1「ボランティアってのは、自分にとって一銭の得にもならないことを一生懸命やっているみたいだ。だから、ボランティアは偉い、感心だ」。こんなふうにいう人は好意的な人だ。2その気持ちが少し皮肉な側に傾けば、ボランティアは「変わった人だ」、「物好きだ」となるかもしれないし、反発心が混じれば、ボランティアは「偽善的だ」となりかねない。
「偽善的だ」と言われたとき、ボランティアは考え込んでしまうかもしれない。3自分がしていることが「見返り」を求めない「尊い」行為だと言う自信はない。もしかすると自分は、自分の力を誇示したいだけなのではないか、弱いものと接することで優越感を感じたいだけではないか、「こんないいことをしましたよ」と周りの人に自慢したいだけなのではないか……と考え出すと、自分でも不安になってしまう。
4私は、ボランティアが行動するのはある種の「報酬」を求めてであるからに違いないと考える。私自身の限られた経験からもそう思うし、考え方の枠組みとして、とりあえずそのような想定をしてから出発することが有効なアプローチであると思う。
5ボランティアにとっての「報酬」とは、もちろん、経済的なものだけとは限らない。その人によっていろいろなバリエーションが可能なものである。私は、ボランティアの「報酬」とは次のようなものであると考える。6その人がそれを自分にとって「価値がある」と思い、しかも、それを自分一人で得たのではなく、だれか他の人の力によって与えられたものだと感じるとき、その「与えられた価値あるもの」がボランティアの「報酬」である。
7ボランティアはこの広い意味での「報酬」を期待して、つまり、その人それぞれにとって、自分が価値ありと思えるものをだれかから与えられることを期待して、行動するのである。その意味で、ボランティアは、新しい価値を発見し、それを授けてもらう人なのだ。
8ボランティアの「報酬」についてわかりにくいところがあるとしたら、その本質が「閉じて」いてしかも「開いて」いるとい
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