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 テレビを見ているとき、急に私が怒りおこ だし、登場人物に反論し始めるので家人がびっくりすることが度々ある。大体それは、科学者が「専門家」として、いかにもすべてを知っているかのように話すときであり、自らの判断ミスを素直に認めないまま権威けんいを保とうという態度にあきれはてた場合である。「そんな姿勢だから、科学者がますます信用されなくなるんだ」と私はつい怒っおこ てしまうのだ。
 と書き出せば、地震じしんの予知やエイズ問題に登場する科学者のことだとお気付きと思う。私が強く言いたいのは「科学者は、少なくとも真実に対しては徹底てっていして忠実であるべきだ」ということである。未知のやみを探るのが科学者の仕事なのだから、間違いまちが を犯すのが科学者であり、知識の限界を知っているのも科学者なのである。だからこそ、真実が明らかになったとき、間違いまちが を率直に訂正ていせいし、どこに限界があったかを誠実に語らねばならないと思うのだ。それが「真実に忠実な科学者」の姿であり、科学者は間違うまちが ものだという当然の事実を、私たちも知るようになるからだ。それが「専門家」として、科学者が何らかの問題に関係したときの取るべき態度だと思っている。
 しかし、立場や権威けんい邪魔じゃまをするのだろうか、それとも責任を問われるのが怖いこわ のだろうか、なかなかそのような「専門家」にはお目にかからない。「もんじゅ」の事故しかり、エイズ問題しかり。「その段階ではわからなかった」にしても(確かにそうだったのかは調べなければならないが)、ある種の判断をしたのは事実だから、真実がわかった段階で素早く誤りを認めるのが真実に忠実な科学者なのである。さらに、「答申はしたが、実行は行政の責任だ」という逃げ口上に こうじょうで責任を回避かいひするのは、ほとんど人間として失格だと思う。答申がなければ政府は実行できないのだから、そのような答申をした道義責任からは決して逃れるのが  ことができないのだ。専門家として政府の委員になるということは、その責任を負う覚悟かくごをしているということなのだから。
 いろいろな問題で、多くの科学者が専門家として安全を「保証」したり、無害を「証明」する役を演じている。時には、妙ちきりんみょう    な説で現場を混乱させたり、例外や小さな欠点を針小棒
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大に言いたてて誠実に対応しようとする人の信用を落とさせるようなピエロ役を果たすこともある。数々の公害問題で、科学者は平気でそんな役回りを演じ、政府や会社の隠れ蓑かく みのとなってきたことは否定できない。
 それにしても、なぜ人にはピエロだと見抜けみぬ ないのだろう。おそらく、「専門家は間違わまちが ない」という幻想げんそうを、知らぬ間に刷り込ます こ れているからではないだろうか。お上が偉くえら 、お上が相談する専門家の科学者の先生はもっと偉いえら 、という体質が抜きぬ 難く染み着いているのかもしれない。それに対応して少なからぬ科学者は自らを権威けんいづけることが習い性となり、間違いまちが や限界を語る義務を放棄ほうきしてしまった。「真実に」ではなく「権威けんいに」忠実な科学者というわけである。
 そういえば、日本にはやたらに専門家が多い。むろん、命にかかわらない専門家はいくらいても構わないが、「権威けんいだけがある」科学者が専門家として後ろに控えひか ていると極めて危険である。いずれにしろ、そんな専門家の言うことなんか、まゆつばをつけて聞く習慣を身に付けた方が良さそうだ。
 先日、地震じしん学者の金森博雄ひろお教授と対談したとき、印象に残った言葉を聞いた。かれはカリフォルニア州の地震じしんが発生したとき即座そくざ震源しんげんや規模を推定し、鉄道やガス会社に地震じしん情報を知らせるシステムの責任者となっている。もしかれの情報が間違っまちが ていた場合、会社に損害を与えあた 訴訟そしょうになるかもしれませんねと聞いたら、かれは「刑務所けいむしょへ行くことは覚悟かくごしています」と答えた。真の専門家とは、このような人のことだとつくづく思ったものだった。

(池内りょう「科学は今どうなってるの」)
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