a 長文 3.3週 he2
 考えることが得意でない風に見える人々がいる。たとえばほとんど口をきかず、毎日にこにこと店でトンカツばかり揚げあ ているようなおやじは、そう見えるかもしれない。しかし、このおやじのトンカツがとびきりうまいとしたら、この人ほどものを考えている人間は少ないかも知れない。とりあえずは、そう仮定しておく必要がある。わたしたちは、こういう人の存在そんざいに実に鈍感どんかんになった。鈍感どんかんになって、いつもひりひりとした自負心、嫉妬しっと焦燥しょうそう退屈たいくつにさいなまれるようになった。だれもかれもが、得体の知れないこの時代にともかくも遅れおく まいとし、遅れおく ていない外見を作ることに忙しくいそが  なった。それでわたしたちは、一体何を考えているのだろう。
 トンカツ屋のおやじは、豚肉ぶたにくの性質について、油の温度やパン粉の付き具合についてずいぶん考えているに違いちが ない。いや、この人のトンカツが、こうまでうまいからには、その考えは常人の及ばおよ ない驚くおどろ べき地点に達している可能性が大いにある。このことをおそれよ。このおそれこそ、大事なものである。
 むろん、わたしはうまいトンカツの重要性について述べているのではない。では、何の重要性について述べているのか。それを簡単かんたんに言うことは、どうも大変難しいむずか  。けれども、大事なことはみな、このように難しいむずか  のである。だから、トンカツ屋のおやじは黙っだま てトンカツを揚げあ ている。かれは学問を軽んじているのでも、思想を軽蔑けいべつしているのでもない。ただ、かれは自分の仕事が出会ういろいろなものの抵抗ていこうで、それらの抵抗ていこう克服こくふくする工夫で、いつも心をいっぱいに満たしているから、余計なことを考えるひまも必要もないのである。こういう男のトンカツが、いつのまにか万人の舌を説得している、このことにこそ人間の大事があると、わたしは思っているに過ぎない。
 ここに中学生の男の子がいるとしよう。この子は、学校の勉強以外、学ぶということを一切したことがない。したがって、トンカツ屋のおやじをおそれるだけの知恵ちえがない。だから、おそれ気もなくこ
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尋ねるたず  。おじさん、なぜ人を殺してはいけないの? おやじは、まずこんな質問には耳を貸さないだろう。じゃまだから、あっちに行ってろと言うだけだろう。それでおしまいである。何の騒ぎさわ も起こらない。この子が中学を出て、高校などには行かず、トンカツ屋のおやじのところに見習いに入ったとしよう。そこで、同じ質問をする。お前は見込みみこ がないから、ほかで仕事を探せさが と言われるだろう。しかし、このおやじがもっと親切なら、見習い坊主ぼうず張り倒さは たお れる。それでおしまいである。
 おそれのないところに、学ぶという行為こういは成り立たない。遊びながら楽しく学ぶやり方は、元来幼稚園ようちえんの発明だが、今の日本の学校はそれが大学まで普及ふきゅう尽くしつ  てしまった。日本だけではなかろう。二十歳はたちを過ぎてもまだ遊んでいる人間が数えきれずいる国では、やがてそういうことになる。遊ぶことと学ぶこととが、どう違うちが のかわからない。子供こどもたちは何も怖くこわ ないから、勝手に教室を歩き回るようになる。
 おそれることができるには、自分よりけた外れに大きなものを察知する知恵ちえがいる。ところが、このけた外れに大きなものは、けたが外れているが故に、寝そべっね   ている人間の眼には見えにくい。見習い坊主ぼうずもまた、パン粉を付けてみるしかない。それは、初めちっとも面白い仕事ではないだろう。おそれる知恵ちえがまだ育っていない者に、心底面白い仕事などあるわけがない。だが、知恵ちえは育つのだ。豚肉ぶたにくやパン粉があり、怖いこわ おやじがいる限りは。

(前田英樹ひでき倫理りんりという力』)
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