1人間には、身体的なエネルギーだけではなく、心のエネルギーというものもある、と考えると、ものごとがよく了解できるようである。2同じ椅子に一時間座っているにしても、一人でぼうっと座っているのと、 客の前で座っているのとではつかれ方がまったくちがう。3身体的には同じことをしていても「心」を使っていると、それだけ心のエネルギーを使用しているのでつかれるのだ、 と思われる。
このようなことはだれしもある程度知っていることである。そこで、人間はエネルギーの節約につとめることになる。4仕事など必要なことに使うのは仕方ないとして、不必要なことに、心のエネルギーを使わないようにする、となってくると、人間が何となく無愛想になってきて、生き方にうるおいがなくなってくる。5他人に会うたびに、にこにこしていたり、相手のことに気をつかったりするとエネルギーの浪費になるというわけである。ときに、役所の窓口などに、このような省エネの見本のような人を見かけることがある。6まったくもって無愛想に、じゃまくさそうに応対をしているのである。そのくせ、つかれた顔をしたりしているところが、おもしろいところである。
7これとは逆に、エネルギーがあり余っているのか、と思う人もある。仕事に熱心なだけではなく、趣味においても大いに活躍している。他人に会うときも、いつも元気そうだし、いろいろと心づかいをしてくれる。8それでいて、それほどつかれているようではない。むしろ、人よりは元気そうである。
このような人たちを見ていると、人間には生まれつき、心のエネルギーをたくさんもっている人と、少ない人とがあるのかな、と思わされる。9いろいろな能力において、人間に差があるように、心のエネルギー量というのにも生まれつきの差があるのだろうか。これは大問題なので、今回は取りあげないことにして、もう少し他のことを考えてみよう。
0他との比較ではなくて、自分自身のことを考えてみよう。たとえば、自分が碁が好きだとして、碁を打っているために使用される心のエネルギーを節約して、もう少し仕事の方に向けようと考えてみるとしよう。そこで、友人と碁を打つ回数を少なくして、仕事に力を入れようとして、果たしてうまくゆくだろうか。あるいは、今まで運動などまったくしなかったのに、ふと友人にさそわれてテニスをはじめると、それがなかなかおもしろい。だんだんと熱心にテ
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