a 長文 7.1週 mi
 1野生の動物は、いつもたくましく生きている。ペットの動物たちとは違い(ちが )、常にらんらんと目を輝か(かがや )せ、獲物(えもの)を追い求め、あるいは獲物(えもの)となることから逃れ(のが )、自分たちの子孫を残すために精一杯(せいいっぱい)生きている。2この情熱的な生き方を、私たち人間も、もっと見直す必要があるのではないだろうか。
 その理由は第一に、情熱的に生きることが、人間にとっても本当の喜びにつながると思うからだ。数年前、家族で山に登ったことがある。3山頂近くにある山小屋に泊まる(と  )予定だったが、途中(とちゅう)の山道で雨が降り始め、やがて大雨になった。全身ずぶ濡れ(  ぬ )になったまま歩くこと数時間、やっと山小屋にたどり着き、冷え切った体を乾かし(かわ  )、お湯を沸かし(わ  )て紅茶を飲んだ。4そのときの一杯(いっぱい)の紅茶は、生き返るという言葉がぴったりするような味だった。クーラーや暖房(だんぼう)の効いた部屋で、気に入った音楽を聴き(き )ながらゆっくり飲む紅茶とはまた違っ(ちが )た、生きている実感のわく味だった。5情熱的に生きるということを考えるとき、この山登りと紅茶の味を思い出す。
 第二の理由は、情熱的に生きることによって、自分の持ち味を十分に発揮した生き方ができるということだ。6戦国時代という下剋上(げこくじょう)の激しかった時代は、日本人が誰(だれ)でも自分の実力で生きていかなければならない時代だった。その時代に生きた戦国大名たちは、現代から見るとそれぞれ個性に溢れ(あふ )た魅力(みりょく)ある人物に見える。7よく、信長、秀吉(ひでよし)、家康の三通りの生き方を人間の生き方の三つの代表的な類型とすることがある。そこに見られる個性は、その三人が、地図も道もない言わば野生の世界で、自分の手で道を切り開いて生きるために、持ち味を生かさざるを得なかったことから生まれたものだ。
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 8確かに、社会保障のもとで安心して暮らせる人生というものも、人類がこれまでの長い歴史の中で達成してきた成果である。特に、昔のような農業中心の社会ならいざ知らず、今日のように工業化され経済的な格差が広がりやすい社会では、最低限度の生活を国が保障する仕組みというものは欠かすことができない。9だから、大事なことは、底辺はしっかりと保護するものの、それよりも上の部分については規制を撤廃(てっぱい)して自由な競争に任せることだ。自由な社会でそれぞれが自助の精神で物事にあたるならば、それは野生動物のように生きている実感を呼び起こすことにつながるだろう。0情熱とは、単に心の持ち方で生まれるものではなく、行動の中から生まれるものだ。私もまた、安全な道を求めるのではなく、自分の力で道を切り開く自分にしかない生き方をしていきたい。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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a 長文 7.2週 mi
 1最近、と言っても大分前からのことだが、ラジオの音楽番組の解説者が、金曜の夜などに番組が終わるとき「では皆さん(みな  )、よい週末をお過ごしください」といったあいさつをするようになった。2このような、一昔前だったらだれも言わなかったあいさつを日本人がするようになったのは、海外との接触(せっしょく)が飛躍(ひやく)的に増えた結果、Have a nice weekend(holiday)! のような、休みを前にしてのあちらの人々のあいさつの習慣を、日本人が進んで取り入れた結果、起こった言語表現上の変化なのである。3一般(いっぱん)的に言ってある言語がそれまで接触(せっしょく)のなかった別の言語と接触(せっしょく)するようになると、そこに相互(そうご)の交流が生じ、双方(そうほう)の言語の中に相手の言語によるいろいろな変化の起こることが知られている。このような言語変化を、言語学では言語干渉(かんしょう)と呼んでいる。
 4多くの日本人にとって、欧米(おうべい)の文化や風俗(ふうぞく)習慣は、依然として(いぜん   )自分たちの生き方の目標や憧れ(あこが )の対象であるようだ。その結果、いま日本語は、日本の国際化という大変動の中で、外国語、特に英語という強大な言語からの広汎(こうはん)で、しかもほとんど一方的な干渉(かんしょう)にさらされている。5さきに述べた新しい週末のあいさつの誕生は、表現形式の領域に起こった比較的(ひかくてき)新しい言語干渉(かんしょう)の一例であるが、他のいろいろな分野でも干渉(かんしょう)はすでに数多く起こっている。
 6しかしそれが最も目立つ形で、しかも一番広範囲(こうはんい)で起こっているのは語彙(ごい)の分野である。普通(ふつう)には外来語と呼ばれて、何かと論議の対象になるタイプのことばは、実は英語を旗頭(はたがしら)とするヨーロッパ諸言語に日本語が干渉(かんしょう)されて起こった言語変化にほかならない。7たとえば食堂などで給仕が「水」と言えばよいのに「ウォーター」を使い、「いちご」という美しい日本語があるのに、わざわざ「ストロベリー」と呼んだりすることが、その一例である。
 8このような外来語の問題は言語の問題であると同時に、それはまた文化文明の問題でもある。9人々は単に自分たちの言語に不足する語彙(ごい)を補うために外国のことばを求めるだけでなく、そこには異文化に対する憧れ(あこが )や自己顕示(けんじ)欲、そしてその文化や言語への接近
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同化の願望といった、素朴(そぼく)な実用性の見地からだけでは説明のできない多くの要因がからんでいるからである。(中略)
 0明治維新(めいじいしん)とともに日本国内には、それまで見たことも聞いたこともない新奇(しんき)な事物がどっとあふれ、旧来のしきたりや風俗(ふうぞく)に替わっ(か  )て、見慣れぬ外国の制度や習慣が急速に拡がり始めた。明治という時代は、突如(とつじょ)として東西の文明が衝突(しょうとつ)し交じり合う一大社会変動の渦巻き(うずま )に、人々が翻弄(ほんろう)された時代なのである。日本人の言語生活も例外ではなかった。奔流(ほんりゅう)のように襲いかかる(おそ    )変革の荒波(あらなみ)を、欧米(おうべい)の言語とはすべての点で異なる日本語を使ってどう乗り切るかは、新時代における各界の指導者たちに課せられた課題であった。
