1常識という言葉を辞書を開いて調べると、「一般の人が持っている、また、持つべき知識・理解カ・判断力」といった解釈をしている。
ただ、私個人の解釈を言うなら「社会生活を営むうえで、当然知っている、と予想される知識」となるかもしれない。2この「当然知っている、と予想される」というところがこの言葉の難しいところだ。つまり、個人個人の考え方や生きてきた環境が違えば、この「当然知っている、と予想される」内容も少なからず違ってきてしまうからだ。
3私の父、京助は東北の岩手県出身、母は生粋の江戸っ子だった。この二人はしょっちゅう意見が衝突していたが、それは正月の雑煮は何を入れるか、といった大変ささいなことから始まっていた。4父は絶対鮭の子を入れなくては正月のめでたい気分は味わえない、と言い、母はお雑煮にそんな生ぐさいものを入れるなんて聞いたことがない、と反論する。
つまり、父にとっては雑煮には鮭の子を入れる、ということが「常識」なのであり、母にとっては入れないことが「常識」なのである。5そしておたがいに自分の「常識」が正しいと思い込んでいる。相手も自分と同じ考え方をするはずだ、と予想し、それが外れると、「あの人は常識がない」という言い方をする。つまり「常識」とは大変個人的な考え方の尺度だ、と言えると思う。
6「世間」という言葉がある。これを英語に訳すとWORLD(ワールド)になるが、「世界」と「世間」はちょっと違う。「社会」とも似ているが、受ける感じはやはり違う。土居健郎氏の『甘えの構造』によると、日本人の生活は一番内側に身内の世界があり、これは遠慮がいらない。7その外側に世間があり、そこでは窮屈な心遣いをすべきである。そしてその外側にまったく遠慮のいらない他人の世界があると考えられてきたのだそうだ。
日本人にとって「常識」が大切になるのは、この「世間」の世界である。8ここでは身内の世界で学んだ「常識」がいろいろな形で試されることになる。「世間さまに笑われる」とか、「世間に出
|