a 長文 6.2週 na2
 世の中がすべてインスタント化しているのです。インスタント食品はちょうど昭和三〇年代中ごろから出はじめました。そしてそれ以来ずっとわたしたちの暮らしく  を取り囲んでいます。かつては自分で努力をして手をつくして時間をかけて、待っているあいだ心ときめかせて楽しんで、そして結果を得るというので生活が完結しました。ところが、お金を出して始まり、ものを得て終わりといったら、そのあいだは瞬間しゅんかんになる。待たないわけです。高度経済けいざい成長期に入って、待つことが消えていってしまいました。カップラーメンの宣伝せんでんに「三分間待つのだぞ」というのがありましたが、みなさんはご存知 ぞんじないでしょうね。いまは三分待たなくても、すぐできるんでしょうか。あるいは、三分は、もうちっとも短い時間じゃなくなったのかもしれません。三分も待つのーとぎゃくに売れなくなってしまうのかもしれないですね。世の中めまぐるしく速く動いているのですからね。
 ものごと万事、欲望よくぼうがすぐ結果に短絡たんらくするようになってしまっている。本当は何かを願望することと、願望したことが満たされるあいだが実は最も楽しい時間であって、満たされてしまったらもうおしまいなのだというところがあるでしょう。わかりやすくいえば、恋愛れんあいなんかまさにそうです。もちろん、好きだと言ってから、それから先もまた楽しみはありますが、好きになっていくプロセスそのものが実はものすごく、苦しくても楽しい世界ですよね。彼女かのじょは本当にぼくを好いてくれているのかと心配になったり、その時期があるから、好きだということが確認かくにんできたときうれしいわけです。もし手軽に得られたら、それはいいかえれば手軽にすてられる世界にもなります。これはゴミの問題と同じです。手軽に得られるから手軽にすてることができるのです。それではつまらないですね。
 自然のものも、たとえばイチゴなんていまは年中あります。トマトも年中あります。でもかつてしゅんのときしか食べられなかった。だから、待ち遠しかった。
 待つ喜びがあったわけです。そして、たとえばしゅんの初ものを食べると寿命じゅみょう延びるの  などということもいいました。初ものを食べると寿命じゅみょうがのびる気がするほどうれしいから、そういう言葉か
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出てきたんでしょうね。あるいは去年食べたときから一年寿命じゅみょうがあったことを実感できるという幸せがあったから、そういう言葉で表したのかもしれません。
 レジャーにしても、お金を出して得るレジャーに流れていく生活というのは、山の緑、自然の鳥や花と触れるふ  、そういう喜びとは別なんですね。お金で与えあた られる喜びの世界に身をゆだねていくことが、季節の喜びを待つ世界をも希薄きはくにしているんです。
 困っこま たことですが、余暇よかさえもがお金もうけ、金主主義しゅぎのわなの中にはまってしまったようです。商品化され、密室みっしつ化されてきました。子どもたちはゲームセンターに、大人たちはパチンコ屋に、孤独こどくな時を自然の空間に閉じこもっと    て遊びます。「野外での健康的なスポーツ」としてゴルフが宣伝せんでんされていますが、その会員けんは何千万、一億円などという投機の対象であり、ゴルフ場は緑の山をけずって人工的に草を植えた農薬づけの世界なのです。「花と緑」といえば美しい自然を連想させてくれますが、緑の森をつぶして遊園地に作り変えた「花の万博」。高い入園料を払っはら て外国から持ち込んも こ だ植物を無理な気候の中で育てている不自然を見ることになる。あちらこちらとあわただしく交通機関を利用して動きまわれば、一万円はすぐに飛んでしまうしくみのようです。ゆったりと自然の花と緑をたのしむというようにはなっていないのも、お金の世のかなしさなのでしょう。お金によって手軽にということなのです。
 いまのインスタントな時代というのは、欲望よくぼう充足じゅうそくされている点だけを見れば幸せそうにみえるけれども、実は大事なものを失っている。本当は不幸な時代かもしれません。

槌田劭つちだたかし『地球をこわさない生き方の本』より)
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