 だれでも知っている、それだけに目立つ対応は「バター」や「チーズ」ということばのように、外国語そのものを外来語として使う方法であった。しかし、これに比べるとはるかに目立たず外来語のような賛否の議論の対象になることもほとんどなかった対応の一つは、既に(すで )日本語の骨肉と化していた漢字をいろいろと組み合わせて新語を作るという方法である。たとえば、英語のautomobile carに対応するため、新たに作られた「自動車」のようなものである。(中略)
 振り返っ(ふ かえ )てみると、第二次世界大戦までの日本人の生活は、社会的公的な場面では、西洋式を努めて取り入れ、家庭に戻る(もど )と服装から食事まですべてが日本式になり、外国文化は応接間と称する(しょう  )来客用の特別な部屋に限っておく場合が多かった。このような内と外を区別する生活様式は、日本人が外来の異質な文化を急速に受容せざるを得なかった時代に、一種の社会制度上の緩衝(かんしょう)装置として機能したと思われるのである。
 それを可能にした要因の一つは、日本に漢字という便利な言語手段がすでにあったことなのである。あらゆる面で伝統的な日本文化とは異なる欧米(おうべい)の文化を、明治の開国とともに一気に、しかも広範囲(こうはんい)に輸入し消化するとき、高度の文化文明を簡潔に表現する力をすでにもっていた漢字という言語要素が日本にあったということは、幸運なことと言わねばならない。
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a 長文 7.3週 mi
 1人間は他の人間と自由にまじわることができる。あるいは、まじわる相手を自由にえらぶことができる。学校の友だち、職場での友人、恋人(こいびと)、そして夫婦でさえも、それぞれの当事者の自由な選択(せんたく)によって成立している人間関係だ。
 2相手方に誰(だれ)をえらぶかは、ある意味では自由であり、べつな見方からすれば偶然(ぐうぜん)である。ふとめぐりあい知り合った人びと――その人びととわたしたちはつきあって生きている。3仲よくなれば一生をつらぬいた、親しい友人関係をとりむすぶこともできようし、けんかをして、それでお互い( たが )ふたたび顔をあわせない、といったようなことになるかもしれぬ。
 4とりわけ、現代のように、都市化がすすみ、偶然(ぐうぜん)性の高い社会では、人間関係は、ふと結ばれ、そしてふと消えてゆく一時的なものであることが多い。学校の友人にしても、それは卒業後数年間で、いつのまにかごぶさたになってしまう。5すくなくとも、そのような人間関係では「ごぶさた」がゆるされるのである。
 しかし、そのように自由な人間関係のなかで、ひとつの例外がある。それは、血縁(けつえん)の関係、とりわけ親子の関係である。6友人だの隣人(りんじん)だの夫婦だのは、「えらぶ」ことができるが、親子関係だけは、「えらぶ」ものではない。人が生まれた瞬間(しゅんかん)に、親子の関係は宿命的にあたえられてしまっている。こればかりは、誰(だれ)にも、どうにもならない。
 7そのうえ、人間という動物は養育期間がながい。「親はなくても子は育つ」というのも真実だけれども、親がわりになるおとながいなければ人間の乳幼児は死んでしまう。そして、ふつうのばあい、子を育てるのは親である。8親子というのは、人間にとって、のっぴきならない関係なのだ。自由にみちあふれた現代の人間関係のなかで、親子だけはまったく別枠(べつわく)の関係なのである。そこでは人間関係一般(いっぱん)についてのさまざまな原則はあてはまらない。9どんな社会、どんな時代にも、こうした特殊(とくしゅ)関係としての親子関係は生きつづけ、そのことによって、人類の歴史はつづりあわされてきた。そして、ついこのあいだまで、そういう親子関係は、ごく自然なものとして誰(だれ)もがうけいれていた。
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 0しかし、現代のひとつの特徴(とくちょう)は、親子という関係が「問題」化してきた、ということであろう。むかしのように、親子は自然なスムーズな関係ではなくなってきたのだ。新聞の身の上相談などをみても、親子「問題」がぐんとふえてきた。いわく、どうやって子どもを育てたらいいのでしょう。いわく、親がわたしを理解してくれません、どうしたらいいのでしょう。……親子のあいだには、あきらかに、深い溝(みぞ)がうまれてきている。
 なぜ親子が「問題」化してきたのか。いくつもの理由をあげることができる。
 まず第一に、変化する社会のなかで親と子の経験がまったく異質化してしまったという事実に注目したい。かつて、社会が「伝統」社会であったとき、親と子は、おなじ経験を共有していた。子を育てながら、親は、じぶんが子どもだったころのことを回想することができたし、その子どもをこれからどんなふうに育てていったらいいか、についても確信をもつことができた。
 『どんなふうに育てていったらいいか』といった疑問は、伝統社会の親からみれば想像を絶している。子どもの育てかた――それはきわめて簡単だ。じぶんが育てられたのとおなじように育てればよい。それだけのことなのだ。じぶんの子どもは、将来、じぶんとおなじようになるだろう、と親は考え、また、子どもは、親とおなじような人間になりたい、と考えた。いわば、そこでは、子は親の「複製品」だったのである。
 ところが、現代社会での様子はだいぶちがう。おむつのあて方、授乳の仕方までが、ひと時代まえとすっかりかわってしまった。親は、じぶんが子どもだったときの経験を思い出してそれによって子どもを育てるのではなく、育児書をひもといて子どもを育てる。乳児経験の段階から、親子のあいだには、大きな落差がつくられているのだ。
 社会が進歩し、変化するかぎり、この落差は避け(さ )られない。子どもは親とちがった存在になる。そして、この落差から、さまざまな問題が派生してゆく。完全な保護者・教育者としての親と、完全な被(ひ)保護者・生徒としての子、という安定した関係はグラつき、親子のあいだには一種の緊張(きんちょう)関係がうまれてゆく。
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a 長文 7.4週 mi
 ある朝、少年は、目覚めるなり、「山へ登ろうよ。」と女の子に言った。「山へ登るの。」女の子は少年に問いかえすように言ったが、少年が、「うん、山や、裏の山や。松の木に登って、港を見ようよ。」とせきこんで言うと、女の子はしばらく少年を見つめていて、やがて、「うち、山なんか登ったことあらへん。」と、許しを請う(こ )ように、おどおどと言った。女の子は足が悪くて山へ登ることができなかったのだ。だが、かがやいていた少年のまなざしが、みるみるくもっていくのを見ると、「ぼんは山へ登りたいの。」と言った。それから、「ぼんが登りたいんなら、うち行ってもええで。」としょんぼり言った。
