1憧れると同時に相手を侮蔑する。そうすることによって人間は生きていくというような側面があることは事実だと思います。
2その偏見には、政治的な野心とか、経済的な願望とか、そういう利害関係ももちろんからんでくると同時に、政治や経済や軍事において逆に優位にある民族や社会に対して、劣位におかれていた人が文化的な優越性をもって相手を見返すということもあるわけです。3黒人の文化というのは差別の対象のようにずっと捉えられていた面があるわけですが、ブラックパワーと言い出して、生命力では白人より黒人のほうが強いという主張を黒人がして白人を見下すこともあるわけです。4それは、白人の優越感の裏がえしでもあります。白人、黒人といったいい方も乱暴ないい方にはちがいありません。日本人などは黄色人といわれますが、これも現実に私たちは黄色ではありません。人間にはさまざまに見えるところがあり、肌の色も微妙にちがう面が多いわけです。5現にフランスでスペイン人に間違われたとか、アメリカでメキシコ人として扱われたとか、日本人と外国でなかなか見てくれないような体験をする人もいるわけです。白人、黒人、黄色人といった区別も文化的な偏見の面が強いと思います。
6異文化に対しては、ささいなことが拡大されて、オリエンタリズム的なアプローチを生み出します。サイードは、学者や小説家の言説だけではなく、一九世紀イギリスの政治家の議会演説なども引用しながらそこに含まれるオリエンタリズムを露わにしてゆくのですが、7日本人のアジアに対する言説を明治以来拾ってみれば、同じようなことが言えるかもしれません。福沢諭吉の「脱亜入欧」は近代日本の国家的スローガンにもなりましたが、福沢には強い「アジア蔑視」があったと安川寿之輔氏は指摘しています。8私も以前そのようなことを述べたことがあります。無意識的に発言された言葉が誤解を拡大させて、それが大きな国際関係まで脅かす可能性があるということです。
9いつも感じることで、日本人はどうも自己完結的というのか、外来文化を日本文化の中で消化しようとしてしまう。外から伝わった文化の要素でもいつのまにか日本文化になってしまっているということが多く、それで、逆に異文化をあまり意識しないのではない
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