1じつは、「正しい」という言葉には、真理という意味と正義という意味の二つが含まれている。真理のほうは、どちらかというと、事実に合致しているとか、論理的に整合的だとかいう意味であるため、客観的に証明できる可能性が高い。2しかし正義というのは、人間としてのあり方が正しいという道徳的な意味合いが強いので、主観的な色合いが強い。だから客観的に主張できないところがある。3そして正義を旗印にして不正義をしたり、侵略することもできる。歴史を調べてみると、悪いことは必ず正義の旗印のもとになされたと言う人もいる。そこで、正義など掲げる奴は悪い奴ばかりだと言って、正義という言葉そのものに不信感をぶっつける人もいるくらいである。
4正義というのは、人間として道理にかなっている、人間としてあるべき正しい姿に合致しているということ。うそ、いつわり、ごまかし、汚いことをしないという意味である。5自分が正しいということは、世の中のほうが間違っている、それと対立している自分のほうが正しいという判断と感情をもつことである。その間違っている世の中に合わせると、本来の自分が失われてしまうことになる。6正しいと思う自分を貫くということが、「個性化」の道を歩むということである。
ただし、そのときに注意しなければならないことがある。それは第一に「正しさ」の主張が「ひとりよがり」になってはならないということである。7自分が「正しい」と思っていたことが、「正しくなかった」と思い知らされることもある。それが「一段上の基準や立場から自我が否定される」ということであり、自分の価値観を変えなければならないという体験である。8この体験も個性化の中でよく起きることである。このように自分の「正しさ」について謙虚にならないといけないが、そうかといって、自分だけで正しいと思うように暮らしていれば事足りるというのではない。9自分だけ好きなように暮らすということだけでも、周囲の人たちの支持や理解がないと不可能である。本人が変わっていればいるほど、周囲の人たちの理解がないと、なかなか生きていくことさえ難しい。自分の「正しさ」をどれだけアピールできるかが大切なのである。0そしてそのためには、自分の「変わっている」ところが、どれだけ普遍性をもっているか、そしてそれをどれだけ主張できるかが、も
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