 女の子は、裏木戸を出て崖(がけ)肌(はだ)にかかるところで、もう、右足のひざを手でかばいながら、やっと少年のあとをのろのろと追っているのであった。少年は、はじめ、そんなことに気づかなかった。女の子に少しでも早く尾根(おね)からの景色を見せたくて、一人で先に駆け(か )登って行った。女の子も自分と同じように駆け(か )登って来るように、少年は思っていたのだ。だが、二つ三つ、まがり角をまがってから、女の子の姿が見えないことに気づいた。「はようおいでよ。」大きな声でそう言って、それから不安になって、あとへ駆け(か )もどって行くと、女の子は、最初のまがり角をやっとまがりおえて、右足をひきずりながら懸命(けんめい)に登って来ていた。色のあせたメリンスの着物のひざぎりの裾(すそ)から、真っ直ぐつっぱっている右足が見えた。そんなことは、毎日いっしょにいて、とっくに知っていたのだが、少年は、その時、はじめてそのことに気づいたように思った。
 少年が女の子のそばまでもどって行くと、女の子はいっそう懸命(けんめい)に足をひきずりながら、「うち、のろくってかんにんな。」と言った。女の子は、せいいっぱい笑いを頬(ほお)にうかべようとしていた。そばかすが汗ばん(あせ  )でいる目のまわりにういてきていた。少年は、それが女の子の泣き出す前の表情であることを知っていた。少年には、女の子の大きな黒い目から、今にもぽたぽたと涙(なみだ)がこぼれ落ちそうに思えたが、女の子はうれしそうに、にっこり笑ってみせて、「ぼん、はよ、行こ。」と言った。
 少年は、そうすれば女の子が歩きやすくなるなどということは考えてもみずに、女の子の右肩(みぎかた)へ自分の左肩(ひだりかた)をよせていって、女の
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子のからだの重みを自分で支えた。もう少年は尾根(おね)まで登ることはあきらめていた。だが、ついそこまで登れば、目の下に、港の黒い亙(かわら)屋根の並んだ町並や、いっぱいに汽船がうずまった港が見おろされるところがあることを思い出していた。せめて、そこまで、少年は、女の子を連れて行きたかったのだ。
 少年が、やっと女の子をその山肌(やまはだ)まで連れて行くと、女の子は、「わっ。」とさけんで、日だまりへとびだして行った。女の子はすぐころんで、メリンスの着物には芝草(しばくさ)がまみれたが、そんなことはどうでもいいように、女の子は、「うち、こんなとこに来たん、はじめてや。」とさけぶように少年に言った。女の子のからだいっぱいに春の日ざしがこぼれていた。

(田宮虎彦(とらひこ)『小さな赤い花』)
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a 長文 8.1週 mi
 1作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが、自分の知力や感覚では、捉え(とら )ようもない(神秘的な)ものに思われることがある。自分なりに、音楽が解ったような気がしていただけに、そんな時、私は、戸惑い(とまど )や焦り(あせ )の後の無力感に挫け(くじ )そうになってしまう。2だがその無力感は、深刻な絶望とは異質な、むしろ居心地良さと温(ぬく)もりさえ感じられる「たぶんそれはなにか途方(とほう)もなく大きな」諦め(あきら )のようなものだ。こんな感情は、言葉ではとても伝え難い。私は待つしかない。3期待ということではなく、己を空白にして音が私に語りかけてくるまで待つ。音を弄(いじ)って私の考えで縛る(しば )ことから離れ(はな )て、耳と心を全開にする。
 4作曲という仕事は、どうしても音を弄(いじ)り過ぎて、その音が本来どこから来たかというような痕跡(こんせき)までも消し去ってしまう。方法論だけに厳格になると、ともすると音楽は紙の上だけの構築物になり空気の通わないものになる。5例えば、ひとつの和音は、物理的波長の複雑な集束として、音響(おんきょう)学的には、殆ど(ほとん )不変のものとして存在し、また規定し得るだろう。6だが音楽という有機的な流れの中では、その(ひとつの和音の)響き(ひび )は千変万化するもので、その表情の豊かさは、まるで、生きたもののようである。7一般(いっぱん)に言われる、長和音は明るく、短和音は暗いというようなことがかならずしも正確でないのは、注意深く音楽(作品)を聴け(き )ば、容易に、理解されることである。
 8ではなぜ、音は、恰も(あたか )生きたもののようにその表情を変えるのだろう? 答えは、至極単純に違い(ちが )ない。即ち(すなわ )、音は、間違い(まちが )なく、生きものなのだ。そしてそれは、個体を有さない自然のようなものだ。9風や水が、豊かで複雑な変化の様態を示すように、音は私たちの感性の受容度に応じて、豊かにも貧しくもなる。私は音をつかって作曲をするのではない。私は音と協同(コーオペレイト)するのだ。0だが、私が、時に「作曲家として」無力感に捉え(とら )られるのは、私がまだ協同者「音」の言葉をうまく話せないからだ。
 先日、ある紙上に、高見順賞を授賞された吉田(よしだ)加南子さんの受賞
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の挨拶(あいさつ)が再録されていた。その中に、現在(いま)の私にはとても身近に感じられる言葉があった。手前勝手に引用させていただく。
 吉田(よしだ)さんは、詩人として歩んだこれまでを簡略に振り返っ(ふ かえ )たあとに、
 「私の意思だけではなく何か大きな力に働きかけられている。私はそれを受け止めなくてはならない。また、子供が遊ぶように詩を書くことが、仕事になって、生き生かされている。そうしたことを通してゆるしのようなものが与え(あた )られているのかもしれない」
 そう現在の心境を述べられ、さらに、
「私は本当は空とか海、木とか葉っぱにとってもお礼を言いたいんです。けれども、残念ながらまだ私は、空の言葉、海の言葉を話すことができません。ですから、そのためにこそ詩を書いてゆかなければならない」と、挨拶(あいさつ)を結ばれている。
 この言葉に深い共感を抱い(いだ )た者として、なぜ、いまここにそれを引用したかを説明するのは、どうにも余分なことに思える。(中略)
 自然から学ぶことは余りにも多い。自然の(この地球の)記憶(きおく)の層の、深い、遥か(はる )な連なりを見出すのは、私のような者には、とても容易なことではないが、せめて季節毎の変化の相、その推移を感じとれる感受性を身につけたい。それは、私に、音が語りかけてくる毀れ(こわ )やすい言葉の表情のいろいろを聴き(き )逃がす(に  )ことがないように働きかけてくれるだろう。作曲は音と人間との協同作業(コラボレーション)だと思うから、作曲家は音に傲慢(ごうまん)であってはならないだろう。

