a 長文 8.4週 hi2
 理解できなくても、理解者になることができる――この発想がとても大切です。
 では、どうしたらわたしたちは、苦しんでいる人から見て「理解者」になることができるのでしょうか?
 理解者になることは、面白い話をしてくれる人になることではありません。がんばってねと励ましはげ  てくれる人になることでもありません。知らんぷりをする人になることでもありません。
 そばにいて、ただじっと聴いき てくれる人が、わかってくれる人になるのです。
 わたしは、この場合の「きく」には「聴くき 」という漢字をあてて、「聞く」とはあえて区別して用いるようにしています。
 一般いっぱん的に、聞くということは、自分が何かを知るために行なうことです。つまり、「自分の知りたいこと」を知るために聞くのです。
 苦しむ人を前にすると、医師は「いつから具合が悪いのか」「何か良くないものを食べたか」「ほかに具合の悪いところはないか」など、病気を疑っうたが て問いかけます。皆さんみな  であれば、「どうしたの? 何かつらいことがあったの?」など、いろいろ質問をするかもしれませんね。
 しかし、ここで紹介しょうかいしたい「聴くき こと」は、自分が理解するための「聞くこと」とは違いちが ます。相手から見て、わかってくれたと思えるための「聴くき こと」です。自分が知りたいことを聞くのではなく、相手から見て、わかってもらえたと思えるように「聴くき 」ことがとても大切になってきます。
(中略)
 苦しんでいる人は、いろいろなサインを出します。言葉であったり、言葉ではなかったりします。そして、聴きき 手である「わたし」は、そのサインを何か意味があるメッセージとして受け取ろうとします。何か伝えたいことがあるのだと意識して聴いき ていく時、相手のメッセージが見えてくることでしょう。
 そして、そのメッセージを、言葉にします。「あなたのいいたいことは、こういうことですね」という具合に、メッセージを受け取ったことを、相手に伝えます。
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具体的には「反復」という技法を用います。相手の話した大切なカギとなる言葉を、ていねいに反復するのです。
 大切なことは、話をした人が、「いいたいことが伝わった」という感覚を持てるかどうかにあるのです。聴いき てもらえたけれど、本当に聴いき てくれた相手に自分の思いが伝わったかどうかわからなければ、聴くき ということの意味が半分以下になってしまうことでしょう。
 たとえば、相手にメールを送ったのに返事がないと、本当に伝わったか心配になる人もいるでしょう。一言、「メール届いとど たよ」でも、返事があるとうれしいですね。これと同じです。話した人に対して、あなたのいいたいことは、こういうことなんですね、と返してあげることが、大切になります。
 これだけでも、苦しんでいる人の気持ちは楽になると思います。わかってくれたとの思いは、満足につながります。そして、安心した気持ちになっていきます。
 その人は、聴いき てくれた人のことを「わかってくれる人」として認めみと てくれるでしょう。そして、聴いき てくれた人を信頼しんらいするようになっていくのです。
(中略)
 人は、誰かだれ に「わかってもらえた」と思えた時に初めて、苦しみの中にあっても生きようとする力がわいてくるのだと思います。
 聴くき ことは、とても大切な援助えんじょの方法です。聴いき てもらえるだけで、気持ちが楽になる人もいるはずです。このように聴くき ことができたならば、皆さんみな  は、大切な人の苦しみをやわらげることのできる、素晴らしい援助えんじょ者になれるでしょう。

小澤竹俊『一三さいからの「いのちの授業」』(大和出版)による)
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