a 長文 10.1週 mu
 朝、学校に向かう道の途中とちゅうに、背丈せたけよりもわずかに高いキンモクセイの木がある。秋になると、風に乗ってほのかに甘いあま 香りかお 漂っただよ てくる。ちょうどこの花が咲くさ ころに、懐かしいなつ   思い出があったような記憶きおくがある。それが何だったのかは忘れてしまったが、キンモクセイの香りかお をかぐと、小さいころの自分の気持ちが戻っもど てくる。
 今の生活は、定期テストがあったり、部活の練習や試合があったり、学校行事の準備があったりと、毎日があわただしい。時間に追われて生活していると、気持ちがだんだんと単調になってくるようだが、そんなとき、懐かしいなつ   花の香りかお 触れるふ  と、その季節を思い出し、ふと自分を振りふ かえる気持ちになれる。
 季節を感じて生きることが大事だと思う理由は、第一に、季節ごとの思い出に応じて人生がそれだけ豊かになることだ。
 例えば、夏というと、私がまず思い浮かべるおも う   のは、子供のころ、海辺で食べたスイカ割りのスイカの味だ。みんなで輪になって少し砂の混じったくずれたスイカをたっぷり食べた。種の飛ばしっこをしてみんなで笑ったことや、そのときの波の音や空の青さが今でも心に残っている。もしこれが、夏でも冬でも同じようにスイカが買えて、パックにきれいに詰めつ られているスイカを食べるだけだったら、懐かしいなつ   思い出にはならなかっただろう。
 もう一つの理由は、季節を感じて生きる生活こそが、環境かんきょうにとっても無理のない合理的な生活だからだ。
 例えば、夏の暑い日にクーラーを効かせた生活をすれば、家の中や車の中は確かに涼しいすず  が、その涼しくすず  なった分だけ熱が外に排出はいしゅつされる。その結果、都会はますます暑くなり、その暑さに負けないように更にさら クーラーを効かせるようになる。
 これを、もし夏は暑いものだと割り切って、薄着うすぎをしたり、窓を開け放したり、水を打ったり、風鈴ふうりんをつけたり、木陰こかげができるように木を植えたりすることで対応するならば、それは自然と調和した優しい社会を作ることにつながるだろう。
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 確かに、人間は科学を発展させて、季節に制約されない文化を作り上げた。病人や老人にとって、暑い夏は負担である。健康な人にとっても、エアコンで調整された環境かんきょうの方が、勉強も仕事も大いにはかどる。しかし、その便利さに慣れるあまり、多様な季節を一色に塗りつぶすぬ    ようなことをしては、人間の文化も私たちの感覚も、同じように機械的な一色に塗りつぶさぬ    れることにならないだろうか。自然とは、私たちの外側にあるものではなく、私たち自身も含むふく 世界である。自然を豊かに感じることは、自分自身を豊かにすることにもつながっているのだと思う。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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