(武満徹(とおる)の文章による)
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a 長文 8.2週 mi
 1吉川(きつかわ)のパスは蹴っ(け )た者の意思がのり移ってでもいるかのように、全力疾走(しっそう)中の宗介(そうすけ)の右足に吸い付いてきた。宗介(そうすけ)はただそのボールをエンドラインぎりぎりまで持ち込ん(も こ )でセンターリングを上げればよかった。2反対方向から走り込ん(はし こ )できたフォワードの連中がへディングなりダイレクトなりでシュートを決めてくれるのだった。
 (中略)
 秋の都大会では決勝まで進み、延長戦でも決着がつかなかったのでペナルティーキック合戦にまでもつれこみ、結局準優勝に甘んじ(あま  )た。3大会中の目立った選手がベストイレブンに選ばれたのだが、やはり優勝チームから選出される者が多く、技術的には優勝チームの同じポジションの選手を上回っていた吉川(きつかわ)は選にもれた。
 4冬に例年にない走り込み(はし こ )をして、今年こそは優勝を、と団結を強めていたのだが、三年の夏休みを前にした暑い午後、宗介(そうすけ)はコーチの浅野に退部を申し出た。5前日、夏休みの練習計画が浅野から発表されたのだが、毎日朝九時から夕方六時まで練習メニューが決められ、休日は一日もなかった。吉川(きつかわ)という天才的な選手を得て、都大会優勝は今年を逃し(のが )ては当分無理だ、と読んだ浅野の決意の表われた計画表であった。
 6宗介(そうすけ)の学業成績は、もう少し頑張れ(がんば )ば進学校といわれる都立高校に手が届く程度のものだった。ドリブルしながらフェイントをかけるとき、どうにもならない生来(せいらい)の体の硬(かた)さをよく知っていたので、サッカープレイヤーとして一人前になれないことは分かっていた。7夏の練習に参加すれば受験勉強ができなくなる。
「退部します。お世話になりました」
 すでに練習が始まっている校庭の花壇(かだん)の前で、トレーニングウエア姿の浅野に向かって宗介(そうすけ)は頭を下げた。
8「冗談(じょうだん)はよせ」
 浅野は首にかけたホイッスルをタバコでもすうように口にくわえた。よく陽(ひ)に焼けた狭い(せま )額の皺(しわ)の中から大粒(おおつぶ)の汗(あせ)が湧い(わ )ていた。
「本気です。辞めさせて下さい」
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 9チームメイトたちが円陣(えんじん)キックをしながらこちらを注目していたので、宗介(そうすけ)は今度は頭を下げなかった。
「ああやって懸命(けんめい)に練習している仲間を裏切るのか」
 0浅野は花壇(かだん)のひまわりの茎(くき)をつかんだが、語尾(ごび)の震え(ふる )とともに折りとってしまった。
「自分の生き方を自分で決めただけです」
 青く高い夏空の下で、中学三年の宗介(そうすけ)はためらうことなく言い切った。
 浅野は手にした大輪のひまわりを乾い(かわ )た地面に叩きつけ(たた   )、円陣(えんじん)の方に歩み去った。黄色い花びらが宗介(そうすけ)のズボンの裾(すそ)に散った。
 右ウイングの自分が抜け(ぬ )ても、実力にほとんど差のない二年生の補欠を補充(ほじゅう)すれば、チーム全体の力は落ちない。誰(だれ)にも相談せずに退部を決めた宗介(そうすけ)があくまで個人的な問題なのだと自らを納得させていたのにはこんな状況(じょうきょう)判断があったからだった。しかし、事態は彼(かれ)の予想しなかった方向に広がってしまった。
 宗介(そうすけ)が辞めたのを知った三年生のレギュラーたちが翌日から次々に退部を申し出るようになってしまった。宗介(そうすけ)よりもはるかに成績のよいゴールキーパーの菅井(すがい)やハーフの堀田(ほりた)までもが受験勉強を理由に辞め、夏休みの前日になって残った三年生のレギュラーは吉川(きつかわ)一人になってしまった。
 学校の花形クラブであるサッカー部の三年生の大量退部は職員会議の話題にもなったようだが、理由が受験勉強に専念したい、という至極(しごく)まっとうなものだったので、校長や教頭も口をつぐんだままだった。
 一学期の終業式を終えて校門を出るところで、宗介(そうすけ)はユニフォーム姿の吉川(きつかわ)に呼び止められた。吉川(きつかわ)は照れたように目を細めながら自転車置場の方に手招きした。
「おれはさあ、頭もよくねえし、板前にでもなっておふくろの店手伝うしかねえんだけど、サッカーやりてえんだ」
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長文 8.2週 miのつづき

 スレート屋根の下の日陰(ひかげ)はひんやりしていた。吉川(きつかわ)はスパイクの裏のアルミピンで柱を蹴り(け )ながら下を向いて話していた。
「都大会のベストイレブンになれたら、私立高校のサッカー部に特待生で入れるかと思ってな。おれはさあ、そう思ってサッカーやってきたんだ。板前になる前にサッカーで花咲かし(さ  )てみたくてな。おれの、夢だな。あの小せえ店に入る前に、夢くらい見たっていいと思ってな」
 吉川(きつかわ)は下を向いたままいつの間にか泣いていた。乾い(かわ )た砂の上に落ちる涙(なみだ)は夕立の雨つぶよりも大きかった。
「悪いな」
 宗介(そうすけ)はもっとこの場に適した言葉を見つけられない自分にいらだった。いっそ殴っ(なぐ )てくれたら、このいらだちも解消するのに、と思った。
「いや、いいんだ。ただ、おれのグチも聞いてもらいたくてさ。気にすんな。おまえ、いいウイングだったよ」
 吉川(きつかわ)は顔を洗うように両手で涙(なみだ)を拭く(ふ )と、そのまま走って行って新しいチームのシュート練習に加わった。
 宗介(そうすけ)は砂の上に残る吉川(きつかわ)の涙(なみだ)の跡(あと)をしばらく見つめていたが、やがて大きな深呼吸とともに靴(くつ)で消し、校庭を振り返ら(ふ かえ )ずに校門を出た。
 
 (南木(なぎ)佳士(けいし)の文章による)
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a 長文 8.3週 mi
