1サラリーマンが仕事がおもしろくない。上役にしかられた、というようなことがあると、ほかの人のしていることがよさそうに思われる。自分のやっている仕事がいちばんつまらなそうだ。思い切ってやめてしまえ、となる。2商売変えしたところで、同じ人間がするのである。急に万事うまく行く道理がない。またおもしろくなくなる。すると、またも、ほかの人の職業がよさそうに見える。こういう人はいつまでたっても腰が落ちつかない。
3こういう例は世の中にごろごろしている。それなのに、相変わらず、同じことをくりかえす人があとからあとからあらわれる。めいめいの人にほかの人の経験が情報として整理されていないからである。整理されていないわけではない。4ちゃんと、ことわざという高度の定理化が行われているのにそれを知らないでいるためである。
たえず職業を変えるのは、賢明でない。そのことは古くからはっきりしていた。「石の上にも三年」というのがそれである。5イギリスには、これを「ころがる石はコケ(お金)をつけない」と表現した。とにかく、じっと我慢が必要だ、ということである。
商売をする人、投機をする人は、ものの売り買いのタイミングを見きわめるのに身の細る思いをする。6もうよかろうと思って、売買をすると、早すぎる。それにこりて、こんどは満を持していると、好機を失ってしまう。もっと早く決断すればよかったと後悔する。商売の人は、たえずこういう失敗を経験している。そのひとつひとつは複雑で、それぞれ事情は違う。7ただ、タイミングのとりかたがいかに難しいか、という点と、自分の判断が絶対的でないというところを法則化すると、「モウはマダなり、マダはモウなり」ということわざが生まれる。
学校教育では、どういうものか、ことわざをバカにする。8ことわざを使うと、インテリではないように思われることがある。
しかし、実生活で苦労している人たちは、ことわざについての関心が大きい。現実の理解、判断の基準として有益だからである。ものを考えるに当たっても、ことわざをうまく利用すると、簡単に処理できる問題も少なくない。
9現実に起こっているのは、具体的問題である。これはひとつひとつ特殊な形をしているから、分類が困難である。これをパターンにして、一般化、記号化したのがことわざである。Aというサラリ
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