a 長文 10.2週 mu2
 文明人は時計によって時間を測る。それによって、一日は二十四時間に正確に区切られ、共通の時間が設定される。これは多くの人間が社会をつくっていくためには、非常に大切なことである。これによって、われわれは友人と待ち合わせもできるし、学校も会社も、同一時刻に一斉いっせいに始めることもできる。時計の発明によって、人類はどれほど時間が節約できるようになったかわからない、本当に便利なことだ。
 ところで幼児たちは、大人のもつ時計によって区切られた時間とは異なる時間を生きているようだ。「きのう」とか「あした」とかの意味も、はっきりとしていない子もある。「また、あしたにしようね」などと言っている子も、それは厳密にあしたということをさすのではなく、「近い将来」を意味していることも多い。
 あるいは、何かに熱中していたが、何かで中断しなければならなくなったとき、「また、あしたにしよう」と言うのは、このことを言うことによって、中断することを自らに納得させようとする意味あいで言っている子もある。この場合の「あした」は、二十四時間の経過後に存在する時期などではなく、断念しなければならないという気持ちと、何か希望を残しておきたいような気持ちの交錯こうさくした現在の状況じょうきょうをのべている表現なのである。
 道くさをしたために叱らしか れる幼児たちが、悪かったという気持ちをあらわしながら、何とも納得のいきかねる表情をしていることがよくある。彼らかれ 叱らしか れながら、「おくれてしまった」「おそくなって悪かった」ということはよくわかっているのである。しかし、なぜおそくなったのだろう。「ぼくは何もしてなかったのに」、「ちょっとだけ、おたまじゃくしを見てただけなのに」と思っているのである。たしかに子どもたちは「ちょっとだけ」何かをしていたのである。しかし、残念なことに、それは大人のもっている時計では、「一時間」も道くさを食っていたことになるのだ。
 おたまじゃくしを見ていた子どもが、一時間を「ちょっとの間」と思ったように、われわれ大人でも、同じ一時間を、長く感じたり短く感じたりする。時計の上では一時間であっても、経験するものにとっては、その一時間の厚みが異なるように感じられるのである。もちろん、時間そのものには厚みなどあるはずがないから、あくまで、それを経験するものの主観として、厚みが生じてくるのだ。
 何かひとつのことに熱中していると、時間が早くたっていくことはだれもが知っていることである。といっても、何かひとつのことを
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していると、必ず充実じゅうじつした時間を過ごしたことになるとは限らない。たとえば、テレビのドラマなどを見るともなく見ていると、ついひきこまれて終わりまで見てしまう。終わってみるといつの間にか一時間たってしまっている。しかし、このあとでは充実じゅうじつ感よりも空虚くうきょな感じを味わうことだってある。時間は早くたったと感じられるが、その厚みの方はうすく感じられるのである。
 あるいは、ひとつのことをしていても時間が長く感じられるときもある。その一番典型的な場合は、「待っている」時間である。だれかが来るのを待っているとき、われわれはなかなか他のことができない。そわそわしながら待つ。しかもその間は随分ずいぶんと長く感じられるのである。「待つ」ということだけをしているのだが、時間を長く感じてしまう。
 これらのことを考えると、自分のしていることに、その主体性がどのように関係しているかにしたがって、時間の厚みが異なってくるらしいと思われる。「待つ」ことは、受動的なことである。その人がいつ来るかは、その人の行動にまかされているわけで、待っている方としては、ただそれにしたがって待つより仕方がないのである。これはテレビの場合でも同様である。テレビを見終わって充実じゅうじつ感のない場合は、私たちがテレビを見たのではなく、テレビが私たちをひきこんでしまったのである。私たちは受動的に見ていたのだ。(中略)
 テレビは見たいが勉強はどうするのか、父親は野球が見たいが子供は漫画まんがが見たい。これをどう解決するか。食事中にテレビを見ないのはわが家のおきてである。ところが、食事時間にどうしても見たい番組ができた。これをどうするか。
 これらの葛藤かっとうと対決していくことによってこそ主体性が得られる。対決を通じて獲得かくとくした時間、それは主体性の関与かんよするものとして、「厚み」をもった時間の体験となるのである。

(河合隼雄はやお「子どもの『時問』体験」より)
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