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 たたら製鉄とは、粘土ねんどでつくったの中に木炭と砂鉄を入れ、三日三晩ふいごで風を送って鉄をつくる製法で、「玉鋼」と呼ばれる、日本刀をつくる材料になる上質の鉄ができます。何百年も続いてきた伝統的な製法ですが、私が実際に木原さんにお会いして聞いた言葉は実に科学的なものでした。
 例えば、の中からブチブチ聞こえる音がするので、それは何かと聞くと「鉄のしずくが落ちてくる音だ」と言う。見なくてもそんなことがわかるのかと聞いたら、「穴をあけてのぞいたよ」。温度は一四〇〇度ぐらいと言うから、そんな低くてよいのかと問うと、「自分で測定して調べたから間違いまちが ない」。炭素の含有がんゆう量は一・二パーセントぐらいと思えばいいと言うから、どうしてわかるのかと聞くと、「全部分析ぶんせきした」と答えが返ってくる。つまり何を言いたいかというと、かれはたたら製鉄という伝統的な産業に従事しながら、昔からのものを伝承としてそのまま墨守ぼくしゅするのではなく、自分の目や頭や手を使ってすべてを確かめたうえで取り組んでいるのです。
 実は、かれは四二さいになるまでは研究所や工場で、良質の鋼とずくをつくるための研究を行うとともに、実際に製造に携わったずさ  ていました。そして、日本美術刀剣とうけん保存協会が一九七七年にたたら製鉄を復活する際に、当時の安部由蔵村下あべよしぞうむらげ村下むらげは職名)のもとで、養成員としてたたら製鉄の仕事を始めました。
 ところが、その村下むらげは「これをこうしなさい、あれをああしなさい」という指示はまったくしませんでした。自分で考えて自分でやれというわけです。何か失敗をすると、「オレならこうする」と言って、そのときになって初めて教える。木原さんはそうした過程で何度も失敗を繰り返しく かえ 、「なぜそうするのか」を自ら徹底的てっていてきに調べることで納得しながら技を身につけていったのです。
 ものづくりのさまざまな現場には、「暗黙あんもく知」と呼ばれるものがあります。例えば機械設計に携わるたずさ  人なら、機械のバランスが悪いとき、「ここにこんな力が走っているからこんな動きをしてしまうので、その力の流れを考えていけばバランスが正しくなる」と読み取れる力を自らの経験から身につけています。これが「暗黙あんもく
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知」で、ものづくりを進めるうえで非常に重要な要素です。
 以前は、こうした暗黙あんもく知は、先輩せんぱい後輩こうはい一緒いっしょに働いているときに、自然と伝わっていきました。それも、言葉で伝わるのではなく、横で見ていて先輩せんぱいのもっている技を「盗むぬす 」という形で行われていました。最初は、わけもわからず見よう見まねで行ってうまくいかなくても、失敗を繰り返すく かえ うちにちゃんと理屈りくつを考えて、「どうしてこうするのか」を自分で考えるようになる。単に言葉で教えられただけでは、失敗はしなくても真似事の範疇はんちゅうから出ることはなく、真の理解を得たことにはなりません。技は「盗むぬす 」ものなのです。たたら製鉄で木原さんが行ったのが、まさしくこれでした。自分の目で鉄のしずくが落ちるのを見たり、鋼の成分を分析ぶんせきしたりするのも、真の科学的理解を得るために先輩せんぱいから技を盗みぬす 取って、木原さん自身が必要と感じて行ったものなのです。
 例えば、動いているものの仕組みを考えるとき、まず自分で観察し、どんな動きを実現したいかという課題設定をする。次に、観察した事実から要素を摘出てきしゅつし、その要素をどのように組み合わせて全体図をつくればいいかを考える。それにしたがってつくったものを実際に動かしてみる。その動きが、最初に観察したものの動きと一致いっちしていれば、初めてその仕組みが「わかった」と言えるのです。そして、もし違っちが ていれば、また観察して全体図をつくりなおしていく――。これはまさしく「科学」そのものです。「伝統」と「科学」というと水と油、「伝統」とは昔からやってきたものをただ黙っだま 受け継ぐう つ ことと感じている方も多いでしょう。しかし、以上のことから見てもわかるように、真の伝統とは科学的なものなのです。

畑村洋太郎「だから失敗は起こる」による)
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