a 長文 4.1週 na
 1青い空をジェット機が飛んでいくのを見て、「樋口(ひぐち)さん、どうしているかなあ」と考える。
 樋口(ひぐち)さんが引っ越し(ひ こ )ていったのは、つい先月のことだ。何度も同じクラスになった親友だから、一緒(いっしょ)に卒業したかったけれど、それはできなかった。2お父さんの仕事の都合で、ハワイに行ってしまったのだ。
 同じ日本の中ならともかく、海を越え(こ )た遠くにまで行ってしまうというのは、正直実感が持てなかった。驚き(おどろ )すぎて「ハワイってどこのハワイ?」などと言ってしまったほどだ。
 3樋口(ひぐち)さんも不安でいっぱいだったようだ。
「言葉が通じないんだから、きっと新しい友達なんてできないよ……。」
 引っ越す(ひ こ )前、ふだんは明るい彼女(かのじょ)がそんな弱音を吐い(は )ていたことが、今でも忘れ(わす )られない。
 4なんとか樋口(ひぐち)さんを元気づけたくて、私(わたし)は自分がハワイに旅行したときのことを話してあげた。本当は、それはずっと小さいころの話で、記憶(きおく)はかなりあいまいだった。けれども、私(わたし)はよいイメージばかりを思い浮かべ(おも う  )て、明るく自信満々に次から次へと話をした。
 5言葉は通じなくても、ハワイの人は「アロハ」の言葉ですぐに打ち解け(う と )てしまう。体も心も大きい人が多くて、すごく安心できる。それに食事がおいしい。ハワイの料理は、見た目も豪快(ごうかい)で華やか(はな  )だし、飽きる(あ  )ことがない。6何よりハワイは、日本の夏と違っ(ちが )て、じめじめ蒸し(む )蒸し(む )しない。からっとしていてとても気持ちがよい。そんなところで、しかも、毎日きれいな海で泳げるなんて最高だ。
「それにね、ハワイでも日本語を勉強している人がいっぱいいるんだよ。」
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 7とどめとばかりに私(わたし)がそう言うと、ついに樋口(ひぐち)さんの顔色が明るくなった。私(わたし)はそのとき、重く沈ん(しず )だ樋口(ひぐち)さんの気持ちを一本釣り(いっぽんづ )で引き上げたかのような晴れ晴れした気持ちになった。
 8ハワイにいる日本の子供(こども)たちが、故郷(こきょう)の言葉を忘れ(わす )ないように熱心に日本語を学んでいるという話は、昔、先生から聞いたことがあった。そういう人がたくさんいるなら、きっとすぐに仲よくなれるし、助け合うことだってできるはずだ。9だから、私(わたし)がいなくても心配することなどないんだ……。
 私(わたし)の奮闘(ふんとう)の甲斐(かい)あって、樋口(ひぐち)さんは元気にハワイへ旅立っていった。そろそろ最初の手紙が届く(とど )ころだと思う。新しい友達ができただろうか。それはどんな人だろうか。0楽しみでもあり、ちょっぴり寂しい(さび  )ような思いもある。
 一緒(いっしょ)にいることだけが友達ではない。離れ離れ(はな ばな )になったとしても、何かをしてあげられることが大切なのだ。私(わたし)は、そんなことが分かった気がした。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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a 長文 4.2週 na
 1私(わたし)は小さい頃(ころ)、家の近くを流れる渡良瀬川(わたらせがわ)から大切なことを教わっているように思う。
 私(わたし)がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の頃(ころ)だったろう。ガキ大将(たいしょう)達につれられて、いつものように渡良瀬川(わたらせがわ)に泳ぎに行った。2その日は、増水(ぞうすい)していて濁っ(にご )た水が流れていた。流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私(わたし)はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅い所で、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心にむかって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。3ところがその時、どうしたはずみか中央に行きすぎ、気づいた時には速い流れに流されていたのである。元いた岸の所に戻ろ(もど )うとしたが、流れはますます急になるばかり、一緒(いっしょ)に来た友達の姿(すがた)はどんどん遠ざかり、私(わたし)は、必死になって手足をバタつかせ、元の所へ戻ろ(もど )うと暴れ(あば )た。4しかし、川は恐ろしい(おそ   )速さで私(わたし)を引き込み(ひ こ )、助けを呼ぼ(よ )うとして何杯(ばい)も水を飲んだ。
 水に流されて死んだ子供(こども)の話が、頭の中をかすめた。しかし、同時に頭にひらめいたものがあったのである。それはいつも眺め(なが )ていた渡良瀬川(わたらせがわ)の流れる姿(すがた)だった。5深いところは青々と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡(あわ)を立てて流れる、人の膝(ひざ)くらいの浅い所の多い川の姿(すがた)だった。たしかに流されている所は、私(わたし)の背(せ)よりも深いが、この流れのままに流されていけば、必ず浅いところに行くはずなのだ。6浅いところは、私(わたし)が泳いで遊んでいたあの岸のそばばかりではないと気づいたのである。
「……そうだ、何もあそこに戻ら(もど )なくてもいいんじゃないか」
 私(わたし)はからだの向きを百八十度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。7すると、あんなに速かった流れも、私(わたし)をのみこむほど高かった波も静まり、毎日眺め(なが )ている渡良瀬川(わたらせがわ)に戻っ(もど )てしまったのである。下流に向かってしばらく流され、見はからって、川底を探っ(さぐ )てみると、なんのことはない、もうすでにそこは私(わたし)の股(もも)ほど
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もない深さの所だった。8私(わたし)は流された恐ろし(おそ  )さもあったが、それよりもあの恐ろしかっ(おそ    )た流れから、脱出(だっしゅつ)できたことの喜びに浸っ(ひた )た。
 怪我(けが)をして全く動けないままに、将来(しょうらい)のこと、過ぎ(す )た日のことを思い、悩ん(なや )でいた時、ふと、激流(げきりゅう)に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿(すがた)を見たような気がした。9そして、思った。
「何もあそこに戻ら(もど )なくてもいいんじゃないか……流されている私(わたし)に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」
 その頃(ころ)から私(わたし)を支配(しはい)してた闘病(とうびょう)という意識(いしき)が少しずつうすれていったように思っている。0歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。
 東山魁夷(かいい)画伯(がはく)の書かれた本を読んでいた時、画伯(がはく)も少年の頃(ころ)、海で波にさらわれ、似(に)たような体験をされたことを知り、非常(ひじょう)に感激(かんげき)した。そして、なにげなく読みすごしていた聖書(せいしょ)の一節が心にひびきわたった。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実なかたですから、あなたがたを耐える(た  )ことのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐える(た  )ことのできるように、試練とともに、脱出(だっしゅつ)の道も備え(そな )てくださいます。」(コリント人への手紙第一 十章十三節)

(星野富弘(とみひろ)著(ちょ)「四季抄() 風の旅」より」
