a 長文 10.4週 mu
「潔」と進がいった。「われのところに新しい本が東京から送って来たと違うちが か」 
「ああ」ぼくはいった。「この間、小包で送って来たんや」 
「貸してくれんか」と進はやさしくいった。 
「いいよ」 
とぼくはほとんどいそいそとしていった。進の意を迎えるむか  ことのできる材料が意外にも身近にあったのがうれしかった。 
「今日持って行こうか」 
「おれがわれんちに行くわい」と進はいった。 
 その日進は約束した通りやって来た。ぼくはかれを自分の部屋に通して、伯母おばにたのんでそこに作ってもらってあったこたつに入るように勧めすす た。
 進はぼくの見せた本のどれにもこれにも目をかがやかした。 
「東京にはもっとあるんやろう」 
「たのむから送ってもろうてくれんか」 
「おれ今まで家の手伝いで読めんなんだろう、冬に入ってようやく読む時間ができたんや」 
「四月に入れば、中学に入るための勉強せんならんから、読めんようになるしな」 
と進は興奮したように次から次へとしゃべった。 
 東京に残っている本を小分けにして小包で送って欲しいとその日のうちに手紙でたのんでみると進に約束すると、進はようやく興奮をしずめ安心した風を見せた。 
 ――その日進は高垣たかがきひとみの「竜神りゅうじん丸」と南洋一郎よういちろうの「える密林」とを借りて行った。 
 そして進との交友は再び復活し、冬休みの時と同じくらいの頻度ひんどでおたがいの家をき来した。家での進は学校での進と別人の観があった。進が学校でも、家で会う時と同じように振る舞っふ ま てくれたら、ぼくは進を本当に親友と見なし大切に思ったに違いちが ない。しかしぼくは家を出て家に帰るまでの進の専横な振る舞いふ ま を決して忘れるわけには行かなかった。進がそんなぼくの気持ちに感づいていたかどうかは分からなかった。しかしとにかくぼくたちは二人だけでいる限り、気が合い、話題も尽きつ なかった。話は戦争の見込みみこ や、
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勉強の計画、自分たちの将来などに及んおよ だ。 
 たとえば将来の夢について、「戦争が長びくようやったら」と進はいうのだった。 
「おれァ、海兵を受けることにやっぱり決めたわ」 
 もし終わったらどうするかというぼくの問いに対してかれは答えた。 
「高等学校へ入っててい大へ行き高文を受けて、官吏かんりになるわ、われの家の人みたいにな」 
 かれの頭に、成功した郷里の先輩せんぱいとしてぼくの父が描かえが れていたことに間違いまちが なかった。そしてかれがおそれていることは戦争が早く終わって、ぼくが東京に早く引き揚げひ あ てしまい、一緒いっしょに受験勉強もできなくなってしまうことらしかった。その証拠しょうこに、かれは何度となく、 
「戦争が終わっても六年はここで終えて行くのやろ、それから東京の中学を受ければいいにか」とぼくに確かめたからである。もちろんぼくはそうするつもりだとうそをついた。 
 ぼくらはよく一緒いっしょ風呂ふろへも行った。すると風呂ふろ一緒いっしょになる大人たちは、はま見一番のあんぼ(しっかり者の長男)と寛平かんぺいさの東京の子がすっかり意気投合し親友になったことを祝福してくれた。するとぼくの心は自分が間違っまちが て見られていることに対する不満と、そんな風に誤解されてもしようがないように振る舞っふ ま ている自分に対する嫌忌けんきの念にひそかに包まれた。ぼくはいつも心の奥底おくそこで、自己に忠実でありたかったから、家に帰ってからの進との往き来を今のような形で続けるのを拒否きょひすべきか、もしくは進の方で学校での態度を改めるべきだと思っていた。そのことが二つとも実現しない限り、自分に忠実でなく、虚偽きょぎの生活を行っているのだと思っていたのだった。しかし現実のぼくは、内心の願いとはまったく逆に、のぼる貢物みつぎものの一件以来、進の勢力の偉大いだいさを思い知らされ、もはやのぼると協力して級を改革する夢にふけることもできなくなり、努めて進の意にそうように振る舞っふ ま ているのだった――
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