1いやいやがまんするのではなくて、進んで行なう、これが心地よさの基礎である。ところが、砂糖菓子は口のなかで溶かしさえすれば、ほかに何もしなくともけっこううまいものだから、多くの人々は幸福を同じやり方で味わおうとして、みごとに失敗する。2音楽は聞くことだけしかせず、自分では全然歌わないのなら、たいして楽しくはない。だから、ある頭のいい人は、音楽を耳で鑑賞するのではなく、喉で味わうのだ、と言った。3美しい絵からうける楽しみでさえ、下手でもいいから自分で描いてみるとか自分で収集するとかしなければ、休息の楽しみであって、熱中の楽しさは味わえない。大切なのは、判断するだけにとどまらず、探究し、征服することである。4人々は芝居を見に行き、自分でいやになるくらい退屈する。自分でつくり出すことが必要なのだ。少なくとも自分で演ずることが必要なのだ。演ずることもまたつくり出すことなのだ。わたしは人形しばいのことばかり考えてすごした幸福な数週間のことを思い出す。5だが、ことわっておくが、わたしは小刀で木の根に、高利貸だの、兵隊だの、むすめだの、老婆だのを刻んでいたのである。ほかの連中がそれらの人形に衣装を着せた。わたしは観客のことなど眼中になかった。6批評などというとるに足らぬ楽しみは観客どもにまかせておいた。いくらかでも自分で考え出したという点では、批判もまた楽しみではあるのだが。7トランプをやっている連中は、たえずなにかを考え出し、勝負の機械的な進行に手を加える。だが、それにしても、ゲームを学ばなければならない。なにごとにおいてもそうだ。幸福になるには、幸福になるなり方を学ばなければならない。
8幸福はいつもわれわれから逃げてゆくものだ、といわれる。人から与えられた幸福を言うのなら、それは正しい。与えられた幸福などというものはおよそ存在しないからである。しかし、自分でつくる幸福は、決して裏切らない。9それは学ぶことであり、そして人はたえず学ぶものだ。知れば知るほど学ぶことができるようになる。ラテン語学者の楽しみもそういうものだ。そこにはきりというものがなく、むしろ進んだだけ楽しみが増える。0音楽家であることの楽しみも同様である。だからこそ、アリストテレスはつぎのよ
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