a 長文 6.1週 na2
 この国から一つの種が消えていくことは、たとえていえばわたしたち自身の未来へつながる糸が、一本切れてしまうことにほかなりません。裏返せうらがえ ば、種の多様せいを大切にすることこそが、豊かゆた で安全な人間の未来を約束しうるのです。さらに、どれだけ多くの生きものがいるかということは、森林の生産力の豊かゆた さを示すしめ 一つのものさしになります。森林の価値かちは、たんに木材などの経済けいざい価値かちだけでなく、そこに暮らすく  生きものの種類や数も、そのものさしとして含めふく て考えるべきです。これが、人間と自然の共存きょうぞん、共生をめざす新しい考え方です。
 人の思想・信条しんじょう価値かち観が画一化された時代が危険きけんであったようにそれは自然についても同様のことがいえます。たとえば、九州のスギノザイタマバエなどによるスギ枯れか のように、単一たんいつ樹種じゅしゅ構成こうせいされている人工林は一度病虫害が発生すると、いっきに広がり大きな被害ひがいをもたらします。とはいうものの、今や日本中の自然林が、スギ、ヒノキの単一経済けいざい林にとってかわろうという勢いいきお です。その土地の風土にあった自然林こそあらゆる危険きけんに対して、実はもっとも強いのだということを忘れわす てはなりません。
 ブナの森にかぎらず、北海道の亜寒帯あかんたい林から沖縄おきなわ亜熱帯あねったい林にいたるまで、多様な自然林を守り、健全な状態じょうたいで次の世代に手渡してわた ていきたいというのがわたしたちの願いです。そして、長い間こうした自然林が、風土に根ざした地方文化を育む一つの母胎ぼたいともなってきた歴史的事実も忘れわす てはらないでしょう。
 最近、日本中で、土地土地の固有の自然林が消え、その土地にえんもゆかりもない「緑」が造り出さつく だ れ、それが当り前の光景となっています。そうしたことをなんの抵抗ていこうもなく受け入れてしまう自然観の欠如けつじょをおそろしいと思います。土地の固有の自然を大切にするということはそれを舞台ぶたいにした土地の文化を守ることでもあります。裏返せうらがえ ば、この国の多様な自然こそが、多様な地方文化を支えささ 
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ているのです。その意味で、緑の量を増やすふ  こともさることながら、むしろ、その土地の風土や歴史的必然せいに根ざした緑のしつ、自然のしつを問うことのできるを養いたいものです。
 その上で、たとえば人知のなせるわざともいえる京都北山の人工スギ林もはるか縄文じょうもんの昔から受けつがれてきたブナなどの自然林も、ともにすばらしいと言わしめるような、そんなしなやかな感性かんせいとバランス感覚を、しっかりと次の世代に伝えておきたいと願わずにはいられません。
 ブナの森は遠い祖先そせんからの贈りおく ものであり、そして子孫からの借りものでもあります。わたしたちは二十一世紀へ手渡すてわた べき遺産いさんの一つとして、この森の将来しょうらいに歴史的責務せきむを負っていることを忘れわす てはならないと思います。この国が、母なる森――ブナ原生林を失ったとき、それはわたしたちが孤児こじになるときです。なぜならば人間もまた、自然の子なのですから。
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