 自分に友達のできないのは、口が重く、しゃべることが下手で、相手を引きつけたり、悦(よろこ)ばせたりできないからだと思っている人も少なくない。しかしこの種の人も、人間というものは、こちらの言うことなどをそんなに注意してきいているものではないと考えることによって、気持ちが楽にならないだろうか。何かすばらしいことを自分が言うと相手が期待していないだろうかと考えるために、ますます口が重くなる。だが、世のなかで、自分の言うことにいちばん耳を傾け(かたむ )ているのは、ほかならぬ自分自身であることを知っておくのはむだではあるまい。何かつまらないことを言って笑われはしまいか、軽蔑(けいべつ)されはしまいかと心配するのは、相手が自分の言葉に耳をすませているだろうと思っている一種の自惚(うぬぼれ)である。こちらが不安と心配で胸をドキドキさせてしゃべっているときでも、別のことを考えているばあいが多いのである。まさにアランの言う「対象のない恐怖(きょうふ)」であって、そんなことにくよくよするのは全く意味のないことである。
 「自分を虫けらだと思っている者は人に踏みにじら(ふ    )れる」という格言がフランスにあるが、他人から尊重されるには、まず自分で自分を尊重することが第一である。われながらつまらないヤツだと思っている人間に、他人が敬意を払う(はら )はずがあるまい。自分は人に好かれない人間だと思っているかぎり、自分を好いてくれる人はないだろう。人間というものは、いつも友達を欲しそうにして卑屈(ひくつ)な愛想笑いをしている人間よりも、孤高(ここう)の態度をくずさない人間に対して、むしろ友情を求めたがるものである。無益な劣等(れっとう)感を棄(す)てるに越し(こ )たことはない。
 友達ができないことを嘆く(なげ )人に次に問いたいことは、あなたは自分の周囲に何か冷たい空気を流していないだろうかということである。私がこれまでくり返し書いてきたように、友情というものは、まずこちらから何かを、しかも何らの報酬(ほうしゅう)を期待することなしに与える(あた  )ことによって成り立つ。与える(あた  )ことが、無際限に与える(あた  )こと自体が悦び(よろこ )であるのが真の友情というものである。われわれの与え(あた )うるものには限度があるからである。そこに友人の選択(せんたく)が起こるのであるが、自分の選んだ人で、その人のためには何を与え(あた )ても惜しく(お  )ないという友人をもつことは至福ではないだろうか。
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 私が冷たい空気というのは、好きな人にはすべてを与える(あた  )というこの心意気の乏しい(とぼ  )ことを意味する。最初から与える(あた  )気持ちの全然ない人に友達のできるはずがないが、たとえ与える(あた  )気持ちがあっても、その代償(だいしょう)をひそかに期待するようでは真の友情は結ばれない。人間は敏感(びんかん)であるから、報酬(ほうしゅう)を期待して与え(あた )られる友情は、これを無意識のうちに見破って、警戒(けいかい)する。友達のできないことを嘆く(なげ )人は、この種の、他人をして警戒(けいかい)せしめるものが自分にないかどうかを十分に反省してみる必要があろう。それと同時に注意すべきことは、他人から報酬(ほうしゅう)を期待しない友情を与え(あた )られながら、それを素直に、心から悦ん(よろこ )で受け入れることをしないで、これには何らかの目的があるのではないかと警戒(けいかい)することであろう。この種の警戒(けいかい)心もまた冷たい空気となって諸君をつつみ、友達をよせつけない。一般(いっぱん)に、友達のないことを嘆く(なげ )人には、この冷たい警戒(けいかい)心で無意識のうちに武装している人が多いように思われる。
 私が何かを与える(あた  )というのは、もちろん物質的なものばかりを意味するのではない。生まれつきさまざまの魅力(みりょく)を具えている人は、与える(あた  )ものを多くもつ人である。問題は与える(あた  )ものの乏しい(とぼ  )人にある。自分は何を無償(むしょう)で人に与える(あた  )ことができるかを考えるとき、よき友達はおのずから作られるにちがいない。

(河盛(かわもり)好蔵(よしぞう)の文章による)
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a 長文 8.4週 mi
 その少年はまるまると太っていて、いつも腕白(わんぱく)であった。クラスの中でもとりわけ貧しい家の子供で、給食費などは期限どおりに納めたことは一度もなかった。あるとき、私は少年に、
「おまえ、なんでそないに太ってるねん?」
 と訊(き)いた。小さい頃(ころ)から「青びょうたん」とあだ名をつけられていた痩せっぽち(や    )の私は、なんとか人並に太りたいと子供心に念じつづけていた。雪深い富山から、兵庫県の尼崎(あまがさき)に引っ越し(ひ こ )てきて一カ月ばかりたった頃(ころ)、私が小学校五年生のときである。
「寝る(ね )前に、たこ焼きを食べるんや」
 少年はそう教えてくれた。毎晩、夕刊を売って歩き、その稼ぎ(かせ )でたこ焼きを買うのだと、誰(だれ)にも内緒(ないしょ)にしていた秘密まで打ち明けてくれたのだった。酒乱の父と、どんな仕事をしているのか判らないが、めったに家に帰ってこない母を待つその少年が、いたしかたなく自力で金を稼ぎ(かせ )出し、毎夜毎夜、たこ焼きばかりを食べつづけていたことなど私は知る由もなかった。
「僕(ぼく)も夕刊を売って、たこ焼きを買うんや」
 私がそう言うと、母は血相を変えて反対した。父は笑って、
「ぎょうさん儲け(もう )て、お父ちゃんにもおごってや」
 と許してくれた。
 当時、阪神(はんしん)電車の尼崎(あまがさき)駅周辺には、小さい屋台や小料理店が軒(のき)を並べ、ならず者たちが凍てつく(い   )露地(ろじ)のあちこちにたむろしていた。私は少年とつれだって、夕刊の束を小脇(こわき)に、飲み屋のノレンをくぐっていった。
 誰(だれ)も夕刊を買ってはくれなかった。しつこく売りつけようとして酔っぱらい(よ    )に突き飛ばさ(つ と  )れたり、尻(しり)を蹴ら(け )れたりもした。寒風の吹きすさぶ(ふ    )大通りから、裸(はだか)電球のともる薄暗い(うすぐら )露地(ろじ)にもぐり込み(   こ )、一軒(いっけん)一軒(いっけん)新聞を売り歩いているうちに、私はだんだん情けなくなり、家に帰りたくなってきた。だが、断られても断られても夕刊売りをやめようとしない少年に引きずられて、夜更け(よふ )まで場末の飲み屋街を歩きつづけたのだった。
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「きょうは調子が悪いなァ……」
 と少年が立ち停まった。
「……僕(ぼく)、もう帰らんと怒ら(おこ )れる」
 その言葉で、少年は私から新聞の束を受け取り、
「僕(ぼく)はもうちょっとねばってみるさかい」
と言い残して、再び暗い露地(ろじ)へと消えて行った。私は体中が凍え(こご )ていた。夜道を震え(ふる )ながら帰った。家に入ろうとしたとき、誰か(だれ )の歩いて来る音が聞こえた。父であった。父は「おかえり」と言って私の耳を掌(てのひら)で包んでくれた。その夜、銭湯からの帰り道、父がさとすように呟い(つぶや )た。
