a 長文 11.3週 hu
 だれもがよく知っているお伽噺 とぎばなし桃太郎ももたろう」は、「ある日おじいさんは山へ柴刈りしばか に、おばあさんは川へ洗濯せんたくに行きました」という語り出しから始まっている。このお伽噺 とぎばなしが昔から変わることなく子供こどもたちをひきつけてきたのは、波乱はらんに富んだ冒険ぼうけん談のまくあけを、かつての日本人にとってもっともありふれた日常生活の一場面に置いた、その巧みたく な語り出しにあるのではなかろうか。
 年寄りが行けるような身近な所に、たきぎ採りのできる林があり、また、家のすぐそばには洗濯せんたくのできるきれいな小川が流れているといった、この素朴そぼくな集落の光景は、日本人にとっての一つの原風景といってもよいだろう。東アジアの季節風地帯に属し、気候が湿潤しつじゅんであるために豊かな森林と川に恵まれめぐ  たこの国では、住民の生活は、この森と川の恩恵おんけいのもとに営まれてきたのであった。
 (中略)
 そこで思いあたるのは、この国のもともとの集落形成が、多くの場合、扇状地せんじょうちから始められてきたことだ。扇状地せんじょうちは、山地の渓流けいりゅうが平野にそそ込むこ 地点で砂礫されき堆積たいせきして作られた、なだらかな地形である。
 背後はいごに山を背負いせお 前には平野をのぞむこの扇状地せんじょうちは、水はけのよい土に恵まれめぐ  、またその末端まったんのあちこちからは、一度伏流ふくりゅうした谷川の水の一部が再び穏やかおだ  な小川となって流れ出している。それは、日本の自然のなかでもっとも人間にやさしい部分といってよいだろう。人びとはここに拠るよ ことによって「荒々しいあらあら  湿潤しつじゅん」がその反面に持つ豊穣ほうじょう享受きょうじゅしてきたのであった。
 おじいさんは山に、おばあさんは川に、という描写びょうしゃは、まさにこのような集落の情景を表している。ここでは、集落をとりまく山麓さんろくの森林は薪炭しんたん材、日用材や農用材のほか、緑肥、木の実、山菜から家畜かちく飼料などに至るいた まで、さまざまな生活資源しげんを引き出せるたからの山であり、また、そこから流れ出す川は、良質な生活用水を供給きょうきゅうする母なる川だったのだ。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 こうした人間の身近にあって生活のさまざまな面で利用されるような森林を、日本人は里山と呼んよ できた。この里山の特色は、人間によってきわめて集約的に利用されながら、しかし、けっして消滅しょうめつすることなく、長く維持いじされてきたことにある。(中略)
 しかし里山が長く維持いじされてきたもう一つの理由は、里山が、さきにも述べたような木材以外の、さまざまな資源しげん採取の場としても利用され続けてきたからである。しかも、そうしたものの採取は、つねに取りつくす「刈り取りか と 」でなしに、必要な時に必要な分だけを求める「み採り」によってきた。
 刈り取りか と は、弥生やよい時代以来の農耕文化のもっとも基本的な収穫しゅうかくの方式である。しかし日本人の里山の利用には、いわば縄文じょうもん時代以来の伝統ともいうべき多様なみ採り行為こうい含まふく れていたのだった。この国では長い間、農耕地からの刈り取りか と と里山からのみ採りによって人びとの生活が成り立ってきたのである。
 また、こうした里山への働きかけの底流には、自然への畏敬いけいがあった。西洋の宗教しゅうきょうと日本の宗教しゅうきょうの大きな違いちが は、前者が排他はいた的な一神教であるのに対し、後者は多神教であることにある。そこで、天上に唯一ゆいいつの神が在って世界を支配するのではなく、地上のあらゆるものに神々が宿るとみる心から、山や川までが素朴そぼく信仰しんこうの対象になっていたのであった。このことが、西洋における自然の合理的制御せいぎょとは異なること  、自然への順応を支えてきたとみてよいだろう。
 その象徴しょうちょうが、集落を囲む里山の一角に必ずあった、鎮守ちんじゅの森である。鎮守ちんじゅの森は、村人の信仰しんこうの場であると同時に、里山のなかに巧みたく 織り込まお こ れた、今でいえば保存ほぞん林にあたる聖域せいいきでもあった。集落一帯の環境かんきょう保全の急所ともいえる場所に鎮守ちんじゅの森が配置されていたことが今では知られている。

石城謙吉「森はよみがえる」による)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534