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a 長文 4.3週 na
 1べつにすてきなものじゃないし、大したものでもない。何でもないものにすぎないが、どんなときにもなくてはかなわぬものとして子どものころからつねに身のまわりに、かならず手のとどくところにあって、とても親しい。2ひとが人生で、そんなにも長く身近に付きあう家具はほかにないといっていいかもしれない。そうではあっても、だれにもとくに大切にされているというのでもない。
 くずかごはくずかごだ。いつもそこにあってそこに見えているのに、だれも見ていない。3だれしもの人生のどんな一部を切りとっても日々の光景のどこかしらに、いつでもきまってくずかごが、きっと一つは置かれているはずなのに日々に欠かせぬ家具として重んじられているとはいえない。くずかごのないくらしはかんがえられないが、しかし、くずかごはやっぱりいつでもただのくずかごにしかすぎない。
 4あってもなくてもどうでもいいものではないのだ。くずかごは、わたしたちとつねに、日々をともにしている。だが、どうしてだろうか。どうして、くずかごはまるで日のあたらない場所に置かれたまま、いつもあたかも「ないもの」のごとくにしかおもわれないのだろうか。5どんなにすばらしい部屋であっても、くずかごはみすぼらしくてかまわない。そうであってすこしも奇妙(きみょう)におもわれることがないということこそ、むしろ、奇妙(きみょう)なことではないだろうか。くずかごは、どうあれ、もっとも親しい毎日のくらしの仲間なのだ。
 6わたしたちはどうかすると、くらしというのは、手に入れるものでつくられるのだとかんがえる。何かを手に入れることがくらしの物差しをつくるので、手に入れたものをどれだけいれられるか、その容積(ようせき)のおおきさがゆたかさの目安なのだ、と。7そう期待して、いつのまにか身のまわりを手に入れたものでいっぱいにしてしまう。くずかごが片すみ(かた  )に追いやられてわすれられるのも、むべなるかな(もっともなことの意)だ。そしてある日突然(とつぜん)とんでもないことに気づいて、びっくりする。8そうやって手に入れたものが、日々に欠かせぬ必要なものどころか、そのおおくはどういうわけかすでに、ただのすてるにすてられないものばかりになってしまっている。
 9そのときになってはじめて日々のくらしの姿勢(しせい)をつくるのは、何を手に入れるかではなくて、ほんとうは何を手に入れないかなのだということに、わたしたちは気づくのかもしれない。くらしにめりはりをつけるのは、何が必要かではない。0何が不必要なのかと
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いう発見なのだ。あらためて身のまわりを見わたしてみて、何をすてるか、すてられるか、すてなければならないかに思いいたって、あまりもの不必要なものにとりかこまれた日常(にちじょう)の景色に、ほとんど呆然と(ぼうぜん )してしまう。そして、ようやく部屋の片すみ(かた  )に置きわすれられたままのみすぼらしいくずかごに目をとめて、どれほどこの日々に欠かせぬ仲間のことをないがしろにしてきたことか、いまさらのように思い知るのだ。
 日々のくらし方、ひとの住まい方ということをいうとき、まずかんがえるのは、くずかごのことだ。くずかごはおおきなくずかごがいい。くずかごのおおきさはそのひとのこころのおおきさに正比例(せいひれい)すると、勝手にそう決めている。部屋におおきなくずかごを一つ、こころのひろい友人として置くだけで、何かが変わってくる。くらしの姿勢(しせい)が、きっとしゃんとしてくる。

(長田弘(ひろし)の文より)
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a 長文 4.4週 na
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 いったい、ジャングルの破壊(はかい)は何が原因(げんいん)なのでしょうか。
 こうした地球的規模(きぼ)の問題には、次にあげるふたつの大きな、根本的な原因(げんいん)があると思います。ひとつは、ジャングルがある国はいずれも発展(はってん)途上(とじょう)国であり、貧しい(まず  )こと。もうひとつは、先進国のむだの多いライフスタイル(暮らし(く  )方)です。
 まず発展(はってん)途上(とじょう)国の場合は、人口増加(ぞうか)にともなって、ジャングルを大規模(きぼ)に切り開いて農地にしたり、都市の人々を移住(いじゅう)させたりしています。また薪(たきぎ)木の消費量が多くなり、森がどんどんへっているため、女性(じょせい)は何時間もかけて遠くの森まで薪(たきぎ)木を拾いに行かなくてはならないような状況(じょうきょう)も生じています。薪(たきぎ)木が手にはいりにくくなったからといって、燃料(ねんりょう)をガスや電気にかえることもできません。こうした結果が、ジャングルの破壊(はかい)につながっているケースもあります。
 また発展(はってん)途上(とじょう)国にとっては、ジャングルの木々が重要な資金(しきん)源(げん)でもあります。ジャングルは自然がつくったものですから、新たに何かをつくり出す必要がなく、切って輸出(ゆしゅつ)すればお金になります。マレーシア、インドネシア、フィリピンなど、ジャングルの破壊(はかい)が大きな問題になっている国では、いずれも木材の輸出(ゆしゅつ)が国の経済(けいざい)の柱となっています。
 しかし発展(はってん)途上(とじょう)国の経済(けいざい)を支える(ささ  )熱帯の木材も、価格(かかく)は今、戦後最低です。結局、今の世界全体の経済(けいざい)構造(こうぞう)そのものが、豊か(ゆた )な先進国が動かしているような感じですから、いつも買いたたかれてしまうんです。安いから、いくら切って売っても、たいしてお金にはならなくなってしまっています。
 ただでさえ苦しい国の経済(けいざい)状況(じょうきょう)に加えて、外国からの借金も返さなくてはなりません。そのためには、ジャングルを伐採(ばっさい)するのもいたしかたない、伐採(ばっさい)をやめるわけにはいかないという事情(じじょう)があるのです。
 そのいっぽう、豊か(ゆた )な先進国では使い捨て(つか す )のものがふえるなど、
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むだの多い暮らし(く  )方が広まっています。これも、ジャングルを減少(げんしょう)させているのです。
 たとえば、ファストフードの代表格(かく)であるハンバーガー。とくに欧米(おうべい)のハンバーガーをつくるための安い牛肉は、中南米産がほとんどです。中南米のジャングルは、この肉牛用の大規模(きぼ)な牧場建設(けんせつ)のために、半分以上がなくなってしまったのです。
 豊か(ゆた )な先進国では、ハンバーガーを食べなくても、他に栄養源(げん)はいくらでもあります。木材にしても、なにも熱帯の木でなくてもかまわないでしょう。つまり、先進国の人々には選択(せんたく)の余地(よち)がいくらでもあり、その暮らし(く  )方を少し変えさえすれば、ジャングルの減少(げんしょう)や破壊(はかい)をくいとめられます。
 焼畑農業にしてもそうですが、これまでジャングルの伐採(ばっさい)に関する主だった研究は、先進国の人間によって行われてきました。出版(しゅっぱん)された本も、先進国の立場から見たものが多かったのです。
 過去(かこ)にこんな例がありました。先進国によってジャングルに木を植えるという試みが行われたのですが、木は育ったものの、ジャングルに住む人々にとっては、ちっとも役に立たなかったのです。
 植えられた木はやせ地でも、比較的(ひかくてき)育ちやすく、生長の早いユーカリやアカシアなどでした。これらの木は、二年もたてば五メートルくらいになるのです。ところが早く、大きく育つのは結構(けっこう)なのですが、これらの木が他の木に必要な養分も全部奪っ(うば )てしまいます。ですからそこは、ユーカリやアカシアだけの森となり、もとのジャングルとは似(に)ても似つか(に  )ぬ姿(すがた)になってしまうのです。そんな森には、動物や鳥もすみつかなくなるでしょうし、そうなったら、人々はその森から食べ物はおろか、肥料(ひりょう)も飼料(しりょう)も得られなくなってしまいます。
