1考えることが得意でない風に見える人々がいる。たとえばほとんど口をきかず、毎日にこにこと店でトンカツばかり揚げているようなおやじは、そう見えるかもしれない。しかし、このおやじのトンカツがとびきりうまいとしたら、この人ほどものを考えている人間は少ないかも知れない。2とりあえずは、そう仮定しておく必要がある。私たちは、こういう人の存在に実に鈍感になった。鈍感になって、いつもひりひりとした自負心、嫉妬、焦燥、退屈にさいなまれるようになった。3誰もかれもが、得体の知れないこの時代にともかくも遅れまいとし、遅れていない外見を作ることに忙しくなった。それで私たちは、一体何を考えているのだろう。
トンカツ屋のおやじは、豚肉の性質について、油の温度やパン粉の付き具合についてずいぶん考えているに違いない。4いや、この人のトンカツが、こうまでうまいからには、その考えは常人の及ばない驚くべき地点に達している可能性が大いにある。このことを怖れよ。この怖れこそ、大事なものである。
むろん、私はうまいトンカツの重要性について述べているのではない。5では、何の重要性について述べているのか。それを簡単に言うことは、どうも大変難しい。けれども、大事なことはみな、このように難しいのである。だから、トンカツ屋のおやじは黙ってトンカツを揚げている。6彼は学問を軽んじているのでも、思想を軽蔑しているのでもない。ただ、彼は自分の仕事が出会ういろいろなものの抵抗で、それらの抵抗を克服する工夫で、いつも心をいっぱいに満たしているから、余計なことを考える暇も必要もないのである。7こういう男のトンカツが、いつのまにか万人の舌を説得している、このことにこそ人間の大事があると、私は思っているに過ぎない。
ここに中学生の男の子がいるとしよう。この子は、学校の勉強以外、学ぶということを一切したことがない。8したがって、トンカツ屋のおやじを怖れるだけの知恵がない。だから、怖れ気もなくこ
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