a 長文 11.1週 hu
 我が家わ やのリビングには、ぼく赤ん坊あか ぼうころの写真が飾らかざ れている。よく「小さいころの写真を見るのは恥ずかしいは    」という人がいるが、この写真に限って言うなら、ぼくはそうは感じない。物心ついたときからそこにあり、毎日見ているため、もはや慣れてしまって、今さら照れくさい気持ちにはならないのである。
 むしろ、写真の中の赤ちゃんは、われながらとてもかわいらしいと思うほどだ。何がそんなに嬉しいうれ  のか、というほど目を細め、口を上げて微笑んほほえ でいる。それがピントもばっちりのアップで写された、良い写真である。ぼくはときどき「こんなに可愛い赤ちゃんが、今ではすっかりかわいくない少年になってしまったね」と冗談じょうだんを言う。母はそれを聞くたびに、そうねえと大笑いをするのだ。
 ある日、ぼくはひとりで留守番をしていてひまだったので、その写真をしげしげと眺めなが てみた。本当に自分なのか疑っうたが た、というわけではないが、成長した現在の顔と、どれくらい変わったか見比べてみようと思ったのだ。
 色々と見回してみて、一つ、昔と今でまったく変わっていない部分を発見した。それは、鼻の頭にある小さなきずだ。今では痛くいた もかゆくもない傷あときず  であるが、写真ではついたばかりのようで、よく見ると結構痛々しいいたいた  感じだった。こんなきずがあるのににこにこしているとは、やはり赤ん坊あか ぼう無邪気むじゃきなのだなと、ぼくは他人事のように思った。
 やがて母が帰ってきて、ぼくは気付いたことを報告した。すると母は、やけに重々しい口調で、「実は今まで隠しかく ていたことがある」と切り出した。それは、ぼくにとって衝撃しょうげきの事実であった。
 なんと、ぼくの鼻のきずは、まさにこの写真を撮っと た時についたものなのだという。カメラを構えた父に向かって、赤ん坊あか ぼうぼくはすごい勢いで這っは ていったらしい。母が止めるひまもなかったという。そしてぼくはそのままカメラのレンズに激突げきとつし、火がついたように泣きわめいたのだそうだ。
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 そう、微笑ましいほほえ   まいだとばかり思っていたこの写真は、笑っているのではなく、痛みいた 驚きおどろ で泣き出す寸前すんぜん(ゆが)んだ表情をとらえたものだったのである。
 人間の先入観とは恐ろしいおそ   ものだ。ただ、それが分かった上で見てみても、写真の中の赤ちゃんはやはり幸せそうに見える。痛みいた や失敗も含めふく て、愉快ゆかいな家族の思い出になっているからだろうか。
 今まで注目してこなかった写真にも、さまざまな隠さかく れた物語があるのかもしれない。ぼくは今度の留守番のとき、改めて古いアルバムを開いてみようかと考えた。

(言葉の森長文ちょうぶん作成委員会 ι)
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