a 長文 3.2週 he2
 あまのじゃくな人が嫌わきら れるのは、みんなと歩調を合わせないので、なにかと足手まといになるからです。人間は一人で生きているのではなく、他人とともに生きるようにつくられているのです。ところが、一人ひとりの人間はあらゆる点で違いちが ます。生まれつきの差もありますが、ものの見え方や音の聞こえ方も経験によって違っちが てくるように、後天的につくられるのう機能の差はさらに大きいのです。その違いちが がいわば個性ということになります。個性というと、先天的な差を連想する人もいるので、個人差という方が誤解ごかいが少ないでしょう。単なる感覚でさえも一人ひとりが違うちが のですから、価値かち観やものの考え方が違うちが のも当然です。
 このように、一人ひとりが違うちが のですが、その違いちが お互い たが に主張し合えば、だれもがあまのじゃくになってしまいます。そこで、人間同士の間には一種のなれあい現象が必要になってきます。つまり相手と意見が違っちが ても、すぐに反論はんろんするのではなく、一応は聞いておいて、自分の意見も修正し、相手の考え方もおだやかに改めてもらえるように工夫します。お互い たが 妥協だきょうするということにもなります。
 たとえば、ある料理を食べたときに、相手が「さすがにホンモノの味だ」といったとしても、自分にはそうも思えないというようなことはよくあります。しかし、それを口にすることはせずに一応は相槌あいづちを打って、味わい直してみるのがふつうでしょう。それでその場はなごやかに過ごせるし、自分の味覚が進歩することにもなります。
 このように、他人と歩調をそろえなければならないときには、だれもがひとりでになれあうのがふつうです。従ってしたが  、あまのじゃくになるひとつの原因は、そこにいる人と歩調をそろえるつもりがないために、自分の意見をそのまま主張するということです。だれに対してもあまのじゃくになるとしたら、その人はできるだけ自分だけで生きてゆこうとする人です。実際はそんなことは無理であっても、そういう姿勢しせいをとろうとするわけで、どこかで人間嫌いぎら になる原因があったのでしょう。
 (中略)
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 動物であれば、吠えほ たり、さえずったりして、自分の存在そんざいを周囲に訴えるうった  ところを、なにかと他人と違うちが 意見を主張することによって自己じこ顕示けんじするというあまのじゃくもいます。
 つまり、あまのじゃくにはいろいろの原因があるわけですが、原因はなにであれ、それが集団の歩調を乱すみだ という意味では迷惑めいわくなことです。あまのじゃくが仁王におう様にふみつけられるはめになるのはそのためでしょう。特に、日本人は自他の一体性が強いので、あまのじゃくを嫌うきら ようです。
 しかし、なれあいや妥協だきょうも度を過ごすと、自分独自の考えがなくなり、個性が薄れうす てしまいます。特に、創造そうぞう的な活動を必要とする場合は、それではまずいということになります。「逆転の発想」ということばもあるように、天動説が支配的な状況じょうきょうの中で、地球が動いているのではないか、と考えるような態度が大きな発見につながってゆきます。創造そうぞう性の強い人の中には「変人」といわれる人が少なくありません。部分的にはあまのじゃくとされることも多いでしょう。つまり、他人と歩調をそろえる心得も持ちながら、自分の意見をしっかり持っているというバランスが必要なのです。

(『ヒトはなぜ夢を見るのか』千葉康則)
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