a 長文 5.2週 ma
 生物界の中でヒトという種を特徴とくちょうづけてみると、優れた学習能力がほぼ一生にわたって維持いじされる、ということが第一に挙げられるであろう。
 例えば、クジラやライオンのような大型哺乳類ほにゅうるいについて言えば、クジラは水中生活に便利なように体型が変化しており、またライオンやトラは、筋肉が発達し、敏捷びんしょうで、しかも鋭いするど きばつめを備えている。したがって、ある環境かんきょう条件下ではえさを手に入れ、種族を維持いじしていくことが容易である。反面、これらの大型哺乳類ほにゅうるいは、限られた環境かんきょう下においてのみ繁栄はんえいしうる。クジラはもはや陸上で生活することはできないし、ライオンやトラは比較的ひかくてき大きな草食じゅうが手に入らなくなったらおしまいである。
 これに対して、サルの仲間は、そういった身体上の特徴とくちょうを持っていない。さらにまた、生まれつきの行動の仕組みが比較的ひかくてき少なく、加えて雑食性でもあるところから、様々な環境かんきょうに適応しうる。いわば、他の大型哺乳類ほにゅうるい特殊とくしゅ化するという方向で進化してきたのに対し、サルの仲間はむしろ、環境かんきょうに対する柔軟性じゅうなんせいにおいて進化してきた、ということができるであろう。
 したがって、サルの仲間では、経験に基づいて外界についての知識を身に付けることが、個体の生存にとっても、また種の維持いじにとってもそれだけ重要になってくる。つまり、サルはもともと学習する種である、と言い換えるい か  ことができる。外界についての知識を得ること――それによって、どこが安全か、どのようにしたら食物が手に入るか、などを的確に判断できることが生存のために不可欠なのである。
 しかし、このような事情は、ヒトにおいてより一層顕著けんちょに認められる。ヒトは他の類人猿るいじんえんと比べてさえ、生まれつきの行動の仕組みが少ない。このために、チンパンジーの子供とヒトの子供とを双生児そうせいじのように育ててみると、初めの数か月間は、むしろヒトの子供の方が知的にも劣っおと ているという印象を与えるあた  ほどなのである。
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 さらにヒトの場合には、それぞれの個体が自らの直接の経験に基づいて知識を集積するばかりでなく、他の個体の経験を言語などを媒介ばいかいとすることによって利用することもできる。つまり、学習が社会的な性格を持つに至っている。ヒトの個体の生存や種族維持いじは、それぞれの個体ごとの経験に基づく知識にばかりでなく、文化という形において集積された他の個体の経験を摂取せっしゅしうる(自分のものとしうる)ことにも依存いぞんしている、とさえ言ってよいであろう。こうして集積された知識がなければ、ヒトはいかにも無力な動物なのである。
 ここで、学習とか知識とかいう用語が、必ずしも日常的用語と、意味において一致いっちしていないことを注意しておこう。ここでの学習とは、単に学校などでする学習というだけの意味ではなく、様々な経験に基づいて外界についての知識を獲得かくとくすることとほぼ同義である。また知識というのも、個別的な事実についての知識(いわゆる断片的な知識に近い)や、判断・実行の手続きについての知識ばかりではない。ここでいう知識は、外界の事物、自分自身、及びおよ その関係についてのある程度体系だった情報も含むふく 。ヒトは、このような情報の体系を持つことによって生きのびてきたのだし、また、現在の社会でもこうすることによって初めて有能に行動しうるのである。
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