「おまえのたこ焼きと、あの子のたこ焼きとは、味が違う(ちが )んやでェ」
 それからちょうど十年後に父は死んだ。父の死後、何かの折に、夕刊を売り歩いた一夜の思い出を母に語った。そしてそのとき母から、あの夜、尼崎(あまがさき)の歓楽街(かんらくがい)で新聞を売り歩く私のあとを、父が最初から最後までずっと尾(つ)けていてくれたことを聞いたのであった。
 いまでもときおり、場末の歓楽街(かんらくがい)を歩いているときなど、露地(ろじ)のくらがりからまるまると太ったあの少年が、夕刊の束をかかえて走り出てくる幻想(げんそう)にかられる。そんなとき、オーバーで身を包んだ父が、物陰(ものかげ)からじっと私を見ているような気もするのである。

(宮本輝(てる)『夕刊とたこ焼』)
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a 長文 9.1週 mi
 1私は二十年ほど前から、人間は自らを飼育し、家畜(かちく)化――自己家畜(かちく)化していると述べ続けている。まず人間は、人間自身を飼育しているのではないか。女房(にょうぼう)に亭主(ていしゅ)が飼育されているなどの、たとえに使われるのと同じように感じられるかもしれないがまったく違う(ちが )。2ヒトを生物の一種とみなした場合、個人レベルではなく、人間自身がつくった社会システムに依存(いぞん)して暮らしている点からである。飼育動物を例にして考えてみると、比較(ひかく)生態学的には否定する論拠(ろんきょ)はない。3飼育動物はそれなりにフリーに動いてはいるものの、少し大きな目で見ると人工的につくった場の中でフリーなのにすぎない。狭い(せま )檻(おり)の中で飼育されている場合と違っ(ちが )て、放飼場のついた飼育場で飼われていたらどうであろうか。4どれほど大きな違い(ちが )があるだろうか。毎日、自転車などで鎖(くさり)につながれて走っているイヌと、満員電車でゆられてオフィスに往復する人々との違い(ちが )は、たまに寄り道するのと、自分の選んだ道(企業(きぎょう)体を含め(ふく ))であるかの違い(ちが )で大した差異はないとも言える。5違い(ちが )は社会的・文化的な面があるかどうかや、鎖(くさり)が目に見える具体物かどうかであるとも言える。
 人間は自らを自らで飼育し、馴化(じゅんか)している。自己飼育、自己馴化(じゅんか)である。人類学の教科書には、こうした説明が載せ(の )られているものがある。6一般(いっぱん)には、これは否定的で比喩(ひゆ)的にしかとらえられない。だれも自ら好んで飼育され、ならされていくことなどないと感ずるからである。だが、私がこれにこだわったのは、ここでいう自己とは個々の人間の行為(こうい)の上での自己ではなく、ものごとの自己発展の上での自己である。7人間というもののあり方が、自ら飼育していくという意味である。では飼育というのをどう考えるのかと問われれば、人類学上の定義はともかくも、動物にとっては食物を供給されることから始まる。8動物が生きることは、まず生態学的・生物学的に食物をとることに尽きる(つ  )。動物の生活すべては、食物をとることが中心に営まれている。その成果にもとづいて繁殖(はんしょく)がなされる。
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 9飼育とは、食物を供給され、さらに生活空間や場も与え(あた )られるといってよい。しかし、飼いならすというと通常、餌付け(えづ )から始まるのでわかるように、食物を自力でとらずに済む依存(いぞん)の暮らしが基盤(きばん)である。0子供の時期は食物を供給されるが、自立するためには食物依存(いぞん)を断たねばならない。ライオンのような強力な捕食(ほしょく)獣(じゅう)にとっても、離乳(りにゅう)の後、自力で獲物(えもの)をうまくとれるようになるまで、生き続けることはとても難しい。それだけに食物を供給されることは、まるで全生活の面倒(めんどう)を見てもらうのに等しい。
 人間として生活をしているヒトとしては、食物のとり方は食事だけではない。獲物(えもの)をとる動物の場合になぞらえれば、漁業や農業その他、食物生産のすべてを個人でやらねばならなくなる。別の言い方をすれば、ヒトは社会システムに参加することによって、社会的に食物を供給されている。社会的に飼育されているとも言える。社会システムにせよ、食料生産のしくみもまた、人間がつくっているので、自己飼育・自己馴化(じゅんか)である。
 現在多くの人々は、若い人々や子供を見ていて、なにか大きな変化が人間の精神や行動に現れていると、漠然と(ばくぜん )感じているだろう。(中略)
 比喩(ひゆ)として言えば、現代の青年や子供は、座敷(ざしき)イヌと類似している。自己家畜(かちく)化が、特殊(とくしゅ)な条件下で自己ペット化に至ったものと言えよう。さきに述べたように自己家畜(かちく)化は、「もの」や「人工的人為(じんい)的世界」の中で形質を決定づけている、基本的な人間のあり方である。したがって自己ペット化は、その自己家畜(かちく)化の管理・保護と人工化がより進んだ現代的な先進国での特殊(とくしゅ)な状態だとみなせる。自己ペット化の場合には、自己家畜(かちく)化のような論理にもとづいたものであるよりも、状況(じょうきょう)を示す表現に力点が置かれた言い方である。自己家畜(かちく)化の特殊(とくしゅ)な現代的あり方である。
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a 長文 9.2週 mi
 1何ごとぞ 花見る人の長刀(なががたな)
 花見に平素の身分・階層をもちこむのは野暮(やぼ)というものだ。花見に行って武士の権威(けんい)をふりまわすような輩(やから)は、「なんだサンピン、えらそうにするな」と町人どもから反発をくらうことになる。
 2花見にケンカはつきものである。花見には、町内や職域といった小共同体の仲間が、つれだって出かけることが多い。それは新しく共同体意識をもりあげようとするか、あるいはこわれかかった共同体意識をたてなおそうとするのに利用される。3だが花見の場合は、あくまで小共同体意識にとどまり、大共同体意識になれない。そこで小共同体同士がいがみあいを起こしがちだ。花見どきのケンカといえば、個人同士のやりあいよりも団体客の乱闘(らんとう)が多いのは、そのためであろう。
 4桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核(ちゅうかく)に置かれたが、現実の花見はついにそこまで至っていない。
