1理解できなくても、理解者になることができる――この発想がとても大切です。
では、どうしたら私たちは、苦しんでいる人から見て「理解者」になることができるのでしょうか?
2理解者になることは、面白い話をしてくれる人になることではありません。がんばってねと励ましてくれる人になることでもありません。知らんぷりをする人になることでもありません。
そばにいて、ただじっと聴いてくれる人が、わかってくれる人になるのです。
3私は、この場合の「きく」には「聴く」という漢字をあてて、「聞く」とはあえて区別して用いるようにしています。
一般的に、聞くということは、自分が何かを知るために行なうことです。4つまり、「自分の知りたいこと」を知るために聞くのです。
苦しむ人を前にすると、医師は「いつから具合が悪いのか」「何か良くないものを食べたか」「ほかに具合の悪いところはないか」など、病気を疑って問いかけます。5皆さんであれば、「どうしたの? 何かつらいことがあったの?」など、いろいろ質問をするかもしれませんね。
しかし、ここで紹介したい「聴くこと」は、自分が理解するための「聞くこと」とは違います。6相手から見て、わかってくれたと思えるための「聴くこと」です。自分が知りたいことを聞くのではなく、相手から見て、わかってもらえたと思えるように「聴く」ことがとても大切になってきます。
(中略)
7苦しんでいる人は、いろいろなサインを出します。言葉であったり、言葉ではなかったりします。そして、聴き手である「私」は、そのサインを何か意味があるメッセージとして受け取ろうとします。8何か伝えたいことがあるのだと意識して聴いていく時、相手のメッセージが見えてくることでしょう。
そして、そのメッセージを、言葉にします。「あなたのいいたいことは、こういうことですね」という具合に、メッセージを受け取ったことを、相手に伝えます。
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