 この例からもわかるように、「科学」や「技術(ぎじゅつ)」、「開発」とはなにか、だれのためのものか、あらためて考え直してみることが必要だと思います。

(生きている森編集(へんしゅう)委員会編(へん)「未来の森 森があぶない」)
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長文 4.4週 naのつづき
 1電車や飛行機の中で、乗務(じょうむ)員に対して理由もなく横柄(おうへい)な人がいる。こっけいだ。乗せてもらわなくては困る(こま )くせに、何をいばっているのだろう。旧(きゅう)国鉄の内部には「乗せてやる」という言い回しがあったそうで、それもひどい勘違い(かんちが )だと思うけれど。
 2「いや、お客は偉い(えら )。買う時は、だれもが王様になる」という考え方もあるだろう。しかし、それだと無用のストレスが社会に広がりそうで、賛同(さんどう)しかねる。王様やお姫様( ひめさま)の気分にしてあげることを目的とした一部のサービス業を例外として。
 3子供(こども)のころ、駄菓子(だがし)屋でキャラメルを買う時や、食堂で親が精算(せいさん)をしている時、「買ってやったぞ」とお客様面をしていた。高度経済(けいざい)成長期に育ったので、小学生でもいっぱしの消費者として扱わ(あつか )れた結果と言える。4そんな私(わたし)が現在(げんざい)のように「転向」したのは、自分が社会に出て接客(せっきゃく)の現場(げんば)にいたせいだろうが、それに先立つ経験(けいけん)もある。
 中学生になるかならずかという夏休み。両親の郷里(きょうり)である高松で過ごし(す  )、源平(げんぺい)合戦で有名な屋島に遊びに行った。5三つ年下の弟と二人だったように思う。平日のことで山上に人は少なかった。蝉しぐれ(せみ   )の遊歩道を散策(さんさく)した私(わたし)は、ある光景に出くわす。
 休憩(きゅうけい)所の店先に帽子(ぼうし)をかぶったおじさんが立ち、中をのぞいていた。五十代ぐらいの人だったのではないか。6連れはいなかった。うどんでも食べて店を出ようとしていたらしい。おじさんは財布(さいふ)を片手(かたて)に、店の奥(おく)に向かって言った。「ごちそうさまぁ」
 意外な言葉だった。代金を払お(はら )うとしているのに店員の姿(すがた)が見当たらない場合、とりあえず「すみませーん」と呼びかける(よ    )ものだと思っていた。7いや、それしか思いつかなかった。なのに、このおじさんは無料でもてなされたかのように「ごちそうさま」と言う。一瞬(いっしゅん)だけ違和感(いわかん)を覚えた後、私(わたし)の内に変化が起きた。
 自分のために料理を作ってくれたのだから、お客として代価(だいか)を支払う(しはら )としても「ごちそうさま」と言うのが礼儀(れいぎ)にかなっている。
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8考えたこともなかったけれど、それはそうだと納得(なっとく)し、お客は偉い(えら )わけではない、と知ったのだ。
 後日、食堂だかレストランだかで食事をして店を出る時に、私(わたし)は小声でぎこちなく「ごちそうさま」と言ってみた。9すると、照れくさい気もしたが、それだけのことで一歩大人に近づいたように感じた。以来、店側に不始末がないかぎり「ごちそうさま」を言い添え(そ )ている。
 屋島で見た何でもないひとコマが、私(わたし)を少しだけ変えた。あのおじさんには、今も感謝(かんしゃ)している。0先方は、すれ違っ(  ちが )ただけの少年に何事かを教えたとはゆめゆめ思っていないだろうが、大人の言動が子供(こども)にあたえる影響(えいきょう)は、かほど大きいのだ。平素(へいそ)から心しておかなくてはならない。
 書店員をしていて、いろんな人と遭遇(そうぐう)した。ブックカバーをつけただけで「どうもありがとう」と言ってくれる人ばかりではない。ささいな行き違い(い ちが )で激昂(げきこう)し、アルバイトの大学生に「おれは客やぞ。社長に電話したろか!」と金切り声でさけぶ小学生をなだめたこともある。根性(こんじょう)の曲がったガキだな、と思いつつ、君はろくな大人と会ったことないんだね、とかわいそうになった。

(有栖川(ありすがわ)有栖()「お客は偉く(えら )ない」『二〇〇七年七月二十九日 日経新聞(にっけいしんぶん)文化面コラム』)
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a 長文 5.1週 na
 1僕(ぼく)の机(つくえ)は、兄からもらったものだ。しっかりした作りで茶色く光っている。よく見ると、何かのシールをはってはがした跡(あと)がある。
 ぼくがそれまで使っていた机(つくえ)は、小さくて、机(つくえ)の上に資料(しりょう)を並べ(なら )きれないことがよくあった。2すると、それを見ていた母が、「お兄ちゃんの机(つくえ)と交換(こうかん)したら」と言ってくれた。兄は、近所にいる人が遠くの学校に行くようになったので、その机(つくえ)をもらうようになったらしい。
 こうして、僕(ぼく)は、兄の大きい机(つくえ)を使うことになった。3大変だったのは、これまでの机(つくえ)の引き出しの中にある細々としたものを移す(うつ )作業だった。引き出しの中身を出してみると、いろいろ懐かしい(なつ   )ものが出てきた。いちばんの収穫(しゅうかく)は、なくしたとばかり思っていたキラカードが出てきたことだ。4これは、小学校二年生のころに熱中したもので、もう今では遊ばないが、ぼくにとっては大切な宝物(たからもの)だった。中身を移し(うつ )たこれまでの机(つくえ)は、もう古くなっていたので、粗大(そだい)ゴミに出すことになった。
 その晩(ばん)、父が帰ってきて、ぼくの机(つくえ)を見て言った。
5「おお、お兄ちゃんの机(つくえ)にしたのか。今の子は、いいなあ。お父さんのころは、みんな、食卓(しょくたく)で勉強をしたんだぞ。」
 父が小学生のころ、食事のあとのテーブルで学校の宿題の作文を清書していたらしい。6最後の一枚(まい)を仕上げて、「やっとできた。万歳(ばんざい)」と手を上げたときに、近くの醤油(しょうゆ)を作文の上にこぼしてしまった。それを見た祖母(そぼ)が、「一度はきれいに書いたんだから、いいんじゃない」と言ってくれたので、父は醤油(しょうゆ)を拭い(ふ )てそのまま提出(ていしゅつ)することにした。7翌日(よくじつ)、担任(たんにん)の先生はその作文を見ると、「これは味のある作文だ」と言って大笑いしたらしい。ぼくは、その話を聞いて、何だか昔ののどかな映画(えいが)を見ているような気がした。
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 数日後、粗大(そだい)ゴミとなった昔の机(つくえ)の回収(かいしゅう)日が来た。8朝早く、ぼくと母は、机(つくえ)を指定の場所に運んだ。中身が空っぽになった机(つくえ)は、仕事をすっかり終えたおじいさんのようだった。ぼくが学校に行くときも、机(つくえ)はまだそのままだった。
 その日の授業(じゅぎょう)を終えて家に戻る(もど )とき、朝、机(つくえ)を置いた場所を見ると、そこにはもう何もなかった。9そのとき、僕(ぼく)は、その机(つくえ)は僕(ぼく)の友達だったのだなあと分かった。
 家に入ると、兄からもらった新しい茶色の机(つくえ)があった。それを見ていると、昔の机(つくえ)が遠くからこう語りかけてくるようだった。0
「これまで長い間、ありがとう。僕(ぼく)の仕事は新しい机(つくえ)君に引き継い(ひ つ )だから大丈夫(だいじょうぶ)。」
 ぼくは、うんとうなずくと、新しい机(つくえ)の上に静かにカバンを置いた。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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a 長文 5.2週 na
 1さて、人間を科学的に知ろうとすると、えてして人間を、機械のように考えようとする傾向(けいこう)があります。心臓(しんぞう)はポンプで、眼(め)はカメラで、脳(のう)はコンピューターのようなもの、と考えたりします。テレビのSF作品にも、よく登場する機械のような人間や、人間のような機械がそれです。