 花見とならんで、月見と雪見――この三つが日本人の自然観賞の基本になっているが、月・雪・花、そのいずれもがうつろいやすいものという共通点がある。5月はいつも満月ではありえないし、雪はいつかとけて消え去る。花の生命は短い。満開だと思っていたら、一夜の雨風ですぐ散ってしまう。そうだからこそ、うつろいやすいものを惜しむ(お  )心が、時候に合わした会合の珍し(めずら )さを貴ぶのだ。6自然の有為転変(ういてんぺん)をながめては、人の生命のはかなさだけでなく、社会もつねに移り変わってゆくのだという気持ちが、日本人の心のどこかに絶えず潜ん(ひそ )でいるのである。
 7だいたい日本人は「見る」ということに重要な意味を与える(あた  )。百聞は一見にしかずということわざの示すとおり、いくら本を読み頭で理解していても、現場を見たものには、たちうちできないのだ。8自分の目で見なければ、認識の根拠(こんきょ)としてすこぶる薄弱(はくじゃく)だとする意識がある。いうなれば現場主義であり、体験主義であり、実証主義である。日本人のカメラ好きも、絵葉書では満足できぬ「自分の目で見て確かめる」実証主義のなせるわざであろう。
 9さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人(こいびと)同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。0そんな言葉を口に出さなくとも、満
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月を仰ぎ(あお )見て、
「いいお月さんですね」
 そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。「月が鏡であったなら」という歌の文句があるように、この場合、お月さんは二人の心のリフレクターの役割をする。つまり、日本では、言葉でなく、物理的対象物をともに見ることで、社交が成り立つのだ。そう考えてくると、月見、花見、雪見といった集団的な観賞行為(こうい)は、じつは、日本文化のなかでのコミュニケーションの方法でもある、といわなければなるまい。月、雪、花は人と人をむすびつける触媒(しょくばい)なのである。西洋のように、しゃべることが社交の基本になっているところでは、話がとぎれるとなにか気まずい思いをしなければならない。日本人なら、だまってなにかをながめることでも、会話は進行しうるのだ。
 芝居(しばい)を「総見(そうけん)」するなどというが、これも舞台(ぶたい)で演じられている所作(しょさ)をみながいっしょに見ることに意味がある。見ることに力点をかけた社交の場が、芝居(しばい)の総見なのである。おしゃべり一本だと、話題がとぎれたときに、白々しい感じがのこる。共通の「見る」対象物を一つおいておけば、そういう緊張(きんちょう)感はなくなる。しゃべりたくなったらしゃべればいいし、しゃべることがなくなったら、見ているだけでいい。日本の劇場がザワザワとしているのは、西洋の観劇エチケットからすれば、たいへん不作法なことかもしれぬが、それはそれで、ちゃんと機能をもっているのである。
 花見が最も庶民(しょみん)的なマス・レジャーであるのも故なしとしない。

(林屋辰三郎(たつさぶろう)他『日本人の知恵(ちえ)』)
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a 長文 9.3週 mi
 1衰弱(すいじゃく)したアイデンティティのぎりぎりの補強、それを個人レベル、感覚レベルでみればたぶん「清潔願望」になる。2じぶんがだれかということがよくわからなくなるとき、じぶんのなかにほんとうにじぶんだけのもの、独自のものがあるのかどうか確信がもてなくなるとき、ぼくらはじぶんになじみのないもの、異質なもの、それにちょっとでも接触(せっしょく)することをすごく怖がる(こわ  )。3じぶんでないものに感染することでじぶんが崩れ(くず )てしまう、そういう恐ろし(おそ  )さにがんじがらめになるのだ。じぶんのなかになんの根拠(こんきょ)もないまま、じぶんの同一性を確保しようとするなら、〜ではないというかたちで、ネガティヴ()にじぶんを規定するしかない。4じぶんは女ではない、子どもではない、白人ではない、病気ではない……
 そういうことすら不可能なとき、ぼくらはじぶんでないもの、他なるものの感染、あるいはそれとの接触(せっしょく)を徹底(てってい)して回避(かいひ)しようとする。5清潔症候群(しょうこうぐん)(シンドローム)というのも、まさにそういうコンテクストで現われてきたのではないだろうか。
 六十代後半のさる高名な数学者が、かつてぼくにこんな話をしてくださったことがある。6その先生は、じぶんの娘(むすめ)がまだ高校生のころ、お父さんをとにかく汚い(きたな )と感じていたらしく、いくら話しかけても殻(から)に閉じこもって、とにかく父親とは音信不通という状態が長く続いたそうだ。7それが、結婚(けっこん)し子どもを産んだとたん、日常のこと、小説のことと、いろいろじぶんにしゃべりかけてきたという。読んでおもしろかった小説を交換(こうかん)したり、映画のはなしをしたりといろんなコミュニケーションの回路が開かれてきたとおっしゃるのだ。8これは、お嬢さん( じょう  )がご主人という他者と身体的な交感をもちはじめたこと、栄養摂取(せっしゅ)から排泄(はいせつ)まで子どもの生理の全過程とつきあいだしたことと、無関係ではなかろうとおもう。9お嬢さん( じょう  )の場合、結婚(けっこん)を機に、透明(とうめい)のカプセルでじぶんの存在を他者から隔離(かくり)することが不可能になったということが大きいとおもう。0他者を排除(はいじょ)することによってではなく、他者との交錯(こうさく)、他者とのやりとりのただなかで、そのつどじぶんをかたどっていくというやりかたにいやがおうでも引き込ま(ひ こ )れていったのだ。
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 ぼくらはじぶんの存在をじぶんという閉じられた領域のなかに確認することはできない。ちょっとややこしい言いかたをすると、ぼくらには「他者の他者」としてはじめてじぶんを経験できるというところがある。ぼくらはじぶんをだれかある他人にとって意味のある存在として確認できてはじめて、じぶんの存在を実感できるということだ。(中略)
 ロナルド・D・レインという精神医学者は、ひとは「じぶんの行動が意味するところを他者に知らされることによって、つまり彼(かれ)のそうした行動が他者に及ぼす(およ  )「効果」によって、じぶんが何者であるかを教えられる」と言っている。つまり、ぼくがぼくでありうるためには、ぼくは他の「わたし」の世界のなかにある一つの場所をもっているのでなければならないということだ。それが他者の他者としてのじぶんの存在ということである。
