1テレビを見ているとき、急に私が怒りだし、登場人物に反論し始めるので家人がびっくりすることが度々ある。大体それは、科学者が「専門家」として、いかにもすべてを知っているかのように話すときであり、自らの判断ミスを素直に認めないまま権威を保とうという態度にあきれはてた場合である。2「そんな姿勢だから、科学者がますます信用されなくなるんだ」と私はつい怒ってしまうのだ。
と書き出せば、地震の予知やエイズ問題に登場する科学者のことだとお気付きと思う。私が強く言いたいのは「科学者は、少なくとも真実に対しては徹底して忠実であるべきだ」ということである。3未知の闇を探るのが科学者の仕事なのだから、間違いを犯すのが科学者であり、知識の限界を知っているのも科学者なのである。だからこそ、真実が明らかになったとき、間違いを率直に訂正し、どこに限界があったかを誠実に語らねばならないと思うのだ。4それが「真実に忠実な科学者」の姿であり、科学者は間違うものだという当然の事実を、私たちも知るようになるからだ。それが「専門家」として、科学者が何らかの問題に関係したときの取るべき態度だと思っている。
5しかし、立場や権威が邪魔をするのだろうか、それとも責任を問われるのが怖いのだろうか、なかなかそのような「専門家」にはお目にかからない。「もんじゅ」の事故しかり、エイズ問題しかり。6「その段階ではわからなかった」にしても(確かにそうだったのかは調べなければならないが)、ある種の判断をしたのは事実だから、真実がわかった段階で素早く誤りを認めるのが真実に忠実な科学者なのである。7さらに、「答申はしたが、実行は行政の責任だ」という逃げ口上で責任を回避するのは、ほとんど人間として失格だと思う。答申がなければ政府は実行できないのだから、そのような答申をした道義責任からは決して逃れることができないのだ。8専門家として政府の委員になるということは、その責任を負う覚悟をしているということなのだから。
いろいろな問題で、多くの科学者が専門家として安全を「保証」したり、無害を「証明」する役を演じている。9時には、妙ちきりんな説で現場を混乱させたり、例外や小さな欠点を針小棒
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