1人は二足歩行で手を解放し、その手に道具を扱う役割を持たせ、それを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。2それが言葉とならぶ異常な加速進化のもう一つの理由であったのだが、それはともかく、強くなったために狩る立場に立つことはあっても狩られる側にまわることはほとんどなくなった。3そして、最近では事故や病気で死ぬことさえ最小限に抑えられ、現にわが国などは、平均寿命において世界一の数字を誇っている。4医学という蓄積可能な知識の体系によって死亡率を下げることが比較的容易であることはあきらかで、それに対して伸びた寿命の中身を充実させて幸福な老後を送ることは大変に困難らしいが、ここではそういう面には触れないでおこう。5いずれにしても、われわれは狩られる感覚をすっかり忘れてしまった。だから自分より強くて速い相手に狩られることはそのまま極端な不幸であるという単純な認識にこりかたまってしまっている。
6喰われることは不幸である。それは生命というものが個体にのみ宿り、あらゆる努力を払って個体の存続をはかることが生命の第一原理である以上は当然のことだ。7しかし、追われる立場で動物としての知恵をしぼって相手をまくこと、いやもっと危なくぎりぎりまで追いすがられて、自分の脚力だけをたよりにからくも逃げきること、相手の存在に一瞬早く気付いて巧みに回避することにさえ、大いなる喜びが込められているのかもしれない。8そういう時にこそ弱い動物は自分が生きているという実感を改めて感じて幸福感を味わうのかもしれない。
動物の場合、われわれとは死の概念自体がずいぶん違うのではないかと思うのだ。9この場合の動物という言葉には、現代文明の中で生きるわれわれのような人間以外のすべての哺乳類を含める。つまり、先ほど書いたような、動物たちとの交感関係にある狩人たち、動物と同種の知恵によって生を維持している人々もわれわれの側ではなくそちら側に入れたいのだ。0彼らにとって死とは、
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