 そういう他者の他者としてのじぶんの存在が欠損(けっそん)しているとき、ぼくらは、他者にとって意味のあるものとしてのじぶんを経験できない。他者という鏡がないと、ぼくらはじぶん自身にすらなれないということだ。
 このことは、自他の相互(そうご)的な関係だけでなく、教える/教えられるという関係、看護する/看護されるという関係のように、一見一方通行的な関係についてもいえる。教師も看護婦も、教育や看護の現場でまさに他者へとかかわっていくのであり、そのかぎりで他者からの逆規定を受け、さらにそのかぎりでそれぞれの「わたし」の自己同一性を補強してもらっているはずなのだ。ところがここで、「教えてあげる」「世話をしてあげる」という意識がこっそり忍び込ん(しの こ )できて、自分は生徒や患者(かんじゃ)という他者たちとの関係をもたなくても「わたし」でありうる、という錯覚(さっかく)にとらわれてしまう。そしてそのとき、「わたし」の経験から他者が遠のいていく。
 他者の他者としてのじぶんを意識できないとき、ぼくらの自己意識はぐらぐら揺れる(ゆ  )。あるいはとても希薄(きはく)になる。そういうとき、ぼくらは皮膚(ひふ)感覚という、あまりにも即(そく)物的な境界にこだわりだすのではないだろうか。自他の境界の最後のバリヤーとして。そしてそのバリヤー、つまりじぶんの最後の防壁(ぼうへき)を、過剰(かじょう)に防衛しようというのが、異物との接触(せっしょく)を徹底(てってい)して回避(かいひ)しようとするいわゆる清潔シンドロームだったのではないか。 (鷲田(わしだ)清一)
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a 長文 9.4週 mi
 日本人はなにかというと人に贈り(おく )ものをする。たいした意味がなくても、盆(ぼん)と暮れになると、中元、歳暮(せいぼ)を贈ら(おく )ないと気がすまない。虚礼(きょれい)ではないか、やめてしまえ、という声がときおりおこるけれども、贈答(ぞうとう)はいっこうに減らない。われわれは贈り(おく )ものをしないと落ち着かないようにできているのかもしれない。同じ日本人なら、同じような気持ちをもっているから、ときにおかしいと思う人がいても、贈れ(おく )ばだいたい受け取って、形だけにしても、ありがたかった、うれしかった、と礼を言ってくれる。
 そういうことになれ切っていると、相手が外国人であっても、つい同じことをしてしまう。こちらが善意であれば、その気持ちだけはすくなくとも通じるだろうとのんきに考える。それがそうではないことがあるのだということは、苦い経験をしてからでないと、わからないからやっかいである。
 たとえば、アメリカ人にとって日本式の贈り(おく )ものがどういうように受け取られるか。これについてはこういうエピソードがある。
 日本に住むあるアメリカ人が隣家(りんか)の日本人の奥さん(おく  )からある日、くだものをもらった。くれたのは奥さん(おく  )だが、奥さん(おく  )が買ってきたものではない。奥さん(おく  )のところへ来た知り合いが奥さん(おく  )に贈っ(おく )たものだ。この知人はクルマで来て、そのアメリカ人の庭先へ駐車(ちゅうしゃ)させてもらった。奥さん(おく  )とアメリカ人との間で、必要なときには自由に使っていいという話のついている庭先である。しかし客は知らん顔ではまずいと思った。奥さん(おく  )にもってきたくだものを、アメリカ人にあげてくれと頼ん(たの )だ。奥さん(おく  )にはまた別のものを考えると言うのであろう。奥さん(おく  )は言われるままに、客が帰ったあと、くだものをもってアメリカ人のところへ来たのである。
 ところがアメリカ人は喜ばない。どうしてくれるのかわからないのだ。やるといわれても、迷惑(めいわく)だと感じる。こちらがくだもの好きだとわかってくれたのではない、しかも、会ったこともない人からのくだものをどうして受け取れるか。相手はかまわず、そういうものをくれるのは、こちらの人間、個性を無視していて、おもしろくない。駐車(ちゅうしゃ)させてもらってありがたいと思ったなら、なぜ本人がやってきて、ひとこと、ありがとう、と言ってくれないか。そのほ
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うがわけのわからないくだものをもらうよりどれだけうれしいか知れない。会えば、知り合いになるチャンスだって生まれる……。そんな風に感じたが、このアメリカ人は結局、隣(となり)の奥さん(おく  )のくだものを受け取った。断っては、奥さん(おく  )の顔をつぶすことになるだろうという日本的考え方をしたものである。
 プレゼントをしていいのは、相手の好み、趣味(しゅみ)をよく知っていて、それに合ったものがあるときである。奥さん(おく  )のところへもってきたものを、そのまま隣家(りんか)のアメリカ人へまわすのは、送り先の人のことを無視するのもいいところで、はなはだまずい。
 贈り(おく )ものはときとして、とんだ災難のもとになることもある。
 日本で勉強しているアメリカ人の女子大生が、バイクでジグザグ走行していてトラックに接触(せっしょく)、転倒(てんとう)し、軽い怪我(けが)をした。入院したが、非は自分側にあると思っていたから、トラックを責める気はまったくなかった。ところが、トラックの運転手は、いくら自分の責任ではないにしても、現に相手は入院している。放っておけない気がしたのだろう。ブドウをもって見舞い(みま )に行った。これがいけなかった。それまでは神妙(しんみょう)だったアメリカ人学生は、そこで考えを一変させた。この運転手は自分にワイロを贈ろ(おく )うとした。悪い人間である。事故はこの運転手によっておこった。というような話をつくり上げてしまったのである。
 トラック会社と運転手を訴え(うった )て、裁判に勝ち、トラック会社から多額の賠償(ばいしょう)金をせしめることに成功した。ずいぶん高いことについたブドウである。善意がとんでもない解釈(かいしゃく)をされて仇(あだ)になってしまった。贈り(おく )ものの文化が万国共通のものではないことを知らないでおこった小悲劇である。ことにあまり意味のないプレゼントをするのになれていると、つい気軽に人にものを進呈(しんてい)しがちになる。相手をよく考えてからでないと贈り(おく )ものをしてはいけない。国際的な場面においてはとくにそれに注意する必要がある。

(外山滋比古(とやましげひこ)『英語の発想・日本語の発想』)
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