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 私に、漫画まんが「ドラえもん」の面白さを紹介しょうかいしてくれたのは、一九七三年生まれの長女だった。「ドラえもん」とともに育ったこのむすめも、今年六月に結婚けっこんした。この夏、夫婦で初めて北海道の実家を訪れたときのお土産がシリーズの第四十五巻。家族みんなで回し読みし、「ドラえもん」論に花を咲かせさ  たばかりだった。それだけに作者の藤子ふじこ・F・不二雄ふじお氏が九月二十二日に死去したのは悼まいた れる。
 「ドラえもん」は、「鉄腕てつわんアトム」や「鉄人28号」に代表される、スーパーヒーロー型とは全く異なったタイプのロボットとして誕生した。読者の日常生活に密着して愛されるタイプのロボットなのである。だが、「ドラえもん」がヒーローたり得るゆえんは、「四次元ポケット」にある。「タケコプター」「どこでもドアー」「インスタント旅行カメラ」「暗記パン」……。「ドラえもん」のポケットから出てくるこれら一つひとつのアイテム(道具)に限りない夢がある。これが「ドラえもん」の人気の秘密であることはいまさら言うまでもない。
 しかし、「ドラえもん」には見逃しみのが てはならない、もう一つの重要な視点があるべきだと思うのだ。
 ――子供のみならず大人にまで夢を与えあた た――。本当にそうであろうか。私の知る限りでは「ドラえもん」の夢は一度もかなわなかった。次から次へと「四次元ポケット」から出てくる奇想天外きそうてんがいな科学の小道具は、困難を解決してくれるどころか、思惑おもわくに反して勝手に暴れだし、思いがけない新たな問題を引き起こしてしまうのが常である。それが、ギャグのメインになってはいるが、そこにはただ笑ってはすまされない問題がある。
 そもそも、この漫画まんがには、一定の法則がある。「大変だ! 大変だ!」。現代っ子の代表「のび太」の日常の中で起こる様々な問題が発端ほったんとなる。かれは問題解決の本質を見極めようとはせず、実に安易に「ドラえもん」のポケットに助けを求める。それにこたえて「ドラえもん」の出してくるおせっかいな道具。それはまるで魔法まほうのような効力を発揮して問題を一気に解決するように思えるのだが、すぐさま勝手に暴れだし、新たな問題に右往左往する結末を繰り返すく かえ のである。
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 現代の日常生活は科学文明を過信するあまり、科学に対する基本的な姿勢を忘れ去ってしまっている。便利という言葉に浮かされう   て出来合いの科学を大量に買い込んか こ で、これでもかという失敗を繰り返しく かえ ても、実に平気なのである。それはまるで「のび太」の生活そのものである。
 楽することを求めるあまり、科学のなんたるかを忘れて暮らす現代生活のあり方に浴びせた作者の皮肉な笑い。「ドラえもん」の真の面白さは、我々の日常への痛烈つうれつ風刺ふうしにあったのだ。
 かつて、藤子ふじこ氏は「半世紀も前にはマンガ=笑いというのが世間一般いっぱんの常識でした。しかし、ここ四十年ばかりの間に驚異きょうい的な変貌へんぼう遂げと たのです。愛あり、感動あり、希望あり、絶望あり……。かつての笑いは、むしろ片隅かたすみで細々と命脈を保っている感じです。」と語ったことがある。かれの言う「かつての笑い」とは漫画まんが漫画まんがたるゆえんのもの、すなわち「風刺ふうしの精神」にほかならない。「ドラえもん」の面白さは、決して笑ってはすまされない現代の深刻な問題への警鐘けいしょうなのである。
 高度に発達した現代科学を人類に役立てるために、自己を犠牲ぎせいにしてまで平和に奉仕ほうしした「鉄腕てつわんアトム」。高度な科学技術をつくりだした人間が、それをどう扱うあつか べきかをテーマにした「鉄人28号」。そして、科学のしでかす失敗の連続に、走り回るしかないのが、この第三のロボット「ドラえもん」のテーマだとすれば、それに気づかずに笑って読み続ける子供たちの未来に夢は描けえが ないのである。
 卓越たくえつした批評精神の漫画まんが家の死を惜しむお  とともに、藤子ふじこ氏が「ドラえもん」に託したく た現代へのメッセージを、子供たちと一緒いっしょに、いま一度しっかりと読み返して欲しい。
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