1この数年、おりおりに森を歩いている。
日本列島で森といえば山のことだが、私のは登山ではなくて森あるきだ。頂上をめざしてひたすら登るという年齢ではなく、そんな体力もないのだが、山のすそや中腹の森をゆっくり歩いていると気が安まり心が満ちてくる。
2谷川の石河原で寝そべってみたら若葉のざわめきと水の音と鳥の声につつまれている心地よさに、半日を過ごしてしまい、日暮れどきになってそのまま帰って来たこともある。3紅葉のブナの森を歩いていたら、その前から立ち去りがたい大きな木があちらにもこちらにもあって、そのときも気がつくと半日が過ぎていた。その日予定していた別の森には行かずじまいだった。なにも数多くの森をせっせと歩きまわることはない。4訪ねた森の数や歩いた距離をだれかと競うわけではないのだから、森の豊かな時間のなかに身を置いて、森の大きないのちの鼓動を静かに聴きつづける。時を忘れさせる森では足はおのずとゆっくりになり、しばしば立ちどまってしまう。
5そういう森で見かけるのが、倒木だ。三人抱え四人抱えという大きな木が倒れている。何百年かを生きてきて、半ば朽ちて立っていた木が、ある日強い風に倒されたのだろう。太い幹の途中から折れて上部が地上に横たわっている。6倒れたときの衝撃でいくつかに分かれて縦に並んでいる倒木もある。
古くなった倒木には苔が生えている。倒木の割れ目にたまった土に若木が育っていたりする。7倒れた木そのものがもう半ば土のようになって、そこに育った木が倒木同様に太くなり、倒木をかかえて天にそびえているのも見かける。森はそういう生と死をはらんで大きないのちを生きつづけている。
8私の知るかぎり、時を忘れさせるほどに豊かな森は、倒木のある森だ。人工林には倒木がない。伐採されて搬出を待っている木が寝かされているだけで、自然の倒木が次の世代の木を育てているということはない。9日本庭園にも倒木を見かけることはまれで
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