 2人体を機械と同じように、心臓(しんぞう)や胃などの部分品が集まってできているものと考える考え方では、胃がおかしいときには胃という部分品が故障(こしょう)したと考えます。そうして、胃を修繕(しゅうぜん)しさえすれば、病気が治ったと考えることになります。
 3また、脳(のう)とコンピューターを同じに考える人には、いまのコンピューターは脳(のう)の代わりを完全につとめることはできないまでも、ある面では脳(のう)よりもすぐれているようにみえます。そうして、いつの間にか、コンピューターと同じようにはたらく脳(のう)をすぐれた脳(のう)と思うようになります。4速く正確(せいかく)に計算ができたり、なんでもそのまま記憶(きおく)できたりすることが、アタマがよくなることだと考えている人も少なくないでしょう。
 しかし、人間は機械と同じなのでしょうか。人間は複雑(ふくざつ)な機械にすぎないのでしょうか。5もちろん、人間には機械に似(に)たところもあります。そこで、人間のことを機械を研究するように研究するのも無意味ではないのですが、しかし、そこでわかることは人間の一面だけなのです。それを暗示(あんじ)する例を一つ紹介(しょうかい)しましょう。
 6アメリカでは、一九七七年の建国二〇〇年を記念するつもりでその何年も前から火星へのロケット着陸とガン制圧(せいあつ)という二つの大きな研究目標をたてました。このときまでに科学者が力を合わせて大規模(きぼ)な研究をした結果、すでに人工衛星(えいせい)をつくることができたし、月旅行も成功していました。7従って(したが  )、この二つの大きな研究目標も同じように達成できるという自信があったのでしょう。ところが月旅行の技術(ぎじゅつ)を進歩させた火星ロケットは成功しましたが、一方のガンの治療(ちりょう)の方はあきらめざるをえませんでした。8つまり、機械をつくる科学は急速に進歩していますが、そういう科学では生物や人間のことは必ずしもわからないのです。機械と人間は同じで
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はないからです。
 それでは、どこが違う(ちが )のでしょう。それは、人間は、いつも生きるために行動するということが違う(ちが )のです。9機械は生きていませんから、生きるために行動するということはありません。「なんだ、そんなことか」と君は思うかもしれません。しかし、問題はそれからです。つまり、この話は、生きるとはどういうことかがわからないと、ほんとうの意味はわかりません。0
(中略(ちゅうりゃく))
 さらに、まだ違う(ちが )点があります。機械ならば、いつも同じように動いている方がいい機械だということになります。進んだり後れたりする時計や、ときに動かないこともある自動車などというものは故障(こしょう)している機械です。しかし、人間はいつも同じことをしてはおりません。人間は、ただ動いていればいいというものではないのです。
 たとえば、君は毎日同じように学校に通っていますが、一日一日の生活は、けっして同じではありません。勉強や友達の話から新しいことを一つでも知れば、それだけ君の生活も変わります。とにかく、君が生まれたときには、ときどき泣いたりお乳(ちち)を飲んだりするだけで、あとはほとんど眠り(ねむ )つづけているという赤ちゃんでした。
 その君が、いまはこの本を読むようになるまで、毎日少しずつ変わってきているのです。
 このように、変わってゆくのが人間ですが、それは、ただ変わるのではなくて、進歩し、高等になってゆくのです。機械は使ってゆくうちにむしろ性能(せいのう)が落ちてゆくのですから、人間とはまるで反対です。つまり、人間はただ死なないように行動しているというのではなく、進歩発展(はってん)するという点で機械と違う(ちが )のです。生きるとはそういうことなのです。
 念のために書いておきますが、これは、人間は進歩発展(はってん)しなければならない、といっているのではなく、人間は進歩発展(はってん)するようにつくられている、ということなのです。いやでも、そうなるようになっている、ということです。

(千葉康則(やすのり)「脳(のう)のはたらき」より)
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a 長文 5.3週 na
 1モグラは食虫類に属し(ぞく )、からだのしくみは原始的です。歯も特に発達したものではありません。
 昔の人は、畑の作物の根をかじる悪獣(じゅう)と思って殺しましたが、それはぬれぎぬ。真犯人(しんはんにん)は、かじるのがしょうばいのノネズミであって、モグラの貧弱(ひんじゃく)な歯では、堅い(かた )植物の根などかじれるものではありません。2しかし、柔らかい(やわ   )虫を捕え(とら )て食べることはできるのです。
 モグラは、ミミズ食いしょうばいです。だから、食事をするには土を掘り(ほ )、トンネルを掘ら(ほ )ねばなりません。でも、トンネル掘り(ほ )は重労働で、とてもお腹( なか)がすきます。3だから、ミミズを食べなければなりません。それには、トンネルを掘ら(ほ )ねばならず、とてもお腹( なか)がすいて……。だからモグラは一日に五〇匹(ひき)もミミズを食べ、一日なにも食べないと死んでしまいます。4そんなことを知らないで昔の人は、モグラを捕らえ(と  )てかごに入れておくと一日で死んでしまうものですから、「日光に当たると死ぬ」のだ、と誤解(ごかい)したのです。
 そんな苦労があっても、土の中にはモグラ以外のミミズ食いの競争相手も、モグラ食いの動物も、まあいないので、モグラは「気らく」に生きていくことができます。5これが、地上で虫を食う生活だと、すばしこい鳥たちみたいな競争相手や、イタチみたいな小動物食いしょうばいのけものなどがいっぱいいて、原始的なからだのモグラはとてもやっていけないでしょう。
 6このようなモグラの、きわめてモグラ的な生活を支え(ささ )、まるでモグラのシンボルみたいにみえるのが、モグラの前あしです。それはシャベルそっくりで、じつに巧み(たく )に、すばやくトンネルを掘る(ほ )ことができます。7掘っ(ほ )て掘っ(ほ )て掘り(ほ )まくり、ミミズを食べて食べて食べまくるモグラの生活を可能(かのう)にしているのが、モグラの「シャベル」なのです。
 モグラのからだは、ほかの食虫類と同じように、原始的なのですが、前あしだけ特別に発達しているのです。
 8哺乳類(ほにゅうるい)のそれぞれの種のからだには、その種の生活の実体を象徴(しょうちょう)的に現し(あらわ )ているしくみがそなわっています。ライオンの牙(きば)はけもの食いしょうばいのシンボルです。キリンの長い首はいかなる
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猛獣(もうじゅう)をも先にみつけてしまいます。9ゾウの長い鼻は、巨大(きょだい)なからだを移動(いどう)させるために支出(ししゅつ)するエネルギーを最小に抑え(おさ )て、大量の木の葉を一網打尽(いちもうだじん)に食べることを可能(かのう)にしています。
 では、人間のからだにそなわった、人間の生活を象徴(しょうちょう)するものはなにでしょうか。それは、手です。0
 はるか昔、人間の祖先(そせん)は直立二足歩行をかちとることによって、前あしを手に転化することができました。手は、木片(もくへん)や動物の骨(ほね)や石や、つまり自然のものに働きかけてそれを意図的につくりかえ、さまざまな道具をつくり出すことができました。
 モグラの前あしは、ちょっと見たところでは、人の手に似(に)ているようにみえるかもしれません。しかし、それは、トンネル掘り(ほ )一本槍(いっぽんやり)で、ほかのことはしません。もし、モグラの前あしがほかのことをすれば、それはモグラであることをやめることを意味し、滅び(ほろ )てしまいます。
 人間の手は、そうではありません。手は、それがつくられたはじめから、いろいろな目的に対応(たいおう)した、多様な道具をつくりだしたのです。
(中略(ちゅうりゃく))
