1自分が好感をもっていない相手と話さなければならないことほど気の重いことはない。しかし、これは職場や学校、近所付き合いなど、あらゆる日常生活の中で私たちがしばしば避けては通れない現実といえる。その解決策はただ一つ。それは我慢することである。
2嫌いだからといって、皮肉やイヤミを言えば、よけいに不愉快な思いをすることになるし、わざとらしくニコニコ親しげにふるまうのもかえって不自然である。不快な感情を表に出さないように注意し、ごく自然に対応するのがベストということになる。
3しかし、初対面で嫌な感じの人と思っていても、付き合っているうちにだんだん相手を見直すことも時にはあろう。人間には案外隠された部分が多いものだ。一度や二度会った程度では、その人のすべてがわかったとは言いがたい。
4私がラジオの人生相談をしていて思ったのは、人間の観察眼はそれほど確かなものではないということだった。たとえば、「夫がこんな人間だったとは思いませんでした。」と言ってくる人は、観察眼が足りなかったということになる。いいと思った人が嫌になる。5だからその逆で、嫌な人間が嫌でなくなる可能性もあるということだ。
映画評論家の淀川長治さんは、十六歳の時に見た映画の「俺はなあ、嫌いな奴に今まで会ったことがねェ。」というせりふに感動したという。6それ以来、淀川さんは、「いまだかつて嫌いな人に会ったことがない。」という信条をもつようになった。
相手が失礼なことをしたり、非常に冷たいとき、昔は怒ったが、ある時期から腹が立たなくなった。7それはその人が失礼なことを失礼だと思っていないことに気が付いたからだという。「人間はみんな根がよい人ばかりなのだから、嫌だと思ってはいけないんです。自分が相手に愛情を抱けば、きっと向こうもそれを感じてくれるはずです。」と、淀川さんは言っている。
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