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 われわれが歩いたり、走ったりする運動を考えてみましょう。足を前後に往復おうふくさせて前進します。犬や馬もそうです。足は四本ですが、やはり往復おうふく運動です。鳥はどうでしょう。からすも羽を上下に動かして進みます。カエルが泳ぐのも往復おうふく運動ですし、魚も尾びれお  を左右に往復おうふくさせて推進すいしん力を生み出しています。神様がお造りつく になった生物は、みんな往復おうふく運動で前進します。
 それでは、人間が作った道具はどうでしょうか。ノコギリも手で使うノコギリは、前後に往復おうふくさせて板を切ります。しかし、これでは能率のうりつが悪いということで、回転ノコが考え出され、製材せいざい所などでは大変なスピードで木を切っています。
 ジェームス・ワットが発明し、産業革命かくめいのもとになった蒸気じょうき機関も、そこから取り出せた力は往復おうふく運動でしたが、蒸気じょうき機関車は、ピストンの往復おうふく運動を回転運動に変えて使っています。回転運動をフルに利用したものに自動車があります。
 回転運動がふえるのは、速いからです。自動車と動物の走るスピードを比べくら てください。いかに速い競走馬でも、大衆たいしゅう車のスピードにもかないません。このことは、自動車の方が馬よりはるかにすぐれているかのような印象をあたえます。人間の知恵ちえは、とうとう神様の知恵ちえを追いぬいたと考える人もいるかもしれません。
 たしかに、車輪の発見は技術ぎじゅつの発達史上における大きな発見で、四本足で走る馬より、回転する車の自動車のほうが楽だし、速くもあります。しかし、実際じっさいに走ってみると、楽に走れて速いのは平らで道のよいところだけで、山あり谷ありといったデコボコ道では、必ずしも楽ではありません。道のないところは車では進めません。人間や動物なら、川は泳いで渡りわた ますし、ガケもよじ登ることができます。やはり人間の知恵ちえは神様の知恵ちえにかなわないわけです。
 現代げんだい社会は、言ってみればどこも平らですが、それは人間が作ったもので、自然ではありません。平らなところがふえたので、世の中すべてが平らであると思いこむ人がふえてしまったようです。
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 舗装ほそう道路を車ですっ飛ばすように、世の中を突っ走れるつ ぱし  と思っていたところに、つまずきを生じたのが環境かんきょう破壊はかいであり、エネルギー危機ききだったといえます。
 自動車もスピードを出しすぎたので事故じこがふえました。そこで、高速道路でも事故じこの多いところは少しデコボコをつけることが一部で考えられています。人間の知恵ちえから再びふたた 神様の知恵ちえに帰ろうというのでしょうか。
 人間の知恵ちえにはおのずと限界げんかいがあることをわれわれは十分に理解りかいしなければなりません。人間の作ったものは、たいへん便利で能率のうりつ的ではあっても、場合によっては案外落としあながあるものなのです。そういう意味で、われわれはもう一度、神様からあたえられた自然を見直す必要がありそうです。
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