 ライオンの牙(きば)はどんなに鋭く(するど )ても、それはライオンの遺伝子(いでんし)によって伝えられたものであって、ライオンの意志(いし)で作ったものではありません。モグラのすばらしい「シャベル」も、当のモグラにとっては「知っちゃいない」のです。
 それにたいして、人間の祖先(そせん)が作った道具は、それがかりにきわめて単純(たんじゅん)なものであっても、やはり、人間が意図的に、人間の意志(いし)によって作ったものです。

 (中原正木「人は足から人間になった」)
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a 長文 5.4週 na
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 南博人(ひろと)は従順(じゅうじゅん)な子であり、いたずらっ子でもあった。先生に反抗(はんこう)らしい態度(たいど)に出たことは一度もなかった。しかし彼(かれ)は、そのとき、先生が言った最後の言葉に疑問(ぎもん)を持った。ひとりで山へ入ったならば、自力で頂上(ちょうじょう)へ出ることは困難(こんなん)であるということに嘘(うそ)を感じた。札幌(さっぽろ)の郊外(こうがい)にある藻岩山(もいわやま)は、彼(かれ)が生まれた時から馴れ(な )た山だった。道をそれても、上へ上へと登っていけばやがては頂上(ちょうじょう)へ出られる筈(はず)である。それは小学校五年生の理屈(りくつ)であった。
「おい、南どうした」
 列が動き出しても頂上(ちょうじょう)の方も見詰め(みつ )たまま突()立っている南に不審(ふしん)をいだいて隣(となり)の少年が話しかけた。
「おれは、山の中へ入る。先生に言うなよ、言ったら、げんこつくれてやるぞ」
 南の受持ちの先生のあだなはげんこつ先生である。悪いことをすると、げんこつをくれるからである。南はげんこつ先生の真似(まね)をして、隣(となり)の少年をげんこつでおどかしてやぶの中へ飛びこんだ。やぶの中を頂上(ちょうじょう)まで登る気はなかった。道をそれたら、頂上(ちょうじょう)へ出られないという先生のことばが、ほんとうか嘘(うそ)かたしかめたかったし、同時に彼(かれ)は山の中がどんな構造(こうぞう)になっているかも知りたかった。彼(かれ)はクラスで走るのは一番速かったから、五分や十分の道草を食っていても、直ぐ追いつける自信があった。それにげんこつを見せた以上、誰(だれ)かが先生に告げ口をするということはまず考えられなかった。彼(かれ)は餓鬼大将(がきだいしょう)だった。
 彼(かれ)はやぶへ入った。木が密生(みっせい)している間をかいくぐっていくと、木の芽の強い芳香(ほうこう)が彼(かれ)の鼻をくすぐった。彼(かれ)は幾度(いくど)かくしゃみをした。くしゃみが誰か(だれ )に聞えはしないかと、耳を済ませ(す  )たが、もう少年たちの足音は聞えなかった。
 彼(かれ)はにっこり笑った。たいへん面白い考えが浮かん(う  )だからである。少年たちは六十名いた。彼等(かれら)が先生に引率(いんそつ)されて頂上(ちょうじょう)に達するまでに、先廻り(まわ )をして頂上(ちょうじょう)に行ってやろうという野望を起した
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のである。先廻り(まわ )をした罪(つみ)で、げんこつ先生に一つぐらいげんこつを頂だい(ちょう  )してもかまわないと思った。
 彼(かれ)は森の中を頂上(ちょうじょう)目がけて登り出したが、道のないところを登ることがいかに困難(こんなん)であるかを知ると、彼(かれ)自身のやっていることが、かなり冒険(ぼうけん)であることに気がついた。
 彼(かれ)はもと来た道へ引き返そうとして、そっちの方へ移動(いどう)したが、道らしいものはなく、いよいよ樹木(じゅもく)の深みにはまりこんでいった。彼(かれ)はひどくあわてた。彼(かれ)は幾度(いくど)か叫ぼ(さけ )うとしたが、声は咽喉(いんこう)で止った。彼(かれ)は眼(め)に泪(なみだ)をためた。先生のいうとおりだとすれば、さっき彼(かれ)がたてた理屈(りくつ)がおかしくなる。頂上(ちょうじょう)は一つだ、登っていけば必ず頂上(ちょうじょう)に行き当る筈(はず)だ。
 彼(かれ)は気を取り直した。道を探す(さが )ことはやめて、一途(いちず)に頂上(ちょうじょう)を目ざして直登(ちょくと)していった。必ず頂上(ちょうじょう)があると思いこんでいれば、道に迷っ(まよ )たことも、朋輩(ほうばい)たちと別れたことも、先生に叱ら(しか )れることも、少しも怖く(こわ )はなかった。
 高い方高い方へ登っていくと、少しずつ明るさが増し(ま )て来ることが彼(かれ)にとって希望だった。明るさが増し(ま )て来ることは、頂上(ちょうじょう)に近づいていることだとは分らなかった。やがて彼(かれ)は道とも踏み(ふ )跡(あと)ともつかないものに行き当った。そこを登っていくと、ややはっきりした山道に出会い、そこから頂上(ちょうじょう)までは楽な登りだった。
 げんこつ先生は真青な顔をして待っていた。

(新田次郎(じろう)「神々の岸壁(がんぺき)」)
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長文 5.4週 naのつづき
 1樹木(じゅもく)は生命の危険(きけん)を感じると早く子孫を残さなければと多くの種子をつける。実際(じっさい)、柿(かき)の実やどんぐりが豊作(ほうさく)になるようにと子どものころ木の幹(みき)を思いっきり蹴飛ばし(けと  )た経験(けいけん)がある。
 戦後せっせと植えたスギも、林業が儲から(もう  )なくなって手入れがされなくなった。2とくに間伐(かんばつ)がされていないスギ林は、スギ同士の過酷(かこく)な生存(せいぞん)競争でひょろひょろな木となり、ストレスが大きくなっている。こんな環境(かんきょう)によって、スギの木も生命の危険(きけん)を感じ、種子をたくさん残そうと雄花(おばな)をたくさん付け、花粉を大量に撒き(ま )散らしているということなのではないだろうか。
 3九州の熊本(くまもと)から九州自動車道を南下すると、八代インターチェンジを過ぎ(す )てから道路は山間に分け入っていく。多くのトンネルと急カーブが続き、全長約六キロメートルの肥後(ひご)トンネルを抜ける(ぬ  )と、九州で有数の林業地である人吉盆地(ひとよしぼんち)に入る。4道路の両側は急峻(きゅうしゅん)な山地が空を狭め(せば )、森林が天に伸び(の )ている。しかし、近年、その風景に変化が現れ(あらわ )ている。何気なく通る多くの人たちは気付くことはないのかもしれないが、職業(しょくぎょう)柄(がら)、私(わたし)にはどうしても気になってしまう。5それは、至る(いた )ところでかなりの面積にわたり森林が伐採(ばっさい)されていることだ。戦後、せっせと先人たちが植林したスギの林がようやく伐採(ばっさい)できるまでになって、利用されるようになったという意味では好ましい現象(げんしょう)だが、問題なのは、伐採(ばっさい)された箇所(かしょ)に植林された形跡(けいせき)がないことだ。
 6私(わたし)たち、森林・林業にかかわるものからすれば、「伐(き)ったら植える」が常識(じょうしき)である。しかし、今やこのような常識(じょうしき)が常識(じょうしき)でなくなってきている。それどころか、これら植林放棄(ほうき)地の状況(じょうきょう)をみると、森林所有者が森林を土地ごと手放すケースが増え(ふ )ている。7これは、森林を買う木材生産業者が、木材価格(かかく)の下落に伴い(ともな )、採算(さいさん)性(せい)を維持(いじ)するためにより大きな面積の森林を買い入れようとする意
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向があり、これが森林所有者の森林を所有することへの負担(ふたん)感と相まって、土地ごとの売却(ばいきゃく)を後押し(あとお )しているようだ。
 8日本の文化は森と木の文化であるといわれる。
