない。またおもしろくなくなる。すると、またも、ほかの人の職業がよさそうに見える。こういう人はいつまでたってもこしが落ちつかない。
 こういう例は世の中にごろごろしている。それなのに、相変わらず、同じことをくりかえす人があとからあとからあらわれる。めいめいの人にほかの人の経験が情報として整理されていないからである。整理されていないわけではない。ちゃんと、ことわざという高度の定理化が行われているのにそれを知らないでいるためである。
 たえず職業を変えるのは、賢明けんめいでない。そのことは古くからはっきりしていた。「石の上にも三年」というのがそれである。イギリスには、これを「ころがる石はコケ(お金)をつけない」と表現した。とにかく、じっと我慢がまんが必要だ、ということである。
 商売をする人、投機をする人は、ものの売り買いのタイミングを見きわめるのに身の細る思いをする。もうよかろうと思って、売買をすると、早すぎる。それにこりて、こんどは満を持していると、好機を失ってしまう。もっと早く決断すればよかったと後悔こうかいする。商売の人は、たえずこういう失敗を経験している。そのひとつひとつは複雑で、それぞれ事情は違うちが ただ、タイミングのとりかたがいかに難しいむずか  か、という点と、自分の判断が絶対的でないというところを法則化すると、「モウはマダなり、マダはモウなり」ということわざが生まれる。
 学校教育では、どういうものか、ことわざをバカにする。ことわざを使うと、インテリではないように思われることがある。
 しかし、実生活で苦労している人たちは、ことわざについての関心が大きい。現実の理解、判断の基準として有益だからである。ものを考えるに当たっても、ことわざをうまく利用すると、簡単かんたん処理しょりできる問題も少なくない。
 現実に起こっているのは、具体的問題である。これはひとつひとつ特殊とくしゅな形をしているから、分類が困難こんなんである。これをパターンにして、一般いっぱん化、記号化したのがことわざである。Aというサラリ
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ーマンのこしが落ちつかず、つぎつぎ勤めつと を変えている。これだけでは、サラリーマン一般いっぱん、さらには、人間というものにそういう習性があって、その害が古くから認めみと られていることに思い至るいた のは無理だろう。
 これに「ころがる石はコケをつけない」というパターンをかぶせると、サラリーマンAも人間の習性によって行動していることがわかる。別に珍しくめずら  もない、となる。
 具体例を抽象ちゅうしょう化し、さらに、これを定型化したのが、ことわざの世界である。庶民しょみん知恵ちえである。古くから、どこの国においても、おびただしい数のことわざがあるのは、文字を用いない時代から、人間の思考の整理法は進んでいたことを物語る。
 個人の考えをまとめ、整理するに当たっても、人類が歴史の上で行なってきた、ことわざの創作そうさくが参考になる。個々の経験、考えたことをそのままの形で記録、保存ほぞんしようとすれば、ごたごたしてわずらわしく、片端かたはしから消えてしまい、後に残らない。
 一般いっぱん化して、なるべく、普遍ふへん性の高い形にまとめておくと、同類のものが、あとあとその形とうまく対応して、その形式を強化してくれる。

外山滋比古とやましげひこちょ「思考の整理学」)
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