1方言で「つるべ」のことをツブレ、「ちゃがま」のことをチャマガ、「つごもり」をツモゴリと言う所がある。2このような現象は幼児の言語に見られるもので、恐らく起こりは幼児時代の言語に始まったものであろうが、ある地方でこのような誤りが定着したのも、本来「釣る瓶」「茶釜」「月隠」であるという言語意識が薄れてしまったからであろう。3語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化を来すことがある。漢語の場合には、それに使われた漢字が忘れられると、意味用法の転ずることが少なくない。4ことに話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしないから、意味を支持するものがないためにとかく変化しがちである。
5たとえば「馳走」「遠慮」「結構」「世話」等の漢語は話し言葉で日常語として使われているうちに、原義とかなり違った意味用法になっていった。
「馳走」は、もとの漢字から言えば、はしるの意だが、今ではおいしい料理を意味する。6おいしい料理はいろいろ手数や労力がかかるから、「御馳走」と相手に礼を言ったところから、現在のような意味に転じたのである。「遠慮」は、今はひかえ目にする、さしひかえる意に使う。7しかし、もとの意は、「遠きおもんぱかり」である。遠きおもんぱかりによって、積極的には行動しないことが起こる。そのことから、現在のような意味に転じたものであろう。
8「結構」は、もと建物や文章の配置構成を意味する語だが、「立派な結構」「見事な結構」というようなほめ言葉から転じて、立派だ、見事だという意になったのである。9「好天」のことを「天気」と言うのも、「よい天気」と使っているうちに「よい」が省かれて「天気」だけでも好天を意味するようになったのと似ている。
0「もう結構です」の「結構」は、立派だ、見事だの意からさらに転じたものであろうが、このように次々と意味が転じて行くのは、話し言葉では「結構」という漢字の字面が思い起こされることがないからであろう。
「世話」も、世間話、世のうわさの意から、今の「世話になる」「世話をかける」「世話する」の用法が生まれた。
「週刊朝日」に、電車の「つり皮」は現在は皮ではなくてビニールを使っているから、これを「つり皮」と称するのは不当で、「つりビニール」と言うべきであろう、「枕木」は、近年は木ではなく
|