a 長文 11.4週 mu2
 なかでも、二十歳はたちになったばかりの障害者のむすめさんが車椅子くるまいすでひとり旅をする、その一部始終をとったフィルムが素晴らしいものだった。京都を見てから、さらに田舎のお祖母ばあちゃんに会いに行く、その旅の終り、むすめさんは新しい経験で強くなった、しかし苦しみと徒労感のあとすらもきざまれている、気丈きじょうさと翳りかげ のある美しい表情で、旅が教えてくれたことを話した。
 その言葉どおりここに書きしるすことは、本人の承諾しょうだくをえていない以上さしひかえるが、次のような意味のことが語られて印象に濃くこ きざまれたのである。障害を持っている人間もどんどん外に出て行って、自分のしたいと思うことをすればいいと思う。他人に迷惑めいわくをかけてもいい。健常者に手助けをもとめて、たとえそれが迷惑めいわくをかけることになっても、自分の意志をとおして、本当にやりたいことをやるといいと思う……
(中略)
 むすめさんは出発をきめると、親を説きふせ、自分で旅の予定地のホテルにも予約の電話をかける。集団でではなく、ひとり旅で、しかも車椅子くるまいすのという条件に、電話の向こうで突っつ けんどんにことわる相手もいれば、部屋へ入るまでの通路がどういう構造になっているかを丹念たんねんに説明して、むすめさんの宿泊しゅくはくが可能であることを教えてくれる相手もいる。
 ぼくむすめも、サークルで障害者の仲間たちとの旅を計画するシーズンになると、毎日毎日、予定地の安い宿舎との談判を電話で繰りかえしく    ていた。その電話をやはりわきで聞きながら、現在わが国の障害者が、そうした所でどのようなあつかい方をされているかの実態にふれる思いがしたものだった。しかし決してあたたかい対応を期待できない電話に、こちらの条件をはっきり呈示ていじしながらねばり強く交渉こうしょうをつづける障害者のむすめさんを見ていると――ヴォランティアー側のぼくむすめもふくめて――、新世代の、ある強さというものも感じないではいないのだった。
 さて困難もあり感動もあった旅の終点に、むすめさんは田舎のお祖母ちゃんの家へと辿りたど つく。旧家の印象の、落着いた玄関げんかんむすめ
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さんは車椅子くるまいすのまま待っている。事故の後、はじめて会うお祖母ちゃんが驚くおどろ のではないかと気にかけながら、しかし幼女のころ、そのお祖母ちゃんに可愛がられた様子のあきらかなむすめさんは、ひとり車椅子くるまいすでやって来たことを誇らしくほこ   も感じている……。
 そこへお祖母ちゃんは、着物の前がはだけてしまいそうになるほど気持ちを急がせて、這いは ながら迎えむか に出るのである。そして行なわれたほとんど言葉もない対面のなんと感動的だったことだろう。(中略)
 やがて炬燵こたつを間にむかいあって坐っすわ たふたりは、とくに言葉をとりかわすというのでもない。老人性痴呆ちほうとはいわぬまでも、それに近い状態で、家人に幼児あつかいされるかたちで暮している模様のお祖母ちゃんには、急に言葉も出てきにくいはずだし、かいぞえ役のお嫁さんよめ  が手ぎわよくかわりの発言をしてさばいてしまうのであるから――話がそれるが、ぼくは自分の身のまわりにも、このようにして言葉をもぎとられてしまう老婦人を見て来た――。
 そのうちむすめさんが、お祖母ちゃんのために京都のお寺でお守りを買ってくれていたことがわかる。もらった包みからもどかしげにそれを取り出して喜びをあらわすお祖母ちゃんは、その老年による障害、つまり老衰ろうすいとそれに付随ふずいしてのすべてを受容している人だと感じとられてくる。(中略)
 この祖母と孫娘まごむすめとが、ともに健康であったとして、かならずしもこれだけ深い理解関係をかちとりうるときまっていなかっただろう。祖母の方が、どうしても避けるさ  ことのできない老衰ろうすいへとしだいに下降しつづけるのであれば、それに反撥はんぱつするのも、健康なさかりの孫娘まごむすめの自然な生理ではないか? しかし、テレヴィ・フィルムのおたがいにその障害を受容している老若の女性は、じつにあたたかくおたがいを理解して、優しく向かいあい、そのふたりをつつむ微光びこうは尊敬をさそうほどの上品さなのであった。

大江おおえ健三郎けんざぶろうの文章による)
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