 森林に恵まれ(めぐ  )た国土で、その資源(しげん)を巧み(たく )に利用してきたというのは当たり前だが、とくに日本では、森林を形づくる樹木(じゅもく)の種類が豊富(ほうふ)であることから、樹(じゅ)種の違い(ちが )による木材の性質(せいしつ)も様々であり、その違い(ちが )を上手に使い分けてきた。9住まいや身の回りの道具に至る(いた )まで、こんなものにはどの木を使うという知恵(ちえ)は、すべての人がもっていた。お櫃( ひつ)にコウヤマキ、まな板にイチョウ、つまようじにはクロモジ、下駄(げた)やたんすはキリ、家の土台はクリなどだ。0
 また、木材を無駄(むだ)なく使うということにも意を用いてきた。まさに、日本人は木とともに生き、木によって生活を維持(いじ)し、木の上手な使い方をあみ出してきた民族である。
 しかし、ここ数十年、木の文化は急速に失われつつある。安価(あんか)で均質(きんしつ)に大量生産できる石油化学製品(せいひん)などの代替(だいたい)品が私(わたし)たちの日常(にちじょう)に氾濫(はんらん)するようになったからだ。木材にしても、外国からやってくるものが八割(わり)以上を占める(し  )ようになっている。このままでは、日本の木の文化は、文化財(ぶんかざい)や美術(びじゅつ)品などの特殊(とくしゅ)な伝統(でんとう)文化に残されるだけになるのかもしれない。
 こうなると、国内の木材はますます使われず、価格(かかく)も下落していくだろう。結果、国内の森林を守ってきた林業も立ち行かなくなる。そして、間伐(かんばつ)などの手入れもされず森林の放棄(ほうき)が拡大(かくだい)していくことになる。
 私(わたし)たちにとってなくてはならない森林が、今、危機(きき)に瀕(ひん)している。

(矢部三雄(みつお)『恵み(めぐ )の森 癒し(いや )の木』(講談社(こうだんしゃ)+α新書)より)
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a 長文 6.1週 na
長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。
1「先生、その話は前に聞きました!」
 僕(ぼく)が通う個人(こじん)塾(じゅく)の先生は、祖父(そふ)と同じぐらいの年のおじいちゃんだ。それもそのはずで、僕(ぼく)の母が子供(こども)のころ、勉強を習っていたというくらい昔から先生をしているのである。2頭ははげていて、やせているが、背すじ(せ  )はいつもピンと伸び(の )ている。声も大きくて、授業(じゅぎょう)はとてもわかりやすい。
 ただし、先生の話はときどき脱線(だっせん)する。特に、好きな時代劇(げき)の話となると、前にも聞いた内容(ないよう)を何回でも繰り返す(く かえ )。3授業(じゅぎょう)時間がつぶれると喜ぶ人もいるが、テストの直前でもそれをやるので、そのときにはみんな焦っ(あせ )てしまう。
 そんな先生の話の中でも、とくに強烈(きょうれつ)だったのが「海底戦車」だ。地理か歴史の授業(じゅぎょう)のときに聞いた話だった。4冷戦時代に、ソ連が作った「海の中を走れる戦車」が、オホーツク海を渡っ(わた )てはるばる日本まで偵察(ていさつ)に来ていたのだという。当時の雑誌(ざっし)に、くっきりと車輪のあとがついた海底の写真が載っ(の )ていたそうだ。まるで、今で言う「都市伝説」のような話である。
 5母に聞いた話によると、先生は、昔はとても怖かっ(こわ  )たそうだ。母もひどく叱ら(しか )れて、泣きたくなったことがあったと言う。それは「海底戦車」以上に、僕(ぼく)にとって信じられないことだった。今の先生は優しく(やさ  )て、叱ら(しか )れたことなど一度もない。
 6次の日、僕(ぼく)は先生に「うちのお母さんが、泣きたくなるほど怖かっ(こわ  )たって言ってたけど本当ですか」と、みんなの前で聞いてみた。すると、先生が突然(とつぜん)僕(ぼく)をにらみつけ、低い声で、
「こんな風に泣かせてたんだぞ。どうだ怖い(こわ )か。」
と凄ん(すご )だ。7そのあまりの迫力(はくりょく)に、僕(ぼく)ばかりか周りにいた友人たちも一瞬(いっしゅん)、凍りつい(こお   )たかのように息を飲んだ。
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 僕たち(ぼく  )がおびえているのに気づき、先生はすぐにいつもの雰囲気(ふんいき)に戻っ(もど )て、「こういうのは疲れる(つか  )から、怒ら(おこ )せないでくれよ」と笑った。8軽い冗談(じょうだん)のつもりだったのだろうが、僕たち(ぼく  )がその言葉に従お(したが )うと思ったことは言うまでもない。悪いことはしませんと、先生に宣誓(せんせい)したのだ。
 僕(ぼく)は大人になったら、性格(せいかく)はずっと変わらないものだと思っていた。しかし先生のような人でも、昔と今でそんなにも違う(ちが )。9人間は変わっていくものなのだなあとしみじみと分かった。
 今は僕(ぼく)に小言を言う母も、子供(こども)のころは先生に泣かされていた。もし、母がおばあさんになったら、今度はもっと変わるのかもしれない。そのとき、僕(ぼく)自身はどうなっているのか、ちょっと楽しみだ。0

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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長文 6.1週 naのつづき
 1芙蓉(ふよう)の花のめしべとおしべの位置関係は自花受粉をさけ他花受粉を求める形だったわけです。2もっとも、めしべとおしべの間がはなれているとは言っても、わずかのへだたりであり、こん虫が自花の花粉をめしべに運ぶこともあるでしょうから、自花受粉をさけるための確率(かくりつ)はあまり高くありません。
 3しかし、もっと効果(こうか)的に自花受粉をさけ、他花受粉の機会をふやすための特殊(とくしゅ)な方法を持っている両性(りょうせい)花もあるのです。
 特殊(とくしゅ)な方法とは、めしべとおしべの成熟(せいじゅく)する時期をずらしていることです。4これは、雌雄(しゆう)異(い)熟(じゅく)と呼ば(よ )れている現象(げんしょう)で、めしべが先に熟し(じゅく )花粉を受精(じゅせい)できる状態(じょうたい)になっているのに、自花のおしべは熟し(じゅく )ていない(花粉を出さない)――こういう仕組みのものを雌性先熟(しせいせんじゅく)といい、逆(ぎゃく)の場合を雄性先熟(ゆうせいせんじゅく)と言います。5どちらもかなり高い確率(かくりつ)で自花受粉をさけることができますが、この確率(かくりつ)をもっと高めるために、もう一つ変わった方法を駆使(くし)する両性(りょうせい)花もあります。
 6たとえば、タツノタムラソウという花の場合は、おしべが先に熟し(じゅく )て(雄(ゆう)性(せい)先熟(じゅく))、花粉を出している間、めしべは、おしべの先(やく=花粉を生ずる部分)からできるだけ遠ざかるように後方に反り返っています。7おしべが花粉を出しつくした頃(ころ)、めしべは真直ぐにのびます。雌雄(しゆう)異(い)熟(じゅく)が時間差法ならば、この場合は高級な空間差法でしょうか。
 8こうまでして花が自花受粉をさけるのは、すでに述べ(の )た通り、いい種子を得るためですが、一体、なぜ自花の花粉より他花の花粉を求めるのでしょうか。
 私(わたし)の仮定(かてい)ですが、生命というものは、自己(じこ)に同意し自己(じこ)との結合をくり返している末には多分、衰滅(すいめつ)してしまうものです。9そういう成りゆきを避ける(さ  )ために、生命はあえて異質(いしつ)の他者を生殖(せいしょく)過程(かてい)中に取りこむのではないか、花が他花受粉を求めるのも、異質(いしつ)な他者の因子(いんし)と結合することで自己(じこ)改造(かいぞう)を継続(けいぞく)してゆくのではあるまいか、そのように思うのです。0
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a 長文 6.2週 na
 1インドではほうぼうの町角で自転車の修理(しゅうり)屋を見かけた。間口一間くらいの、新品自転車など一つも置いていない、寄せ(よ )集めの中古部品ばかりごたごた重なっている小さな店である。2そこに持ちこまれるのも、いかにも実用品といった、さんざん使い古したしろものだ。そこでパンク直し、部品交換(こうかん)をし、また雑踏(ざっとう)の町中に走ってゆく。自転車はインドでは貴重(きちょう)品であり、日常(にちじょう)生活の重要な道具だから、そういう店はどこでもはやっていた。
