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 アフリカの田舎いなかを自転車で訪れるおとず  と、珍客ちんきゃくが来たということで歓迎かんげいされ、村にあるとっておきのゴリラ、サル、芋虫いもむし、ナマズ、ヤマアラシなど貴重きちょうな食べ物でもてなされた。
 ある日、目的地の村に到着とうちゃくして泊めと てもらうことになり、いつものようにばんご飯を待っていたが、日が暮れく てもいっこうに声がかからない。おかしいな……、と思いながらお腹 なかが空いていたので手持ちの食料を食べた。
 そのときの体験を小学校の子どもたちに話して、「どうしてご飯を出してもらえなかったんだと思う?」と聞く。すると子どもたちは一生懸命いっしょうけんめい考えて、
 「村にご飯がなかったから」
 「知らない人だからご飯を出さなかった」
 「ご飯を出さないで、達さんがどんな反応はんのうをするか見ようと思ったから」
 「獲物えものりに行っていたから」
という答えをくれる。相手に理由や原因げんいんがある、という考え方だ。
 ところが質問しつもんをしていると、ひとりの男の子が小声で「自分の挨拶あいさつが足りなかったから」と答えたことがあった。これはとても大切な考えだと思う。自分の方にも何か原因げんいんがあったかもしれない、何かできることがあったかもしれない、という考え方だ。
 ぼく前述ぜんじゅつの問いに対する答えは、「毎日ご飯を食べさせてもらうのがいつの間にか当たり前になってしまって、感謝かんしゃの気持ちがなかった。だからそんな人にはご飯を出さない、と思われたのかもしれない」というものだ。主張しゅちょうするのも大事だが、人の家で食べさせていただくのに感謝かんしゃの気持ちがなかった、きちんと挨拶あいさつしていなかった、相手に失礼なことをしたなど、もしかしたらこちら側に問題があったかもしれないと考えることを伝えたい。なんでも人のせいにしていると最後にはなにも見えなくなり、ゆめや目標があっても実現じつげんさせることができなくなってしまう。ぼくがそう話すと、子どもたちは静まり返って真剣しんけんな顔で聞いている。
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 自転車世界一周というと自分には関係のない話だと思われるかもしれないが、きちんと挨拶あいさつしたり、自分の行動に責任せきにんを持ったりする点では普段ふだんの生活と変わらない。子どもたちはこの辺を敏感びんかんに感じ取ってくれる。そして、「これからは挨拶あいさつをきちんとしよう」とか、「人のせいにするのはやめよう」という感想文をくれ、先生方も「子どもたちが前より挨拶あいさつするようになりました」と言ってくださることがある。
 また中高生になると、受験も、就職しゅうしょくも、クラブも、人間関係も、無意識むいしきでも最終的には全部自分で決めている、と話すことがある。挨拶あいさつしたらどうなるか? お礼をしなかったらどうなるか? 自分にできることはなかったか? いい答えを聞きたかったらいい聞き方をしなくてはいけないなど、自分の行動一つで展開てんかいに大きな違いちが が出てくることを体験から伝える。つまり未来は自分次第でいくらでも変わるという考えだ。
 ぼくも最初はギニアで井戸いど掘るほ のは相当困難こんなんだと思っていた。経験けいけん知識ちしきもネットワークもない自分が、ほとんど部族語しか通じない山村でひとりでプロジェクトを起こすのだから。
 でも目的を持ってできることを一つずつやっていたら、いろんな出会いや出来事に恵まれめぐ  井戸いど掘りほ 実現じつげんに向かった。小さな行動を積み重ね、あきらめなければいろんなことができる。

(坂本達『やった。』より)
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