1実は私にもまったく同じ経験があったのである。それは四国の山々をヘリコプターで視察したときのことであった。四国は日本有数の地すべり地帯である。2吉野川の上流や仁淀川の流域など、近寄ることもむつかしいような山崩れ地帯が至るところにあって、しばしば大水害を起こしている。3そうした自然の脅威とたたかいながら過疎の山村の人たちが、治山、砂防にとり組んでいる様子を空から調査する、二日間のフライトであったが、その帰りのことであった。4四月末であった。ヘリコプターが山の斜面にそって高度を下げ、高知の空港へ向かっている。そのとき眼下に広がって見えたのは、山の斜面も平野も波打ちぎわに至るまで、一面の水、水、水。折から午前の太陽を反射して、大地はことごとく鏡を張ったようであった。5土佐特有のこの美しい風景は空からでなくとも望めるので、是非皆さんにもおすすめしたいが、以来私は以前にも増して、「水田はダム」との確信をもつようになった。以前にも増してお米の大切さを訴えるようになった。6テレビのそのディレクターも私も、「水」という一点に視点をあわせてみれば、はたと思い当る風景は、同じだったのである。
7ところでその水田地帯を歩くばあい、私は次のような見かたをする。まず用水の施設を見る。かつてのあの「ふるさとの小川」ののどかな風景は、いまではなくなってしまったけれど、ともかくも用水の水路や堰など水の施設を見る。8水路が放置され、雑草が茂っていたり、ふちが欠けていたり、水面がゴミだらけだったりすると、「ああ、ここの農民はやる気がないな」と悲しくなり、逆に水路の手入れが行きとどいていれば、「この困難な時代に、がんばってるなあ」と、うれしくなる。9日本の農業と水とはまさにそうした関係にある。
同じようにして山を見るばあいには、つぎのように見る。金色の稲穂波うつその水田風景が、平野から山すそへ、沢あいの段々畑へとはい上がっているようなばあいには、ひょいと上を見れば山もまた、まがりなりにも森林が守られている。0その逆に、昔の谷地田
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