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 私の好きな言葉に、「内心にひそむ確信を語れば、それは普遍ふへんに通ずる」という名言がある。アメリカの哲学てつがく者エマソンが『自己信頼しんらい』というエッセイで述べたもので、ものを考えたり書いたりする際、いつも私の脳裏にあるのはこのエマソンの言葉である。自分自身の考えを信じ、自分にとって真理であることはすべての人にとっても真理であると信じること、それが天才というものであって、人間にとってもっとも肝心かんじんなことは、自分自身を信じることである、とエマソンは言う。
 なにかすばらしいアイデアが浮かぶう  ことがある。一瞬いっしゅん、こんなすばらしいアイデアを思いついた自分は天才かもしれないと思ったりする。しかし同時に、いやいや、これは錯覚さっかくにすぎない、それに、こんなことなどだれでも考えつくことだと思いなおす。こうして、われわれは、すばらしい考えを捨て去るが、一方、天才と言われる人間は、自分のアイデアに自信を持ち、これを心のなかでじっくりと育て、すばらしいものを生み出す――エマソンはこんなふうに考える。
 たしかに、天才うんぬんは別にして、だれでも、時にはすばらしいアイデアを思いつくことはある。問題は、それが本当にすばらしいアイデアなのかどうか自分では容易にきめかねることである。私自身も、哲学てつがく者や芸術家の思想や生涯しょうがいを研究しながら、ときには、いままでだれも思いつかなかったのではないかと思えるようなすばらしい見方や分析ぶんせきを発見したと感じることがある。そこには、誇張こちょうして言えば、大発見にともなう感動と陶酔とうすいがある。そういう感動と陶酔とうすいこそ、ものを考え、それを文章に書きあらわすうえでもっとも強い動力となることを私は実感する。ただし、そういうとき、いつも頭をよぎるのは、私にはすばらしいと思えるこのアイデアが、はたして他の人びとにはわかってもらえるだろうか。あるいは、これはまるで見当はずれの考えなのではあるまいか……という懸念けねんである。自分の考えの正しさを確信することはなかなか容易なことではないのだ。天才に通ずる道だとエマソンが言う自己確信は、うぬぼれや誇大妄想こだいもうそうへと到るいた 危険もはらんでいる。
 たしかに、なにごとかを確信して、自分の考えと呼べるようなものを獲得かくとくするのはたいへんむずかしいことではある。しかし、私
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自身の体験から、本当に自分で確信したことは、必ず他の人びとにわかってもらえ、少なからざる感動あるいは共感を得られる、と保証することができる。ただし、その際、いちばん肝心かんじんなことは、自分ひとりで徹底的てっていてき考え抜くかんが ぬ ということである。本当にこれは私自身の考えだ、と言うことができれば、それはエマソンの言うように、普遍ふへんに通ずるはずである。自分自身も驚くおどろ ようなすばらしい自分の考えのみが、他の人びとをも驚かおどろ せ、納得させることができる。他の人がびっくりする前に、自分自身がびっくりするような自分の考えこそ、内心の確信に通ずるものである。

(「孤独こどくの研究」(木原武一)による。)
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