1「笑う門には福が来る」のであって、福が来るから笑うのではない。自分から運を寄せつけないでおいて、「私は運が悪い」となげいている人は多い。いつも暗い顔をしていれば運もにげていく。悪口ばかり言っていても、運はにげていく。2ビジネスで成功したければ、「悲観論者とは付き合うな」と運について書いた人が言っている。
運と見えるものは日常の生き方の結果である。3ある格言集に「本をおくる時は表紙の見返しに短いメッセージを書くこと」というのがあった。これはだれでもが思う、どうというようなことばではない。しかし心がないと短いメッセージでもなかなか書けない。4そして実はそのような日常の積み重ねが幸運を呼んでくるのである。日常生活のこまごましたことをいい加減にしておいて大きな幸運を望んでも無理である。毎日のささいな生活上の連続が大きな幸運や不運を運んでくる。
5もし、幸運がほしいなら、日常のおくり物一つにも心があることが大切である。手紙一つそえるにも、びんせんからふうとう、切手にまで細かな心づかいの行き届いた人もいる。それが相手への最高のおくり物である。6物事を安易に考えないで、苦労をいとわない人は、幸運のほうが追いかけてくる。「あの人なら」とおくられた方が信頼するからである。こうして幸運を運んでくれる人脈はできてくる。
7研究室から大切な本を借りて返さない学生が最近多い。こうした社会性を欠いた人はいずれその代償を社会からはらわされる。人びとはあいつと付き合うのはいやだと思うからである。
つまり、彼はまともな人からは相手にされなくなる。
8その時に社会性を欠いた人は、「私は運が悪い」と言う。何が原因で自分に世の中がつらく当たるのかが理解できないのである。しかし、社会性を欠いた毎日の生活の積み重ねでそうなっていくのである。
9そして、「私の人生はどうしてこんなに苦しいことばかりあるのだ」と自分自身が招いた不運をただなげいている。その困難や不幸を招いたのは自分の過去の行いの集積であることにはさいごまで気がつかない。0人は成功や失敗の原因というのはよく分かる。しかし「日々の積み重ねの結果そうなった」という、かくされた部分はなかなか理解できない。
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