a 長文 12.4週 mu
 ある日、昼めしをおえると父親は、あごをなでながらかみそりを取り出した。きちは湯をのんでいた。 
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」 
 父親は、かみそりのをすかして見てから、紙のはしを二つにおって切ってみた。が、すこしひっかかった。父の顔はすこしけわしくなった。 
「だれだ。このかみそりをぼろぼろにしたのは。」 
 父はかたそでをまくって、うでをなめると、かみそりをそこへあててみて、 
「いかん。」といった。 
 きちはのみかけた湯をしばし口へためて、だまっていた。 
きちがこのあいだといでいましたよ。」と、姉は言った。 
きち、おまえどうした。」 
やっぱり、きちはだまっていた。 
「うむ、どうした?」 
「ははあ、わかった。きちは屋根うらへばかりあがっていたから、なにかしていたにきまっている。」と、姉はいって庭へおりた。 
「いやだい。」と、きちはさけんだ。 
 姉ははりのはしにつりさがっているはしごをのぼりかけた。するときちは、はだしのまま庭へおりて、はしごを下からゆすぶりだした。 
「こわいよう、これ、きちってば。」 
 かたをちぢめている姉は、ちょっとだまると、口をとがらせてつばをかけようとした。 
きちっ。」と、父はしかった。 
 しばらくして屋根うらのおくの方で、 
「まあ、こんなところに面がこさえてあるわ。」という姉の声がした。 
 きちは姉が面を持っておりてくると、とびかかった。姉はきちをつきのけて面を父にわたすと、父はそれを高くささげるようにして、しばらくだまってながめていたが、 
「こりゃよくできとるな。」 
 また、ちょっとだまって、 
「うむ、こりゃよくできとる。」といってから、頭を左へかしげかえた。
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 面は父親を見おろして、ばかにしたような顔でにやりとわらっていた。 
 その夜、納戸で父親と母親とは、ねながら相談した。 
きちをげた屋にさそう。」 
 最初にそう父親がいうと、いままでだまっていた母親は、 
「それがいい。あの子はからだがよわいから遠くへやりたくない。」といった。 
 まもなくきちはげた屋になった。 
 きちの作った面は、その後、かれの店のかもいの上でたえずわらっていた。むろんなにをわらっているのかだれも知らなかった。 
 きちは二十五年、面の下でげたをいじりつづけてびんぼうした。 
 ある日、きちはひさしぶりでその面を見た。すると面は、いかにもかれをばかにしたような顔をしてにやりとわらった。きちははらがたった。つぎにはかなしくなった。が、またはらがたってきた。 
「きさまのおかげで、おれはげた屋になったのだ。」 
 きちは面をひきおろすと、なたをふるってその場でそれを二つにわった。しばらくしてかれは、げたの台木をながめるように、われた面をながめていたが、なんだかそれでりっぱなげたができそうな気がしてきた。
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