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 憧れるあこが  と同時に相手を侮蔑ぶべつする。そうすることによって人間は生きていくというような側面があることは事実だと思います。
 その偏見へんけんには、政治的な野心とか、経済的な願望とか、そういう利害関係ももちろんからんでくると同時に、政治や経済や軍事において逆に優位にある民族や社会に対して、劣位れついにおかれていた人が文化的な優越ゆうえつ性をもって相手を見返すということもあるわけです。黒人の文化というのは差別の対象のようにずっと捉えとら られていた面があるわけですが、ブラックパワーと言い出して、生命力では白人より黒人のほうが強いという主張を黒人がして白人を見下すこともあるわけです。それは、白人の優越ゆうえつ感の裏がえしでもあります。白人、黒人といったいい方も乱暴ないい方にはちがいありません。日本人などは黄色人といわれますが、これも現実に私たちは黄色ではありません。人間にはさまざまに見えるところがあり、はだの色も微妙びみょうにちがう面が多いわけです。現にフランスでスペイン人に間違わまちが れたとか、アメリカでメキシコ人として扱わあつか れたとか、日本人と外国でなかなか見てくれないような体験をする人もいるわけです。白人、黒人、黄色人といった区別も文化的な偏見へんけんの面が強いと思います。
 異文化に対しては、ささいなことが拡大されて、オリエンタリズム的なアプローチを生み出します。サイードは、学者や小説家の言説だけではなく、一九世紀イギリスの政治家の議会演説なども引用しながらそこに含まふく れるオリエンタリズムをあらわにしてゆくのですが、日本人のアジアに対する言説を明治以来拾ってみれば、同じようなことが言えるかもしれません。福沢ふくさわ諭吉ゆきちの「脱亜入欧だつあにゅうおう」は近代日本の国家的スローガンにもなりましたが、福沢ふくざわには強い「アジア蔑視べっし」があったと安川寿之輔氏は指摘してきしています。私も以前そのようなことを述べたことがあります。無意識的に発言された言葉が誤解を拡大させて、それが大きな国際関係まで脅かすおびや  可能性があるということです。
 いつも感じることで、日本人はどうも自己完結的というのか、外来文化を日本文化の中で消化しようとしてしまう。外から伝わった文化の要素でもいつのまにか日本文化になってしまっているということが多く、それで、逆に異文化をあまり意識しないのではない
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でしょうか。異文化に対する憧れあこが 軽蔑けいべつもあるのですが、日常生活の中で異文化に対する無関心というものが、いかに大きな誤解とか差別とか、逆に外国での日本に対する悪感情を生むかということを意識しないで行動している場合が多いと思います。
 オリエンタリズムは、オリエントに対する近代西欧せいおう偏見へんけん偏向へんこうというものを、西欧せいおうのオリエント支配の生み出した言説として、サイードが告発したところからきているわけですが、これまで見てきましたように大きな意味で異文化に対する偏見へんけんを示す象徴しょうちょう的な言葉として使えると思います。単に西欧せいおう対オリエントという形でなくて、日本対アジアとか、アメリカ対中国や日本というような形でも使えるし、西ヨーロッパ対日本という形でもあてはめられると思います。それはアジアやアフリカのさまざまな地域でも多数派民族から少数派民族を見る場合とか、複雑な異文化間の状況じょうきょうにおいて使われることでもあるでしょう。
 なぜオリエンタリズムの問題がそれほど重要かといえば、現代は文化と人間の広い交流の時代だからです。幾度いくど繰り返しく かえ ますが、異文化は常に身近にあるし、常に他者と接触せっしょくしつつ人々は生活をしていかなくてはなりません。そのときに、異文化に対してあまりにも無知であったり、また無知からくる偏見へんけんは大きな困難や摩擦まさつを生み出します。
 異文化理解が重要になった時代に、異文化へのアプローチに対する警告の言葉として、「オリエンタリズム」というのは非常に重要な言葉だということを指摘してきしておきたいと思います。

(青木保『異文化理解』より 一部改変した)
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