 3私(わたし)は町中でそんな店を見かけると立止ってしばらく眺め(なが )、なんだかとても懐かしい(なつ   )気がした。自転車だってあのころは大変役立つ交通機関で、みな荷台の大きな黒い実用品であった。4私(わたし)の父はよくそのうしろにリヤカーをつけ、材木だのセメント袋(ぶくろ)などを仕事場に運んでいったものである。
 駅前広場には毎朝夥しい(おびただ  )数の自転車が乗りすてられていくが、大抵(たいてい)はサイクリング用で、あの黒くて荷台のついたやぼったいやつなど一台も見かけない。5子供(こども)たちは変速ギアのついたしゃれたのを平気で公園に置き去りにしていく。インドの子供(こども)らが見たら何と思うだろう。
 靴(くつ)でも自転車でもタクシーでもバスでも、インドでは実際(じっさい)徹底的(てっていてき)に修理(しゅうり)し再生(さいせい)して、とことんまで使いきるらしかった。6町中で新品にお目にかかるほうがめずらしかった。これは一言でいえば、日本が大量生産大量消費の工業国であり、インドが生産性(せい)に乏しい(とぼ  )貧しい(まず  )国だということなのだろうが、私(わたし)は、両方を見くらべてなんだか釈然と(しゃくぜん )しないのである。7どっちかが間違っ(まちが )ているように思えてならないのだ。
 限り(かぎ )ある地球上の資源(しげん)を、一方は富(とみ)にまかせて不必要に浪費(ろうひ)し、一方はどんなものでもとことんまで使い切ろうとする。8そういう点からばかりでなく、子供(こども)たちの教育、心の問題としても、現在(げんざい)の日本のような経済(けいざい)力にまかせた浪費(ろうひ)習慣(しゅうかん)は、よい影響(えいきょう)を与える(あた  )とは考えにくい。
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 9インドを一月ほど旅行しているあいだじゅう私(わたし)が考えさせられたのは、人間は一体生きるために本当に何を必要とするか、ということだった。快適(かいてき)な生活の追求はしばしば贅沢(ぜいたく)と域(いき)を接し(せっ )、人間に本来の生の姿(すがた)を忘れ(わす )させるのではあるまいか。ともかく現代(げんだい)日本人が傲(おご)っているのは確か(たし )なようである。0
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a 長文 6.3週 na
 1コオロギは「リーリー」と鳴くというけれど、「リーリー」と聞こえるのは人間の耳にそう聞こえるだけのことで、コオロギにはどう聞こえているのだろう、そんなことを小学生のころふと考えたことがあります。2人間の耳とコオロギの「耳」の構造(こうぞう)はまるでちがったものでしょうから、少なくともコオロギが人間が聞いているのと同じように「リーリー」という音を聞いているという保証(ほしょう)はありません。3そのように考えれば、同じ人間でも全く同じ耳はないのですから、私(わたし)たちは個人(こじん)個人(こじん)で、少しずつちがった音を聞いているのかもしれません。ヨーロッパの人の耳には、あの美しいコオロギの鳴き声も雑音(ざつおん)としてしか聞こえないという話もどこかで聞いたことがあります。4聴覚(ちょうかく)のしくみが日本人とヨーロッパ人ではちがうというのです。
 先日ラジオで、東京ではアオマツムシが木の上でうるさいほど鳴いていて、他の虫の声が聞こえないほどだ、このアオマツムシは明治時代に中国から渡っ(わた )てきた帰化昆虫(こんちゅう)で、どうも声がうるさすぎて味気ないというような話をしていました。5それを聞きながら、横浜(よこはま)に住んでいる私(わたし)は、どうしてその虫が横浜(よこはま)にはいないのだろうと不思議に思ったのですが、つい先ごろ、ぼんやりと庭に出て夕涼み(ゆうすず )をしている時、妙に(みょう )大きな声の虫が鳴いているのに気がつきました。6何もこの声は今年初めて聞くようなめずらしいものではなく、今まで毎年秋の初めに聞いてきた声で、私(わたし)は今までずっとそれをコオロギだと思ってきたのですが、ラジオの話を思い出して、ひょっとしたらこれがあのアオマツムシかもしれないぞと思ったのです。7そうなると、やもたてもたまらず確かめ(たし  )たくなって、懐中(かいちゅう)電灯を持って庭の木の葉の上を探し(さが )ました。そして一時間ほどの探索(たんさく)の末、私(わたし)は今まで見たこともない緑色の虫が、緑色の葉の上で大声で鳴いているのを発見したのでした。8それ以来、今まで少し声の大きなコオロギだなということぐらいしか考えず、むしろ秋を感じさせる虫の声として楽しく聞いていたその声が、急にうるさく感じられるようになってしまったのです。
 9私(わたし)たちは、実際(じっさい)の体験を通じていろいろな知識(ちしき)を身につけてゆくのだと、単純(たんじゅん)に考えています。コオロギの声を聞いて、コオロギという虫を知り、セミをつかまえて、セミという虫の形や色に
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ついて知るというように。0けれども、実際(じっさい)には、自分自身の直接的(ちょくせつてき)な体験を通して得られる知識(ちしき)は案外少ないのです。むしろ私(わたし)たちは、他人から知識(ちしき)を与え(あた )られることによって、自分の体験を幅(はば)の広いものにしていくといった方がよいでしょう。極端(きょくたん)な言い方をすれば、私(わたし)たちは、知っているものしか見えないし、聞こえないのです。
 サッカーのルールについて何も知らずに、サッカーの試合を見ても、おそらく何もおもしろくないでしょう。そればかりか、何でボールを手に持って走らないのだろうとか、何でゴールキーパーをみんなで押さえ(お  )てしまわないのだろうかとか考えてイライラするにちがいありません。手を使ってはいけないというルールがあるのだということを知っているからこそ、足で上手にボールをあやつる選手の姿(すがた)がすばらしいものに見えるのです。それを知らなければ、足だけで懸命(けんめい)にボールをけっている姿(すがた)はこっけいなものでしかありません。
 知識(ちしき)は現実(げんじつ)の見え方や感じ方を変えてしまう力を持っています。コオロギは日本に昔からいる虫だがアオマツムシは外国から渡っ(わた )てきた虫だという知識(ちしき)が、コオロギの声はきれいだが、アオマツムシの声はうるさくて耐えがたい(た    )というふうに感じさせてしまいます。逆に(ぎゃく )床(ゆか)に落ちたステーキをそのまま皿に乗せて出されても、そのことを知らなければ、私(わたし)たちは平気でそれを食べてしまうでしょう。「知らぬが仏(ほとけ)」というわけです。
 現実(げんじつ)の見え方や、それに対する感じ方を変えてしまうものは、知識(ちしき)だけではありません。習慣(しゅうかん)もその一つです。日本人とヨーロッパ人では聴覚(ちょうかく)のしくみがちがうという話も、考えようによっては、虫の声を楽しむという日本人の習慣(しゅうかん)が、日本人の耳を少しずつ変化させてきたのだとも言えるでしょう。
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a 長文 6.4週 na
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 ちょうど、その前の年、僕(ぼく)が六年生の晩秋(ばんしゅう)のことであった。
 中学へ入るための予習が、もう毎日つづいていた。暗くなって家へ帰ると、梶棒(かじぼう)をおろしたくるまが二台表にあり、玄関(げんかん)の上がり口に車夫(しゃふ)がキセルで煙草(たばこ)をのんでいた。
 この二、三日、母の容体(ようだい)が面白くないことは知っていたので、くつを脱ぎ(ぬ )ながら、僕(ぼく)は気になった。着物に着がえ顔を洗っ(あら )て、電気のついた茶の間へ行くと、食事のしたくのしてある食卓(しょくたく)のわきに、編み物(あ もの)をしながら、姉は僕(ぼく)を待っていた。僕(ぼく)はおやつをすぐにほおばりながら聞いた。
「ただ今。――お医者さん、きょうは二人?」
「ええ、昨夜からお悪いのよ」
