a 長文 7.2週 hi2
 だれにすがるわけにもいかない。だれかにしかられたいと思っても、しかってもらうわけにはいかない。先輩せんぱいも、同僚どうりょうもいない。親もいなければ、きょうだいもいない。しかも、生きるか死ぬかというときです。全部自分で引き受けるしかない。自分の判断に基づく行動のほか何にもない、こういう状態が自由です。だから、自由というのはこわい。ぞっとするほどおそろしい。
 われわれは、つね日ごろは、先輩せんぱいなり、後輩こうはいなり、友だちなり、親があり、先生があり、そのほかいろいろあります。しかし、ほんとうの自由というのは、全部取り払っと はら て、自分一人きり、それが全責任を負う。自分の判断に全部をまかせる。この状態が自由です。人間というものは、本質的には自由の続きですが、さいわい、そんなこわいことばかりでなしに、あれこれとたよるべきものがある。しかし、ほんとうの自由というものは、そういうものだということを、はっきり知っていないと、こまるのです。ぼくは自由ということばをきょうはだいぶしゃべりましたが、めったに口にしません。こわいことばですから。ぼくは自分の文章に、自由ということばをそんなに無造作に書きません。自由なんてことばを聞くと、どきっとします。
 しかし、ぼくのように自由を受け取っている人は、そんなに大勢いないでしょう。それどころか、自由と聞けば、とたんにダンスのステップでも踏み出しふ だ かねないかっこうをする人が多くて、まったく閉口へいこうです。
 ことばだけを口先でしゃべりまくって、何か事が済んす でいるみたいなところに、教育の普及ふきゅう国でありながら、日本はひどく変なところ、ひどく不幸なところがあると思います。くりかえしになりますが、自由ということは、たった一人の人間、たった一人の自分というものの責任においてはじめて可能になるということです。
 では、たった一人の自分だけでいいか、ということになると、そうはいきません。次は、たった一人の人間が、別のたった一人の人間とどう結びつくかという問題です。ほんとうに、自分というものをしっかり握っにぎ て──オウムのように何だかわけのわからぬことを口ばしって疑いうたが も持たないような人間でなくて、うっかりすると、人ごみにまぎれこんでしまいがちな自分というものに、いつも目をくばって、自分で自分を監督かんとくする。めいめいの人間が自分にブ
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レーキをかけることを忘れわす ない。そんな社会を文明社会といいます。めいめいがそれぞれ、ブレーキを持って、まさかのときは、自分でブレーキをかけることを忘れわす ない。こういう人間の集まっている所が文明社会です。そういう、ひとりひとりが自分をしっかり握っにぎ て、行くえ不明にならないように、自分が自分を監督かんとくする。こういう人間と、もう一人のそういう人間との結びつき、これが社会というものの根本です。

臼井うすい吉見よしみの文章による)
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