 いつもおなかをへらして帰って来るので、姉はすぐにご飯をよそってくれた。
 父と三人で食卓(しょくたく)を囲むことは、そのころはほとんどなかった。ムシャムシャ食べ出した後に、姉もはしをとりながら、
「節ちゃん、お父さまがね」という。「あさっての遠足ね、この分だとやめてもらうかも知れないッて、そうおっしゃっていたよ」
 遠足というのは、六年生だけ一晩(ひとばん)泊まり(と  )で、修学旅行(しゅうがくりょこう)で日光へ行くことになっていたのだ。
「チェッ」僕(ぼく)は乱暴(らんぼう)にそういうと、ちゃわんを姉につき出した。
「節ちゃんには、ほんとにすまないけど、もしものことがあったら。――お母さんとてもお悪いのよ」
「知らない!」
 姉は涙ぐん(なみだ  )でいる様子であった。それもつらくて、それきりだまりつづけて夕飯をかきこんだ。(中略(ちゅうりゃく))
 生まれて初めて、級友と一泊(いっぱく)旅行に出るということが、少年にとってどんなにみりょくを持っているか! 級の誰彼(だれかれ)との約束や計画が、あざやかに浮かん(う  )でくる。両の眼(め)に涙(なみだ)がいっぱいあふれてきた。
 父の書斎(しょさい)のとびらがなかば開いたまま、廊下(ろうか)へ灯がもれている。(中略(ちゅうりゃく))
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 いつも父のすわる大ぶりないす。そして、ヒョイッと見ると、卓(たく)の上には、くるみを盛っ(も )た皿が置いてある。くるみの味なぞは、子供(こども)に縁(えん)のないものだ。イライラした気持ちであった。
 どすんと、そのいすへ身を投げこむと、僕(ぼく)はくるみを一つ取った。そして、冷たいナット・クラッカーへはさんで、片手(かたて)でハンドルを圧し(お )た。小さなてのひらへ、かろうじて納まっ(おさ  )たハンドルは、くるみの固いからの上をグリグリとこするだけで、手応え(てごた )はない。「どうしても割っ(わ )てやる」そんな気持ちで、僕(ぼく)はさらに右手の上を、左手で包み、ひざの上で全身の力をこめた。しかし、級の中でも小柄(こがら)で、きゃしゃな自分の力では、ビクともしない。(中略(ちゅうりゃく))
 左手の下でにぎりしめた右のてのひらの皮が、少しむけて、ヒリヒリする。僕(ぼく)はかんしゃくを起こして、ナット・クラッカーを卓(たく)の上へ放り出した。クラッカーはくるみの皿に激しく(はげ  )当たって、皿は割れ(わ )た。くるみが三つ四つ、卓(たく)からゆかへ落ちた。
 そうするつもりは、さらさらなかったのだ。ハッとして、いすを立った。
 僕(ぼく)は二階へかけ上がり、勉強机(つくえ)にもたれてひとりで泣いた。その晩(ばん)は、母の病室へも見舞い(みま )に行かずにしまった。
 しかし、幸いなことに、母の病気は翌日(よくじつ)から小康を得て、僕(ぼく)は日光へ遠足に行くことができた。
 ふすまをはらった宿屋の大広間に、ズラリとふとんをしきつらねたその夜は、実ににぎやかだった。果てしなくはしゃぐ、子供(こども)たちの上の電燈()は、八時ごろに消されたが、それでも、なかなかさわぎはしずまらなかった。
 いつまでも僕(ぼく)は寝つか(ね  )れず、東京の家のことが思われてならなかった。やすらかな友だちの寝息(ねいき)が耳につき、覆い(おお )をした母への電燈()が、まざまざと眼(め)に浮かん(う  )できたりした。僕(ぼく)は、ひそかに自分の性質(せいしつ)を反省した。この反省は、僕(ぼく)の生涯(しょうがい)で最初のものであった。

(永井(ながい)龍男(たつお)「胡桃(くるみ)割り(わ )」)
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長文 6.4週 naのつづき
 1大学だけでなく、各地の保育園(ほいくえん)や幼稚園(ようちえん)に講演(こうえん)に行く機会もかなりあって、参観に来た母親と子どもの様子をそれとなく観察してきました。極端(きょくたん)にことば数が少ないお子さんの場合、母親のタイプは二通りに分けられるのではないかと思います。
 2一つは、お母さん自身も無口で引っ込み思案(ひ こ じあん)、自己(じこ)主張(しゅちょう)が少なく、ウサギのようにほとんど声を出さないというケースです。おしめを換える(か  )にも、授乳(じゅにゅう)するにも、靴(くつ)をはかせるにも、すべて黙々と(もくもく )行っている。3気質(きしつ)の遺伝(いでん)などもあるでしょうが、子どもの側からすれば、どういう局面でどういうことばを用いるのか、模範(もはん)を示し(しめ )てもらうチャンスが少ないのですから、自分のことばが出てくるまでに、時間がかかるのは当然かもしれません。4ようするにこれは、マザリーズのところで述べ(の )た「くりかえし」の不足だと思います。
 もう一つは逆(ぎゃく)に、母親がひどくおしゃべりで、子どもの自発性(せい)を生かす「間」が不足している場合です。子どもは家で四六時中ことばのシャワーを浴びているはずなのに、なぜこんなに無口なのか。5ほんとにこれがあの母親の子なのかと、わが目わが耳を疑う(うたが )ことがあります。でも長い目で見ると、やはり、因果(いんが)関係の釣り合い(つ あ )が、ちゃんと保た(たも )れているのかもしれません。ふだんはほとんどおしゃべりしない子が、ある日突然(とつぜん)、母親のいないときにかぎって、堰(せき)を切ったように話しはじめる。6いったいこの子、どうなってるのと、まわりの人はびっくり。しばらくすると、ピタッとおさまって、何事もなかったかのようにまた無口な子どもにもどります。そういう子はえてして、大人になってからも、ふだんは寡黙(かもく)な、はにかみやと見なされている場合が多いようです。
 7母親との語らいが子どもの脳(のう)を活性(かっせい)化するという川島さんの実験データは、じつに興味深い(きょうみぶか )ものがあります。だとすれば、臨界(りんかい)期の中心に位置すると思われる大切な時期に、魔法使い(まほうつか )であるはずの母親が魔法(まほう)の力をふるうことを怠れ(おこた )ば、刷り込み(す こ )の力ははたらかないわけです。
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 8「三つ子の魂(たましい)百まで」ということは、三歳(さい)までに学んだことが、百年分に匹敵(ひってき)する決定的な影響(えいきょう)を与える(あた  )ということではないでしょうか。ですから、もし母親が一分間、赤ちゃんに話しかけるとすれば、単純(たんじゅん)計算だけでもその約三十三倍、つまり三十三分間話しかけただけの効果(こうか)を生みます。9十分間話しかければ、三百三十分、五時間以上話しかけただけの質的(しつてき)な影響(えいきょう)力をもつことになります。
 すでにマザリーズのところで述べ(の )たように、母親の話しかけには、くりかえしだけでなく「間」が大切ですが、間を生かすためには、母親の心がその場に居合わせる(いあ   )ことが肝心(かんじん)だと思います。0授乳(じゅにゅう)しながら赤ちゃんに優しく(やさ  )話しかければ、赤ちゃんは体の栄養分だけでなく、同時に「魂(たましい)の糧(かて)」も吸収(きゅうしゅう)しているわけです。もしその時、母親が片手間(かたてま)に新聞を読んでいたり、テレビの画面に夢中(むちゅう)だったり、赤ちゃんから気がそれていたりしたらどうでしょう。そこには気持ちのキャッチボール、つまり心と心の対話が欠如(けつじょ)しているのではないかと思います。赤ちゃんはおそらく、母親の気持ちが自分に、向けられていないことを感知し、心のどこかで欲求(よっきゅう)不満を覚えているにちがいありません。
 ことばと心は、深いところでしっかりつながっています。育児や、家事、職業(しょくぎょう)、趣味(しゅみ)などの明け暮れ(あ く )で、どんなに忙しい(いそが  )母親でも、子どもに接する(せっ  )ときは一期一会、目を見つめながら、心をこめて話しかけたいものです。

(川島隆太(りゅうた)・安達忠夫(ただお)「『脳(のう)と音読』「講談社(こうだんしゃ)現代新書(げんだいしんしょ)」所収(しょしゅう)による」)
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